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愛屍の臨界──それは「愛してる」が全ての理由になる世界  作者: 斉城ユヅル@希望を灯す小説家(GoodNovel契約作家)
第3章 ゾンビの溢れた月夜を歩き、彩葉を助ける──そのための《さようなら》
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川越街道の地獄を抜けるころ、俺は悲鳴にも慣れていた。

「大通りまで出るわよ。ゾンビが絶対にいるはず。気を付けて」



美咲の低い声が夜気を裂いた。


無人のガソリンスタンドと民家の間を抜け、川越街道を覗く。



・・・そこは、まさに地獄だった。



渋滞で道路は車で埋まっている。


ところどころの車に人が群がっている。



いや、人ではない。


車体を叩き、ガラスを引っ掻く無数の手。



正面には人だかりはない。


だが左右を見渡せば、わずか200メートルの範囲に、少なくとも4、5台は囲まれている車両がある。



数えて・・・おおよそ50体。



一番近い群れで30メートル。


美咲が伏せながら指差す。



「通りの向こう、あの中華料理屋の脇道に抜けるわ。車体の下に死体はない。通れる」


ゆっくりと姿勢を低くする。


車の高さに合わせて身を縮め、街道へ滑り込む。


鉄とガラスの間を縫うように。


途中、耳を裂く叫びが響いた。



「助けてくれ!!!」



一瞬、心臓が止まる。


声は車内から。


ガラスの向こうで必死に手を振る人影。



見たくない、見たくなかった。


だが、表情まで見えてしまった。



「無視よ」



美咲の声は刃のように鋭かった。


その絶叫に釣られて、周囲のゾンビが首を巡らせる。


だが、まだゾンビに動きはない。



「急いで!」



短く吐き捨てられる声。


俺は喉を鳴らし、足を速めた。



「おい、子どもがいるんだ、頼む!!!」



男の声が背を追う。



──振り返らない



駆け足のまま、脇道へ飛び込む。


暗がりに身を沈める。



背後では、なおも鉄を叩く拳と、無数の呻き声が夜に響き続けていた。



「はぁ、はぁ、はぁ」



ほんのわずかに走っただけ。


息が荒い。苦しい。見捨てたからか、動いたからか。



「ゾンビは動かないわね。近くに人間がいれば遠くの音には反応しないこともある」



美咲の声は冷静だった。


その声音に乱れはない。



横顔を盗み見る。



ヘルメットの下、わずかに目が細められているのが分かった。


鋭い光が宿り、判断だけを切り出す刃のような視線。


彼女は恐怖に呑まれていない。



ただ、顰められた眉が、彼女の苦しみを示していた



子どもがいるんだという言葉を聞いた。


忘れたくとも忘れられない。



その声を振り払って、美咲は進む。


俺も、その後を追った。



大通りから離れ、再び住宅街に紛れ込む。



突如、男の絶叫が響いた。


壁に反響し、方向が分からない。



美咲も左右を見渡す。


俺は壁際に寄り、盾を構えた。


足音が近づいてくる。



「電柱の陰に、動かないで」



美咲が素早く動く、俺も彼女の横に付き、盾を身体に引き寄せる。


次の瞬間、男が路地に飛び込んできた。



その背後には女。



「クッ……悟司、絶対に動かないでよ」



全身が凍りついた。


呼吸が喉で止まり、肺が動かなくなる。



膝が石のように固まり、汗が背筋を流れ落ちるのを感じる。


盾を握る指先が痺れ、わずかに震えた。



──動くな、動いたら終わりだ。



ダッと男が目の前を駆け抜ける。


追う女の足も速い。



運動ができるようには見えないのに。


まるで全身が獲物を追うためだけに作り変えられたかのようだ。



──なすりつけられた



一切動かず、横目で追う。


男は角を右に曲がっていった。



電柱に寄りそう俺たちに気づかず、ダダッと駆け抜け、女もそのまま右へと消えた。


詰めていた息を吐き出す。



──はぁ、助かった



美咲も低く息を吐く。



「あの女、アタシたちに気づかなかった? でも、男が曲がった方向を記憶して追った。最低限の知性は残っている。……巻くなら視界を外れて消える必要があるわね。なすりつけられなくて助かったわ」



残響する男の悲鳴が夜を裂く。



それでも、俺の耳はもう驚かなくなっていた。


慣れてきてしまっていた。人の悲鳴に。



そんな自分が恐ろしい。

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