31話 公爵夫人が強すぎて誤解が加速していく 後編
パルバンテ城でエレディンが居心地の悪い思いをしているころ、リカルダは迷宮の最奥でゴキゲンだった。
「これで迷宮クリアだ!! 素材も一杯取れたしエレディンへのいい土産になるな」
返り血一つ、汗のひとしずくもないリカルダは冒険者以上の強者である。
「さすがですリカルダ様!!!」
「間近で剣技を拝見できて恐悦至極!!」
護衛が興奮したままリカルダを絶賛し、テキパキと素材を集めてお土産ボックスの中に詰めていく。ぶらり二人旅なので大量の素材を持ち歩くわけにはいかない。すべてロトランダに直送する。
「さて、パルバンテ城へ急ごう。エレディンが待っている」
好戦的な顔から柔らかな顔へと変わる。
リカルダはエレディンが大好きなのだ。
■
ところ変わってパルパンテ城。
毒蛇公爵に相思相愛の相手がいるとも知らず、マリーベルがガタガタ震えながらワインを注ぎに行った。
感情のこもっていない赤い瞳(ヤケになって遠い目をしているだけ)、固く閉ざされた唇(墓穴を掘らないように口を閉じて頑張っているだけ)、そのどれもがマリーベルを絶望の淵に追いやる。
(超絶美形なのにあんな恐ろしい噂される人だもの……中身はとんでもなく恐ろしいはずよ。どうしましょう、ポッポクル像を足で踏めとか言われるのかしら!!)
パルパンテの民の心のよりどころ、ポッポクル像。外の人から見ればただの鳩の置物だがパルパンテの民にとって愛すべき宝物である。
マリーベルの脳内で鎖で縛られ、逆さづりにされるポッポクル像が繰り広げられた。その残虐で血も涙のない所業にマリーベルはいっそうガタガタ震えた。なんて残酷なのだろう。
「ぎ、行政官オルドの娘、マリーベルでございます。エレディン様にお仕えするために参りました。どうか、パルバンテに温情を下さいませ……」
今にも倒れそうな青い顔でマリーベルは言う。
(この娘、俺が召し上げると思っているのか……?? しかも後ろに恋人らしき男が泣いている……流した噂に女好きを加えた覚えはないんだがな)
エレディンは眩暈がしてきた。
このまま誤解され続けるのは嫌だ。せめて妻以外の女性に興味がないことだけは知らせたい。
「……マリーベル殿。印さえ頂ければすぐに立ち去りますのでご心配なく。妻のリカルダを森に待たせていますので」
エレディンはがんばって笑顔を作り、丁寧な言葉を選び、『妻』 を強調して言う。
無害ですよアピールだったのだが、むしろ逆効果だった。
「も、森ですって!?」
怯える子ウサギが一転、マリーベルはキっとエレディンを睨みつけた。
「あの森はモンスターが跋扈する恐ろしい所ですわ!! そんな場所に奥様を……リカルダ様を置いてきたというのですか!!」
マリーベルだけでなくオルドたちもその意味に恐れおののく。
「北の森の!?」
「モンスターが出没して以来、立ち入り禁止になった……!!」
「一度入れば二度と戻れぬ北の森に……奥方を?」
「さすが悪名高い公爵……パルバンテを恐怖に落すための見せしめと言うことか」
一同は真っ青な顔になる。
借金のカタに奪われた薄幸な令嬢、リカルダ。
冷遇されているとは思っていたが、まさかそこまでするのか。
マリーベルは真っ青になり、ルシアンは信じられないといわんばかりに口元を手で覆った。
エレディンは失言を悟った。
(ああ……これは絶対何か誤解されている)
口を開くんじゃなかった。
誤解を解こうとしただけなのにさらに悪化している。
もう何も言わないでおこう。喋れば喋るほど墓穴を掘るような気がする。
しかし、それが逆に彼らの恐怖を狩り立てた。
沈黙すなわち肯定だと彼らは考えてしまったのだ。
「無言の圧力が恐ろしい……!!」
「見た目はこの世のものとは思えないほど麗しいのにっ!!」
墓穴を掘らないために黙っているだけなのに、人々は勝手に誤解していく。
(いまからでも誤解を訂正……いやでも、逆効果か)
エレディンは焦り始めた。
指一本動かしただけで人々はびくびくっと体を震わせる。幼い子ならまだしもナイスミドルたちがぷるぷるしているのだ。
愛妻家の彼らにとって妻をそんな危険な目に合わせるエレディンが恐ろしくてたまらない。
その中でマリーベルが気丈にも口を開いた。
「……お父様!! 騎士をお借りしますわ!! リカルダさまをお助けに参ります!!きっと恐ろしくて震えていることでしょう!!」
「なんてことを言うんだマリーベル!! 危険すぎるぞ!! それに行ったとしても……」
オルドの顔は悲しそうに歪められる。
北の森は騎士だけでなく冒険者すら一度入れば二度と帰ってこない場所である。
薄幸の令嬢、リカルダの運命はもはや決まったも同然だ。
「ですが……ですが!!!」
マリーベルは薄幸の令嬢リカルダを思うといてもたってもいられなかった。正義感の強い女性なのである。
「マリーベルやめてくれ!! 君がリカルダ嬢を思う気持ちは尊いと思う!! でも、もう手遅れだ!!それに騎士たちも巻き込む気か!?」
ルシアンは残酷な事実を突きつけた。愛するマリーベルにそんな危険な場所にって欲しくないのだ。
(正論だな)
エレディンはルシアンを見直した。
てっきり好きな女性に盲目なタイプかとおもいきや言うべきところは言う男のようである。
もちろん心優しいマリーベルの気質も好ましくはあるが、為政者として無駄な犠牲を出すのはよろしくない。
いいバランスの二人だ。結ばれればパルバンテをより発展させることだろう。投資してもいいかもなとエレディンは思った。
しかし、この雰囲気で投資すると言い出しても怖がらせるだけだろうし、マリーベルの警戒心を刺激してしまうだろう。
どうしたものかと考えたエレディンは、リカルダを呼び戻すことにした。リカルダのお楽しみを邪魔したくはなかったのだが背に腹は代えられないのである。
「すまないエレディン。楽しすぎてつい長居してしまった」
元気はつらつ、輝く顔のリカルダが暗い雰囲気の応接間を明るく照らす。
長い金髪をなびかせてやってきたリカルダはとてつもなく凛々しかった。
長い足、すらりとした高身長に鍛えられたしなやかな身体、そしてそれを包むのは白地に金糸が縫い込まれた礼服だ。華美ではないが、とても高価なものだとわかる。
「王子様だわ」
「王子様だな」
「なんて麗しい……」
その場にいる者はそう思った。
王子というと一国の王の息子なわけで、公爵よりも上!!
しかもあの毒蛇公爵にも堂々と接するのなら大国の王子だ!!
「ご無礼をお許しください!! わたくしはマリーベルと申します!! モンスターが蔓延る北の森にロトランダ公爵の妻、リカルダ嬢が一人でいるのです!! どうかお救い下さいませ!!」
マリーベルが知らず縋った。
なんとかしてあの令嬢を救いたい。その一心である。ちなみに縋っている相手はリカルダ本人である。
「心配してくれたのかい? ありがとう。でも私は強いから大丈夫だよ」
リカルダはマリーベルの手をとってゆっくりと立ち上がらせる。
そのスマートなことといったら、まるでおとぎ話の王子様のようである。マリーベルはうっとりとリカルダの麗しい顔を見上げた。
「お、王子様……。リカルダ嬢をお救い下さったのですね!!なんてお強いのでしょう……!!」
「ん? ああ、こんな格好をしているから誤解させてしまったね。ロトランダ公爵の妻、リカルダはわたしだ。エレディンに我がままをいって森に行っていたんだよ」
リカルダは悪戯がバレた少年のような顔で茶目っ気たっぷりに笑った。
「その様子だと北の森は制圧できたようだな」
ため息交じりでエレディンは言う。
リカルダが楽しめたようで良かった。苦労が報われた瞬間である。
「ああ、ボスを倒したから迷宮は消滅するし、瘴気も今日中にはすべてなくなるだろう。モンスターもいなくなるよ」
リカルダの声は大きくはないが力強く、纏うオーラの迫力に説得力があった。
「き、北の森に迷宮があったのですか!!」
「どうりでモンスターが多かったはずだ!!」
「そういえば武術の達人のどこかの王子様が諸国を漫遊しているという噂が……!!」
オルドたちはすべて理解したという顔でうんうんと頷く。
リカルダのスーパーイケメンぷりにロトランダ公爵の妻という紹介文が頭の中からすっぽ抜けた。
「いや、王子ではないのだけど……」
リカルダが間違いを訂正しようとしたところをエレディンが止める。
「言っても無駄だ。俺もさんざん誤解を解こうとしたがむしろ逆効果だった」
「それは……大変な苦労させてしまったね。一人にしてすまなかった」
「なに、お前が楽しんだのならそれでいい」
エレディンはふっと笑う。
リカルダが望むならどんなことでも叶えてあげたい。この笑顔が見れるのなら安いものだ。
仲良く二人で会話した後、リカルダはルシアンの方に視線を向けた。
麗しい王子様に見つめられてルシアンはドキンと胸を高鳴らせ、頬を赤らめる。
「キミ……瘴気に侵されているね。今まで苦しかっただろう?迷宮を消したから徐々に良くなるよ。香草を届けさせるから飲んでおくといい」
リカルダは笑顔を向け、ルシアンの細くなった肩に手を置く。
その温かさ、そしてもたらされた希望にルシアンは大粒の涙をこぼした。
崩れるようにひれ伏し、彼はありがとうございます、ありがとうございますと嗚咽でかすれながら言った。
「そんなにかしこまらなくていいよ。私はただやりたくてやっただけだし……」
バトルジャンキーの副産物である。趣味でやった迷宮撲滅にそこまで大事にされるのは申し訳ない。
「いえ、あなたさまはパルバンテの恩人でございます!!!」
ルシアンは伏したまま声を上げた。
体が妙に軽く、息苦しさもなくなっているとは感じていた。それはすべてこの方のお陰なのだ。
「ルシアン様を、そしてパルバンテのをお助け下さってありがとうございました!!」
マリーベルが同じようにひれ伏し、そしてルシアンに抱き着く。
「ルシアン!! 良かったわ……良かったわ!!!」
「ああ、マリーベル。本当に……良かった」
幼馴染二人は抱き合い、そしてオルドたちは良かった良かったと涙を流して喜ぶ。エレディンのために用意された酒宴はそのまま祝賀会へと変わった。
人々は嬉しさを噛みしめ、リカルダの杯にじゃんじゃん酒を注ぐ。さらにリカルダと仲良く会話する姿を見て恐怖心も薄れたらしく、エレディンの杯にもなみなみと注がれた。
(多すぎるな……)
飲めなくはないが嗜む程度のエレディンは困惑する。だが、その杯をリカルダが取ると一気に飲み干した。
夫婦だからの一言で片づけられない絆が二人にはある。
執事だったり、補佐官だったり、夫婦以上に時間を共にしてきた。
エレディンの好みなど知り尽くしている。
さりげない仕草だが、愛がとても詰まっているのだ。
そしてそれを目撃したマリーベルは顔を真っ赤にした。
なんて甘い空間だろうか。
想像力をあらぬ方向へ働かせた。
(きゃあああ!!! 王子様の優しいお顔!! 気遣い!! まさしく愛!!!!)
愛なのは間違っていないだけに惜しい。
前提条件を間違えたまま、マリーベルの想像は膨らんでいく。
(すべてわかったわ!! 王子様は身分を隠しているのよ!! そしてその隠れ蓑がロトランダ公爵の妻の座!! イケメン王子様が恐怖の公爵の妻になっているなんて誰も思わないわ!!)
そしてそれをこそっとルシアンに囁く。
「というわけなのよ!!」
「へえなるほど。もしかして毒蛇公爵のうわさも王子様を隠すためにワザと流したものかもしれないね。交流が増えると王子様の素性がばれやすくなるから、ウワサを流して人と距離を置いているんじゃないかな」
ルシアンが賢い頭で推理した。
大体合っているのが惜しい所である。
「まあ、まあ!! すごいわルシアン!! きっとそうなのよ!!」
マリーベルはルシアンの推理を絶賛した。
なにしろ、その推理を後押しするようにエレディンは愛しそうにリカルダを見つめ、リカルダは甘い眼差しで気を配るのである。
マリーベルは勇気を出してエレディンに問いかけた。
「あの、ぶしつけな質問で申し訳ありません。毒蛇公爵の恐ろしい噂は閣下が流したものではないでしょうか」
赤い瞳、黒い瞳の麗しい公爵は一瞬驚きはしたが、静かにコクンと頷いた。
(ようやく誤解が解けたか。ここまで本当に長かった……)
安堵からエレディンの顔は柔らかな笑みが浮かぶ。
その美しさにマリーベルは見ほれ、赤くなった。
(やっぱりいいいいい!!!! 王子様のために自分を犠牲になさったのねええええ!!!!きゃああああ!!!!!)
マリーベルは歓喜に震えた。
自らを犠牲に王子に尽くす毒蛇公爵の清い心!!最高!!
「公爵様!! 誤解していたとはいえ数々の非礼、申し訳ございませんでした!!!」
マリーベルは誠心誠意謝った。
「いや、むしろ混乱させて済まなかった。自分で蒔いた種なのであなたが気に病むことはない」
マリーベルが誤解しているとも知らず、エレディンはちょっとホっとした顔で言った。
「お優しい!!!!! お優しいですわ!!!」
マリーベルは感激した。
本当はとても優しい方なのに王子様のためにワザと悪役に甘んじている……。それが彼女の胸をキュンとさせた。
すっかり恐怖心がなくなったマリーベルたちはエレディンとも会話を楽しみ、賑やかな夜を過ごした。
■
一夜明け、健康体となったルシアンは改めてマリーベルに結婚の申し込みをした。
「マリーベル、ぼくとパルバンデを共に発展させてくれないか」
「ええ、もちろんよ。ルシアン」
二人は領民から祝福されて結婚式を挙げた。
エレディンは祝いの品をたっぷりと送って祝福した。
これで自分の評判も良くなるといいなという考えもあるのだが、人生そううまくいかない。
毒蛇公爵のイメージを守ることこそ大事と勘違いしたマリーベルは毒蛇公爵のウワサを訂正することはなかった。
一方、こちらは遠く離れたルヴァリエ王国。
ダルグレーヴ公爵は密偵からの報告を驚いた顔で読んでいた。
「王子が毒蛇公爵と手を組んだと?」
「はい。公爵閣下に対抗するためではないかと」
「ふーむ。悪名高い毒蛇公爵と手を組むほど追い込まれたか。よほどあのメッセージが効いたと見える」
ダルグレーヴ公爵が送った『漆黒の貴族は麗しいですな』カードの事である。
「いかに化け物を仲間にしたとしても弱みさえ握ってしまえばこちらのもの。はやく漆黒の貴族を調べ上げろ」
ダルグレーヴ公爵はにやりと笑った。
一方、正真正銘のカイラス王子はゼルフォリオン帝国の王宮で
「漆黒の貴族……何かの暗号かもしれんな」
と優秀な頭脳をフル回転していた。今日も徹夜である。




