あたしは生きている。アタシも生きている。だからこれでいいんだ。
本日2話更新。
──ガチャリ
鍵が外れる乾いた音。
どこか遠くでそれを聞く。
振り返ると、少しだけ開いた扉の隙間から、顔が覗いている。
大きな瞳、息を詰めたようにこちらを窺っている。
「……先輩?」
彩葉だ。
押し殺すような沈黙の中、その声がやけに澄んで響いた。
足元に転がる死体。
血の匂いが空間を支配している。
硬直した俺と美咲を交互に見て、彩葉が口角を上げた。
「うわ……マジでやっちゃったっすね」
彩葉は一歩踏み出し、手をひらひらさせながら続ける。
Tシャツにショートパンツというラフな装い。
「でも……ありがとうございますっす。先輩たちが汚れ役になってくれたから助かったっす。だから、マジで感謝してます」
茶化すようないつもの調子。
「いやぁ〜、やっぱ人間追い詰められるとドラマ以上のことするんすね。……ブラックジョークっすけど、命あれば笑える。ほんと」
彩葉の軽口が笑えない。
だが、その声に、美咲が動く気配がした。
ため息を吐き捨て、彩葉に応える。
「……彩葉、ありがとう。元気そうでよかったわ」
その声音に力が戻っている。
振り向けば、美咲は槍を握り直し、前を向く光が目に蘇っていた。
「悟司……最後は助かったわ」
俺は返事を返せない。
言葉が喉に詰まる。
世界が止まっている。
だが、美咲はもう動き始めていた。
「……死体を、隠さないと」
その声に、身体が再び引き締まる。
殺して終わりじゃないのだ。
やるべきことが残っている。
俺は動き出さざるを得なかった。
*
だらんと力の抜けた死体は、とにかく重かった。
重いんだと知った。
骨も筋肉も、ただの重石に変わる。
二人で手足を持ち、ずるずると廊下を引きずる。
血の筋が床に伸びていく。
もう仕方がない。
彩葉の部屋に辿り着く。
ドアを開き、靴を踏み越えて中へ。
土足で上がり、部屋の廊下を血で汚しながら、浴室へ。
お風呂場のドアを開けると、白いタイルが冷たく光っていた。
美咲と息を合わせて、浴槽の中に、ずしんと音を立てて男を落とす。
彩葉が覗き込み、口を尖らせた。
「……うわぁ、廊下に血がベットリ。こりゃ、敷金返ってこないっすね〜」
彼女が何を言っても、浴槽に横たわった死体は動かない。
俺も笑えない。
「いやぁ……ホラー映画よりリアルっすよ。これ」
美咲は振り返らずに、浴室のドアを閉めた。
*
美咲、彩葉の後に続いて、リビングに入る。
1K。
──女の子の部屋。
いつもなら浮かれたかもしれない。
目に入るもの全てが「女性の私生活」で、下世話に観察してしまっただろう。
だが、今はそんな気分にはなれない。
俺が、リビングに足を踏み入れた瞬間、彩葉が両手を広げて笑った。
「あ〜、マジで散らかってるっすね。見ないで欲しいっす、ほんと」
テーブルに投げ出されたリモコン、床に転がるスナック菓子の袋、読みかけの雑誌。
その生活感のある散らかりようが、「日常」を告げていて、胸を締めつけた。
「……言わないとっすね」
彩葉の声に顔を向ける。
少しだけ真顔だ。
「先輩たちがいなかったら、あたし……マジで終わってたっすよ。だから、ありがとうございます。殺したどうこうとか……今は考えないでほしいっす。命あったんだから、それでいいんすよ」
それでいい、か。
言葉だけは理解できる。
美咲が、小さくため息を吐いた。
「さっきも言ったけど、アタシだって危なかったのよ。男の本気は強い。平押しされたら勝てない時だってある」
美咲を見れば、「まったくもう」というように首をかしげて俺を見ている。
何を悩むことがある?
殺すべきだった。
浮かぶ声とは裏腹に、歯を食いしばる。
「彩葉とアタシを同時に救った。……胸を張りなさい」
力のある声。
確信しきった言葉は、刃のように鋭い。
彩葉もその流れに乗ってくる。
肩をすくめ、両手をひらりと振る。
「うわぁ……美咲パイセン、言い方エグっ……でも、ホントその通りっすよ」
畳みかけられる言葉に、凍り付いていた心が少しだけ動いた。
心の息継ぎをするように、大きくため息をつく。
「そうだな……。ありがとう。気落ちしている場合じゃ、ないよな」
助けるために殺した。
俺たちの邪魔になったから殺した。
殺す必要があった。
納得できなくともそう思うしかない。
「でも」と脳裏に浮かぶ。
その先は考えない。
視線を落とせば白いカーペットに点々と赤い血痕が落ちている。
それは、美咲の槍の穂先から垂れている。
見れば俺の槍も赤いペンキを塗りたくったような色になっている。
目を逸らす。
美咲がソファに腰を下ろし、深く息を吐いた。
「……彩葉、ちょっと休ませてね」
彩葉は小さく頷き、笑みを浮かべた。
「もちろんっす。ずっといてください。命の恩人ですから」
その視線が俺にも向けられる。
「先輩も、ですよ。……あ、変な意味じゃないっすからね? いや、ちょっとだけは……あるかも?」
おいおい、彼女の前でよく言うわと美咲を見れば、案の定、呆れ顔を見せていた。
だが、まぁ、彩葉のおかげで、ため息とともに苦笑できるくらいには、心が動き始めていた。
心が晴れたわけではない。
晴れなかった。
もう、きっと一生晴天にはならないと思う。
それでも、殺した意味はあったと思えた・・・それだけだ。
ゾンビの溢れた月夜を歩き、彩葉を助ける──そのための《さようなら》 完
綺麗なお手手とさようなら。
次章
『第4章 間に合った男──やる時はやる男』
明日から毎日更新します!
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