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愛屍の臨界──ゾンビ戦争の英雄、ふたりの恋人の物語  作者: 斉城ユヅル
第1章 さらば愛しき法と秩序の日々
2/15

俺はゾンビが存在する世界でドアノブに手をかけた。

「パソコン、貸しなさい!」



そう言って、美咲はクローゼットからジャージとTシャツを引っ張り出し、ノートPCを立ち上げる。



「アンタはスマホ。関連情報を洗って。真偽と実態を」



命令口調。


けれど、それでこそ美咲だ。



あの動画はなんだ・・・という興味のまま指を動かそうとした。



ふと、胸を締め付けるような不安がよぎる。



あれ、エロサイトを見て、そのままスリープしてなかったか?


冷や汗。


サッと視線を向けた先、美咲の立ち上げた画面はホーム画面だった。



──セーフ



ほっと息を吐いて、検索窓に指を走らせる。


まずはSNSだ。



映像の断片が次々と流れてくる。



渋谷の路地。誰かが悲鳴をあげ、群衆が散る。


複数のアングルで同じ場面が映っている。


立っている男の腹部から、ヒモのようなものが垂れ下がっていた。



・・・内臓?いや、ベルトにしては太いし、血に濡れていた。



警察が駆けつけ、取り押さえられている写真もあった。



返信欄を追う。



「薬物中毒らしい」


「精神病だって」


「内臓はコスプレ小道具だろ」



・・・真偽不明のコメントが洪水のように流れてくる。



眉を寄せながら情報をまとめていく。



「複数の角度で撮られてる。捏造じゃなさそうだ。錯乱ってニュースもある」



本当っぽい。


だが、何なのかは分からない。



世の中には、意味不明な暴れ方をする奴なんて沢山いる。


駅前で怒鳴り散らす酔っ払いも、電車で急にキレる男も見てきた。



日本は広い。


変な奴はいる。



でも。



あの内臓みたいなものは・・・なんだ?


結論の出ぬまま、美咲に話しかける。



「動画は本物っぽいぞ」



こちらを向く美咲にスマホを見せる。



「複数の角度で撮られてて整合性もあるし、犯人は捕まっている。ニュースもあった。《錯乱の可能性》だって。……あれは、ベルトでも垂れてたのかなぁ?内臓は無理だろ」


「動画を拡大してみたけど、あれは大腸ね。腹腔が裂けている。痛みで呻くことしかできない重症のはず」



一拍置いて、冷ややかに断じた。



「走るなんて絶対無理。それに、あの出血量は致命傷レベル」



心臓が跳ねる。



「でも、走ってたぞ」


「だから異常なの」



美咲の声が部屋に冷たく響いた。



「あり得ないことが起きている」


「つまり──死にかけでも動ける人間がいる。もしくは、死んでも動く人間がいる」



──死んでも動く人間



俺はそれを知っている。


ほら、何度も人類を滅ぼしてきた、《アレ》だ。



「それって……ゾンビじゃん」



口から勝手に零れていた。



真顔で頷く美咲。


ためらいもなく、論理の延長として。



ゾンビ?あのゾンビだって。


あり得ないだろ。物理的にも、生物学的にも考えられない。



仮にゾンビがいると認めたとしよう。


流石に人類は滅ばないよな?



──本能のままに動くだけの素手相手だぞ?



と頭の中でゾンビの愚かさについて検討していると、美咲がPC画面をこちらに向けてきた。



「見なさい」



モニターには雑多な情報が並んでいた。



・暴徒が増えているとする複数言語の海外記事


・感染症専門医ブログ 世界的暴徒の広がり方と感染経路を考察


・WHO声明──《感染性は不明、世界的に治安の懸念》



さらに、美咲は数字を差し出してきた。



「昨日から動画サイトに国内の《暴力事件》動画が急増してる。過去1ヶ月で500件。過去1週間で380件。そして昨日1日だけで──350件!」



言葉を失う俺。



「襲い方は似てる。タックルして人を倒す。男も女も。大体その場で揉み合いになって取り押さえられてる」


「でも、犯人が死んでいたという情報はない。WHOは病気だと声明している。だから多分、生きている」



結論が静かに落ちてきた。



「つまり、生きていると思われる凶暴な《人間》が、世界中で増えている」


「そして、この暴力は、感染する可能性がある。感染症の医師がブログに乗せていたわ。世界的に同様の発症があること、その拡大が航空網で説明できると考察していた。読む限り、そのロジックを否定できない」



・・・もう冗談では済ませられそうになかった。



「これはデマ……じゃないな。真剣に調べれば、情報は山ほどある」


「でもさ、警察が捕まえてるんだ。映画みたいに世界が崩壊するなんて……ならないだろ?」



答えを期待して、美咲を見る。


彼女は何も言わなかった。


無言の横顔。その沈黙が、今はどんな言葉より恐ろしい。



「……美咲?」



やっと返ってきた声は、低く固かった。



「どうでしょうね」



美咲の目がPCを向く。



「警察がコントロールできるなら、それで終わり。できるかどうかは……分からないわね」



胸の奥で冷たいものが落ちる感覚があった。



美咲が顔を上げる。


難しい表情で、はっきり告げる。



「コントロールできなくなる可能性があると考えて、準備した上で様子を見る。不確実なら悪い目に備える。それが原則よ」



営業ではヤバいと感じたら悲観的に対応・・・いつも美咲に言われていることだ。



「今日は金曜日だから明日も明後日も休みよね。この際……」



一呼吸置いて、美咲が微笑みかけてくる。



「アンタの家に引きこもりましょ!」



彼女の目がキッチンへ向く。



「……って、食材ないんだったわね」



冷蔵庫を開け、呆れた声が響く。



「なーんにもない」



俺も棚を漁るが、出てきたのは、カップ麺と缶ビールが数個。



「これじゃ、明日の昼までね」



俺は顔を逸らすしかない。


ゾンビなんて予定外だ。



「米はある。飢え死にはしないさ」


「夏よ。水が要る」



美咲は即座に切り返す。



「停電すればエアコンが止まる。窓を開けられなければ熱中症。水が尽きればおしまいよ!」



蒸し風呂になった部屋で「あぢー」という自分を思い浮かべる。


言葉を失った。


その光景に不快を通り越して、《死》すら感じたから。



美咲が結論を下す。



「日曜までは引きこもって全力警戒!これから、水と食料、使えそうなものを買っておきましょ!」


「コンビニなら近いけど……外に出るのは危険じゃないか?」



「危険よ。でも、水も食料も無しでは生きられない……。リスクを取りましょう」



美咲はお風呂場からタオルを、クローゼットからガムテープを取り出してきた。


手早く左前腕にタオルを巻き、ガムテープでぐるぐるに固定する。


その上から冬用コートを羽織る。



「万一の時は左腕を噛ませる。噛まれていない方がそいつを突き飛ばして全力で逃げる・・・今、思いつくのはこれくらいね」



俺は思わず息を呑んだ。


彼女はすでに戦闘のイメージを現実に落としている。



「リスクはゼロにできない。だから、取る」



美咲の声は鋭く、しかし揺るぎなかった。



ドアの外が怖い。つい数時間前帰宅したときまで外にいたのに。


今は怖い。



左腕を噛ませる?噛まれていない方がソイツを突き飛ばして逃げる?


本気か。言葉は分かるが、イメージができない。



「出る前に方針を決めておきましょう」


「無警戒で歩いたら、死にに行くようなもの」



その言葉に、俺は自然と背筋を伸ばしていた。



「警戒するの。それがアタシたちにできる最大の防御」


「出会えばきっと死ぬ。だから、先に見つける。変な動きをしている人、走って近づく人。人に見えてもできる限り近寄らない」



頭に叩き込むように、一つずつ指を折る。



「遠くで見つけたら、すぐに引き返す。家に引きこもる」



俺は頷いた。



「……玄関ドアは破れないよな?」


「ええ。素手の暴徒程度なら。だから室内にいれば安心できる」



美咲は窓の外をちらりと見た。



「2階だから、ベランダから入られることもない。数日は大丈夫」



少し呼吸が楽になった気がした。



「警戒して、何かあれば引き返す」



声に出して確認する俺。美咲が頷く。


あれ、こういう時手にするものがない。



「美咲、武器は?」



「考えたわよ。包丁でもバットでも。でも無理」


「銃刀法違反で捕まるわ。コンビニに行くために交番の前を通る。職質されたらそれで終わり」


「だから武器は持てない。防御だけ。戦わずに済ませるしかないのよ」



いや、それは縛りプレイすぎるだろ・・・。



「じゃあ、もしも、出会ってしまったらどうするんだ?」



美咲は即答する。



「先に見つけて逃げるの。それが唯一の選択肢……」


「逃げられなかったら?」


「さっきの作戦の通りやれば、《運が良ければ》生き延びられるでしょ」



──運が良ければ



勘弁してくれ。



「あのね、全力でタックルしてくる痛みを感じない男を想像してみて。きっとアタシは吹き飛ばされて、そのまま腕以外も噛まれて死ぬわ」


「・・・」



死ぬ?


美咲が?



いや、俺も死ぬのか。



あまりにも、現実感がない。


フワフワと浮いているような気分だ。



でも、左腕に固く巻かれたタオルとガムテープ。


夏に着るクソ熱い厚手のコートだけが現実だった。



締め付けと暑さが、否応なく現実を突きつけてくる。



「悟司、準備はいい?」



準備・・・その言葉に意識が研ぎ澄まされる。


一つだけ確かなことがある。



最悪でも美咲は守る。


それだけで身体に芯が通った気がした。



「あぁ、行こう。先頭は?」


「アタシよ」


「ドアは俺が開ける」



美咲を押しのけ、ドアスコープを覗き、鍵を開ける。


振り返り、美咲が頷くのを確認し、俺はドアノブに手をかけた。

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