準備完了。これで戦える。
検証が終わった。
肉と骨の残骸を残して窓を閉める。
リビングに戻り、彩葉が渡してくれたタオルで、ヘルメットのバイザーにこびり付いた血を拭う。
粘り気を帯びた飛沫が布に広がり、赤黒く染みていく。
血と脳みそだろうか。こんな色をしているんだな。
その様子をじっと見ていた彩葉が、口を尖らせてつぶやいた。
「……なんか、もう最後は肉に見えてきましたね。大きな豚肉とか……鳥の関節折る感じっすよ。あー……これ絶対、肉食えなくなるやつっす。もしくは……人間食えるようになっちゃうやつ……」
美咲が冷ややかに視線を向ける。
「しっかりと現実を直視しなさい」
「いや、冗談言わないとマジで吐きそうなんすよ!」
「人間は喰うなよ」とツッコミつつ俺はバイザーを拭いた。
こんなときすら、彩葉は口が回る。
アイツの軽口は本物だ。
彩葉が倒れたり、吐いたりする人間じゃなくてよかった。
これなら戦力になる。
*
防具を付けていく。
首にタオルを巻き、ピーコートの装甲を羽織る。
「人って頑丈なんだな。首を踏み折れなかったのは誤算だった」
「足の骨なんてフライパンで叩いても折れなかったわね」
「あたしのフライパンベコベコなんっすけど。もう料理できないじゃないっすか」
結局、手を踏み折るのは止めた。
手元に足を置けば、噛まれるリスクが大きい。
脚を踏んだ。美咲では折れず、俺が思いっきり踏んでも折れなかった。
ひざの関節も横から踏まないと折れない。角度を調整してどうにか・・・だった。
上手く踏めばパキッと圧し折れたが実戦では役に立たない。
首が一番驚いた。簡単に折れるかと思いきやそんなことはなかった。
ピシッというが、骨は繋がったまま。
何度か思いっきり踏み付けたが折れなかった。
人間なら悶絶しているだろうが、ゾンビを無力化できるかと言えば自信はない。
「頭は硬いな。嫌になるほど」
「踏んだら硬い毬みたいに反発感があったわ。変形して戻っている。砕けない」
ヘルメットを付ける。バイザーはあげておく。
「足じゃ無理だ。顔を踏めば鼻が潰れて、顎が折れたが・・・」
「ゾンビ相手に噛んでくださいって感じじゃない?使えないわ」
「あぁ……この会話って、正気っすか。聞くだけで血の匂いがするんすけど」
ズレた発言をする彩葉だって、人間が壊れるのをしっかり見ていた。
足を折り、フライパンで殴り、首を踏みつけ、頭の上で跳ねる。
だから理解している。その壊し方と耐久値を。
「フライパンは有効だ。唯一、頭部を破壊し得る。これが無理ならもうどうしようもなかった」
「それでも頭頂部、額は割れなかった。額が割れる前に顔が陥没したのは不気味だったわね」
彩葉が流石に蒼い顔をしている。
あれはヤバかった。
「側頭部と後頭部なら割れる。狙うのは横と後ろだな。同じ頭でも感触は全然違った。側面なら一振りで割れる気がする」
「何とかしてうつ伏せに倒す。後頭部に上から振り下ろす。それならゾンビを壊せる。それが分かっただけでも価値があったわ。正面から頭を割ろうとしたらきっと失敗していた。そして、誰かが死んで、生き残りが学ぶ。命と同じ重さの知恵を、誰も死なずに学べたことに感謝するべきね」
「……突進してくるゾンビをどう転ばせるかが問題だ。脚は硬い。すれ違いざまに折るなんて無理だ。避けるしかないな。受け止めるのも無理だ。方向転換するときに止まるなら狙えるかもな。生態が分からない。ぶっつけ本番で試すしかない」
「盾で逸らすか、壁を背にするか。後頭部なら倒れなければ立っているゾンビの後ろから殴るのも有効かも。突進で倒れなければ後ろから殴るのはあり。そのときなら、アタシたちの着ている防具の価値が出る」
「倒れたら不利になるな。倒れちゃいけない。立ったままでもゾンビを止めれば殺しうる。ゾンビがうつぶせに倒れたなら一方的に倒せるかもしれない」
話していて思う。
これは勝ち筋じゃない。
圧倒的に不利な中で、針の穴に糸を通すように、攻撃が通る目がある。
そういう話だ。
あの死体のおかげで、どう通すべきかが今は分かる。
知らなければ、無駄な攻撃をして貴重な時間を無駄にしたはずだ。
その代償は自分か美咲か、或いは彩葉の命になる。
やってよかった。後悔はない。
死体を壊して美咲が救えるなら迷うはずもない。
首にタオルを巻き、最後にリュックを背負い、手槍を拾う。
彩葉は多めにタオルを巻いている。顔を防ぐために。
口や鼻を噛み千切られるとどうなるか。
あの男でリアルに想像できるようになった。
彩葉にそうはなってほしくない。
いずれにせよ、準備はできた。
心も、身体も、戦える。




