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女の子の部屋で「人殺しのお勉強会」をする世界を、俺は抱きしめた。

欠けていない包丁、歪みのない物干し竿を思い出す。



挟まれて俺と美咲を交互に見る慌てた男。


武器を抜くことも、殴ることも蹴ることもできなかった。



そして、俺に刺され、美咲に刺され、蹴り飛ばされて、心臓を突かれて死んだ。



戦闘中は、美咲を助けないと、殺されるかもしれないという危機感の中、夢中で動いていた。



だがこうして思い出せば、分かる。


あれは一方的だった。



「戦闘自体は圧倒的だった。2対1で、挟み撃ちしたからだけじゃない。武器の差も大きい。男は素手だった。ヘルメットに防具を付け、盾を構えたお前……女性相手でも一瞬では倒せない。そして、その一瞬があれば、背中から俺は一突きで殺せた」


「武器を用意し、主導権を取れたこと。これが勝因だろう。気分は悪いが、身体は無傷だ」



「そうね、ビックリするくらい有効だった。手製の武器でもあるのとないのでは段違いだったわね」



美咲は俺の意見を聞き終え、彩葉に聞かせるように話し始めた。



「まず、勘違いしないで。殺すことがゴールじゃない。抑え込んで《無力化》した時点で勝ちなの。盾と槍はそのための最適解。致命傷は止めてから最後に確実に与えればいい」


「盾は衝撃を止められるけど、体格差までは消せない。押し合いになれば不利になるわ。でも、相手の動きを半秒止めれば十分。その間に悟司が刺せる」


「槍の特性も覚えておきなさい。正面から突くと手で払われるかもしれない。けど、横や背中からなら簡単に胴体に届く。だから、正面の役目と刺す役目を分ける。組んで動けば、消耗は最小で済む」


「人間の弱さも忘れないこと。人間は胴体を刺せば、いずれ死ぬ。病院もないしね。ゾンビと違って、痛みだけで、叫んで、怯えて、勝手に崩れていくわ。人間は痛みだけでも攻撃力を失うのよ」



美咲はあの一戦でここまで学習したのか。


殺したことにショックを受けているだけの俺を置いてきぼりにして。



「そして、心理戦。《殺されないよな?》と思っている間に殺す。だから、こっちに殺意があると悟られる前に仕留めるのが肝心。心理的先制がリスクを減らす。特に、まだ人殺しはダメという当たり前が残っている、今ならね」



俺は目を閉じて、美咲の言葉が胸の中に沈むのを感じた。


戦いの理屈、殺しから得た知恵が、淡々と突きつけられる。



──まだ人殺しはダメという当たり前が残っている



その当たり前が消えると美咲は言っている。



「……なんか……人間殺すのって、思ったより簡単そうに聞こえるっすね。朝飯前みたいな……いや、怖すぎて胃が痛いんすけど。映画だとヒーローがバッタバッタ殺してるっすけど……実際はあたしみたいな凡人でも、槍一本あれば《できちゃう》ってことっすよね」



彩葉の軽口が途切れたところで、美咲の低い声がポトリと落ちた。



「……そう。人は簡単に死ぬの。アタシも、殺して、初めて理解したわ」



ほんの少し間を置き、彩葉を真っ直ぐに見据える。



「これは逆も同じ。アタシだって、悟司だって、あなただって……簡単に死ぬ」


「彩葉。もうここは、そういう世界なの。……早く適応しなさい」



「適応しなさい」と彩葉に向けた言葉が、俺の心に沈んでいく。



彩葉の返事はなかった。


だが、やがて、かすれるように吐き出す声を聴いた。



「……了解っす」



笑いの調子はどこにもなかった。



彩葉も美咲も黙り込んだ。


それぞれがこの現実を受け止めているかのような沈黙。



その沈黙の中、俺の頭に、美咲の問いが浮かぶ。



──どうして人を殺しちゃいけないの?



世界から法律も警察も消えた。


つまり、もう誰も『殺しちゃいけない』と言えなくなった。



なら、殺していいのか?



──殺していいのだ



けど、俺は彩葉を殺さない。



必要がないからだ。


必要なら殺す。


それだけの話だ。



──何故、あの男を殺した?



あの一瞬、浮かんだのは、美咲が血だまりに沈む幻影。


絶対に死なせないと叫んだ心が、俺に槍を突き出させた。



──何故殺せた?



美咲を生かすため。


ふたりで生き延びる誓いを守るため。



──何故殺せた?



そうか。


そういうことだったのか。



一言で答えれば、俺が、美咲を《愛している》からだ。



結局、それだ。


彼女を愛しているから、殺せた。



これが俺の答えだ。



──適応しなさい



そう語る美咲は、俺より先にこの結論に辿り着いていたのだ。


遅くなったが、俺も美咲の生きる《世界》を理解した。



愛している。それが、《全て》の理由になる世界。



だから、もう、迷うことなど、何もない。

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