第4章 プロローグ 穂先の血は、洗えば綺麗に流れて行った。
シンクに槍の穂先を突き出す。
蛇口をひねると、じゃーっという音が響き、赤黒い筋がじわりと溶け落ちていく。
むわっと鉄の匂いが立ち上り、鼻腔に絡みつく。
水に溶けた赤色が排水溝に流れ込んでいく。
だが、いくら指でこすっても、赤色は薄まるだけで取れた気がしない。
どこまで洗っても、ぬめりが残っている気がする。
──臭い
さっきより強くなったようにさえ思えた。
胃が軋み、唾が重く苦くなる。
吐き気を押し殺しながら、俺は穂先を流れる水に押し込んだ。
*
「彩葉、キッチンを借りるわね」
「おっけーっす。どんどん使っちゃってください」
血濡れの槍に気づいた美咲が彩葉に断って部屋を出て行った。
カーペットの上に槍を持っていくのに躊躇して、俺は部屋の隅に立ち尽くしていた。
「カーペットなんてどうせ汚れてるんで。立ってないで座ってくださいっす」
その言葉に槍を置こうとして、置き場所が見つからず、結局手に持ったままソファーに沈み込んだ。
ため息と共に身体が沈んでいく。
しばし、ぼんやりしていると美咲に呼ばれた。
「悟司、アンタも槍を洗っておきなさい。……血塗れのままじゃ戦えないわよ」
そうか、錆びるし、汚いもんな。
穂先を洗わないと。
「分かった」
呟いて、立ち上がり、台所へ向かった。
シンクで槍の穂先を洗う。
物干し竿に固定された包丁をじっと見る。
歪みもない。
刃が欠けてもいない。
槍の柄──物干し竿を見る。
どこも曲がっていない。
もう一度、そのまま使っても、容易に殺せるだろう。
武器が痛んでいないということは、あの男を殺すのが簡単だったということだ。
抵抗などなかった。
──盾と槍と明確な殺意
そして、ふたりがかりの挟撃。
結果的に相手は何もできなかった。
俺と美咲に挟まれた時点で、あの男は何をしても死んでいた。
槍の柄から伝わった肉の軋みが手に蘇る。
横たわり丸まった男の黒目が俺を責める。
胸が締め付けられる。
あの瞬間、俺は、何故、「死ね」などと言えたのか。
今となってはその瞬間の感情が、俺にはわからない。
何故、殺せた?
何故、苦しい?
「……いつまで洗ってんの。こっち来なさい」
思考に沈む俺を引き上げる美咲の声。
蛇口を締める。
途端に水音が消え、静寂の中に鉄の匂いだけが濃く残った。
濡れた槍を握り直し、答えの出ない問いを抱えたまま、俺は美咲を振り返った。




