5話 身代わりに来た娘が麗しすぎる 前編
北の大地、富めるロトランダの恐怖の公爵エレディン。毒蛇と恐れられる男だが、今の彼は結婚に悩むただの男に過ぎない。
「どうにかして奴を追い出さないと俺は奴と結婚するハメに……!!」
苦悶の表情に冷や汗だらり。
美青年の悩める姿はそれだけでも絵画になるが、エレディンとしては死活問題だ。
彼をそこまで追いつめているのはファルディスにつきつけた契約書である。
『婚約期間は一年、それを過ぎたら結婚』
と但し書きがあるのだ。
脅すためにエレディンが書いたものだが、むしろこれが今エレディンを苦しめている。
「恐怖の公爵に娘を嫁がせるバカがどこにいるんだ……!!! まさか本当に来るなんて思うはずがないだろっ!!」
ダンダンとエレディンはアンティークの机を叩く。
「アデライドもダメ、ドレーテもダメ、ロブトもダメ……どうしろというんだ!!」
作戦は次々に失敗、それどころかシンパを増やしてファンクラブまである模様だ。そして厄介なことにリカルダは行く先々で産業革命を起こし、効率アップどころか事業として成り立たせている。
洗濯房は効率アップしすぎて冒険者向けのランドリーサービス事業が立ち上がったし、縫製房は特殊な薬液などの販売事業がスタート。どちらも好調でロトランダの財政はなめらかプリンみたいにぷるっぷるに潤っている。
有能過ぎてむしろ雇いたいくらいだ。
そして悩んだ末、エレディンはリカルダに侍女の仕事ををさせることにした。
「たしかアイツは貴族らしい振る舞いは苦手だと言っていた。上級使用人はエレガントさを求められる。アイツが不得意な分野に違いない。」
「では早速、リカルダに侍女の仕事を割り振りましょう」
モーリスが言う。
「監視役は傲慢で高飛車で平民を見下すタイプの令嬢を付けろ。それくらいじゃないとリカルダの魅力にすぐやられる」
エレディンはモーリスに念を押した。
そして選ばれたのはベラフォード伯爵令嬢エレナとリギルダン伯爵令嬢マルテである。豪華な縦ロールと釣り目、華やかな美少女と黒髪ストレートの涼やかな目元、おしとやかなレディだ。
エレディンの目論見通り、令嬢たちはリカルダの存在に激怒した。
「下町育ちの公爵夫人なんて絶対に認められないわ!!マルテ!!私たちでロトランダを守るわよ!!」
「ええ、必ず追い出しましょう!!ロトランダの未来のために!!」
侍女のお仕着せはさながら戦闘服である。彼女らは戦地に行く兵士のような意気込みでドアノブを掴んだ。
そして開いた扉の中には麗しの執事がいた。
蝶ネクタイにグレーのベスト、黒ジャケットにスラックス。輝く金髪を後ろに流した美青年で執事服を着ていなければどこぞの王子様かと思ったくらいである。
「はじめまして。慣れないことも多いと思うがよろしく頼む」
美しい青年……リカルダが優しく微笑む。
エレナの心は蕩けた。直射日光に当てられたチョコレートのようにどろっどろである。
ちなみにマルテは立ったまま気絶している。クールビューティと名高い彼女が、真顔のまま気を失っていた。
そんな二人を悠々と担ぎ上げ、二人の部屋に運んで寝かせるリカルダの頼もしさといったらおとぎ話の王子様のようである。
廊下でその光景を目にしたメイドたちはキャーと黄色い声を上げ、フットマンたちはその凛々しさに憧れ、さらにファンを増やした。
■
「王子様がいたわ」
「王子様でしたわね」
起きた二人が同じように言った。
「そういえば、どこかの国の王子様が諸国漫遊の旅をしていると聞いたことがあるわ」
「私も知っていますわその噂。しかも荒くれものの傭兵に混じって腕を磨いているとか」
「仲間と下町で過ごすこともあるそうよ」
「……」
「……」
二人は見つめ合った。
「私、真実に気づいちゃったわ」
「ええ、私もですわ」
心優しい王子様が窮地に落ちたご令嬢の身代わりに……そんなストーリーが少女二人の脳内で熟成されていった。
「エレディン様から婚約破棄を言い出すのを待っているのかも」
「そうすれば違約金を支払わずに済みますものね」
「すべてわかったわ」
「ええ、なぞは解けましたわ」
二人の少女は名探偵になった気分で言った。もしも万が一リカルダが王子様だったとしたら、サクッと借金を立て替えて身代わりなどめんどくさい真似はしないだろうが、そこは箱入り娘の浅知恵である。
ツッコミ不在のまま、彼女たちは麗しくて気高い王子様の味方になろうと心に決めたのだった。