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愛屍の臨界──それは「愛してる」が全ての理由になる世界  作者: 斉城ユヅル@希望を灯す小説家(GoodNovel契約作家)
第3章 ゾンビの溢れた月夜を歩き、彩葉を助ける──そのための《さようなら》
23/42

人を殺す瞬間、心に響く言葉を俺は知った。知らなかった自分には、もう戻れない。

白い廊下。


天井には蛍光灯が均等に並び、片側はドアの列。反対側は胸ほどの壁。その壁の上から暗い夜の街は覗けるのに、音はない。



いや、感じられないだけか?


敵と相対する極度の集中の中、ゆっくり動く世界で美咲が進む。



踊り場からするりと廊下に滑り出た美咲。


上半身だけがもっさりしたその姿で、盾を構え、槍は引き絞られている。


彼女は足音を抑えている。だが、早い。迷いがない。



男が俺に気を取られている今ならヤレる。


勝利の予感に安堵の影がチラつく。



だが、美咲と同じ装備を纏う俺に怯えた男がじりじりと後ずさった。


男の足元に広がる影が揺れ、じわりと美咲側へ流れていく。



──まずい



瞬時の直感。


気づけば俺は一歩目を踏み出していた。


自覚すらされない《意志》に従って、動く。



そして、敵が、俺の中の全てになった。



若い男、体格は並。むしろ小太り。


武器は・・・見えない。


リュックは廊下に転がっているが、刃物を持っている可能性は否定できない。



それを抜かせたら終わりだ。


美咲が刺されれば、助からない。


だから、絶対に抜かせない。



さらに一歩を踏み出す。



美咲が止まった。


彼女は腰を落とし、盾を顎まで引き上げた。



彼女も状況の変化に対応している。よしと脳裏に短く浮かぶ。



加速しつつ迫る俺に、男が身体ごと振り返り、走り出し、急制動。



──挟み撃ちに気づかれた



キョロキョロと首だけ動かして俺と美咲を交互に見ている。


蛍光灯の明かりに照らされた顔は、焦っている。



──まずい。奇襲はできない。


──どうする?



目測で10メートル。



《考える時間を与えるな!》



直感で動く、さらに一歩。



美咲もジリジリと間合いを詰めていく。


彼女の槍の穂先──包丁が蛍光灯を反射し、チラチラと眩しい。



咄嗟に思う。


そうだ。俺たちが明確な殺意を持っていることを気づかれる前に殺さないと。


「まさか殺されることはないだろう」と思っている間なら、一方的に《やれる》はずだ。



早歩きで近づくほどに男の顔は混乱しているのが見て分かる。



何か言っている?


何故か理解出来ない。



顔つきは分からない。


混乱していることだけは分かった。



胸、腹、狙うべき箇所だけが視線の先に像を結ぶ。



Tシャツなら、刃は通る。


手汗で滑る槍を無意識に握りなおす。



──あと5メートル



プレッシャーに耐えられず男が美咲の方へ駆け出した。



突き飛ばされ、倒れる美咲。


彼女の腹に刺さった槍。


真っ赤な血だまりが広がっている──脳裏に閃く未来予測。



させない! 絶対に!



槍を手繰り寄せ、全力で駆け出す。



蛍光灯で照らされたマンションの白い廊下を風を切って走る。


耳元で渦巻く風切り音。ドドッという足音が廊下に反響する。


視界の中で、敵の姿がどんどん大きくなってくる。



同時に、男の向こうにいた美咲も前傾になり、盾を前に掲げて突っ込んだ。


声もなく。ただ静かに、全力で。



ガツンッと鉄と肉がぶつかり合う衝撃音。


男の声が「うあっ」と漏れる。


美咲の呻く「くっ」という声も聞こえた。



ひどく冷静に衝突の結果を読む。



躊躇なくぶつかる勢いはあったが美咲の体格では押し返せない。


逆に、衝撃で盾ごと持ち上げられ、美咲の上体が浮き上がっている。


だが、男は止まった。



あと2メートル、あと少し。



密着した男の指が美咲の盾を掴み、剥ぎ取ろうとしている。



「ぐっ……!」



美咲が声を洩らす。盾が震えながら、ズラされていく。


それは、コンマ数秒の抵抗。



敵が間合いに入る。すべきことは一つ。



全力で盾を支える美咲の押し殺したような叫び声が聞こえた。



「悟司ッ!!!」



その声に「助けて」という意志を聞く。判断の前に身体が動く。



男の背中。黒いTシャツを着た背中。


その真ん中。その一点。


殺してやるとすら思わずに──俺は槍を突き出した。



ザシュッ!!



肉を裂く手ごたえが柄から伝わる。ザクッと思った以上に滑らかに滑り込む包丁。


すんなりと沈む刃先。



──ググッ



男が動いたのが槍の柄をしならせて指先に伝わってきた。



「ギャアアアアッ!!!」



次いで、絶叫が廊下に響き渡る。


煩い!


もう一度刺すために──ドドメを刺すために、槍を引き抜いた。



堪らず美咲の盾から手を離し、刺された背中を抑えようとする男。



即座に美咲も動く。


盾の影、下段に構えていた槍を突き出す。



低い姿勢のまま、男の下腹部へ。


ズブリと、突き上げるように深く。


男が腹を殴られたように僅かに跳ねた。



「──あっ…がはぁ」



男の声が途切れる。


濁った呻きに変わる。



美咲は、槍を引き抜きざまに、左足を振り上げ、前傾した男の顔を蹴り飛ばした。



「……ッ!」



踏ん張ることもできず、男の身体が背中から床に倒れ込む。


仰向けの男が、俺の目の前に転がってくる。腹を抑え、痛みに身体を丸めている。



「うぅ……」



考えることなく、俺は槍を振り上げた。



丸まった男と目が合った。


横目で俺を見る怯えた黒い瞳。



その瞬間。


意識が追いついた。



今まで考えてすらいなかった。



自分が何をしているのか。


何をしてきたのか。


そして、今から何をするのか。



全部が一気に重みを持つ。


掲げた槍を、柄が軋むほど力一杯握り直した。



瞬間、あらゆる感情が爆発する。だが、俺の脳裏に浮かぶのはたった一つの言葉だけだった。




死ね




振り上げた槍を、真上から、心臓目掛けて突き立てる。ザクリと肉を裂く鈍い感触。


突き刺した槍の穂先が胸の真ん中を貫き、男の体が大きく痙攣した。跳ね上がるように胸板が持ち上がる。そして、沈み込むように弛緩する。


赤い血が喉を逆流し、口端から泡のように溢れた。



廊下に響いた絶叫も、呻き声も、消えた。



ピクリと動かない。



──死んだ



「はぁ、はぁ」



乱れた呼吸の音だけが耳に響く。


それ以外、世界から音が消えていた。



──いや、消えてない。



聞こえてきた。


植え込みの葉が擦れるざわめき、遠くの悲鳴、廊下の蛍光灯の低い唸り。自分の心臓が跳ねるドンドンという音。


切れていた音が、ひとつずつ戻ってくる。



視線を落とす。



そこに倒れているのは──人間だった。



黒いロゴの入ったTシャツにジーンズ、擦り切れたスニーカー。


いつの間にか蹴り飛ばしたリュックが廊下に転がり、チャックが半開きで中身からペットボトルがはみ出している。


汗に濡れた長い茶髪が額に貼りつき、口の端から垂れた血が頬を伝っていた。


そして、その目は、痛みか、恐怖か、大きく見開かれていた。



その黒目はもう俺を見ていない。


何も見ていない。



ポツポツニキビが浮いた脂ぎった肌に冷や汗が浮かび、蛍光灯の明かりを反射してテカテカ光っている。



どこにでもいる、普通の若い男だ。


通勤途中にすれ違っても気にも留めないような、そんな人間。



嗅いだことのない匂いがした。いや、鼻血の匂いを何倍も濃くしたような匂いだ。



思わず息が止まる。喉が詰まって唾が呑みこめない。


今、呑めば・・・きっと吐く。



槍を押さえる俺の腕が、小刻みに震えていた。


カタカタという歯の鳴る音が反響する。歯の根が噛み合っていない。



「はぁ、はぁ」



美咲の荒い呼吸音も聞こえてきた。



彼女を見れば、肩で息をしている。男を見下ろすその顔には、何の感情も映していない。



彼女は何も言わなかった。


俺は何も言えなかった。



俺たちは転がる《死体》を、無言で見つめ続けていた。

日間ランキング3位になりました。

ありがとうございますm(__)m

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