29話 公爵夫人が強すぎて誤解が加速していく 前編
ゼルフォリオン帝国、帝都に逗留する美貌の王子、カイラスは整った顔を顰める。
「漆黒の貴族の情報はつかめないか」
彼を悩ませるのは政敵ダルグレーブ公爵がよこした謎のメッセージである。
『漆黒の貴族は美しいですな』
とは何を意味しているのだろうか。
「黒髪の貴族をリストアップしてきましたが、美しいかどうかは個人の趣味にゆだねられる方々ばかりですね」
エドリックは似姿付きの報告書をペラペラめくりながら難しい顔をする。どなたもユニークな顔ぶれだ。
「と、とりあえず、ダルグレープ公爵の動向を逐一報告させろ。手掛かりがなさ過ぎて意味が分からん」
カイラス王子のサラツヤ銀髪からキューティクルがなくなりつつある。ストレスは美容の大敵なのである。
一方、ダルグレーヴ公爵も頭を悩ましていた。
「……漆黒の貴族の正体がまだつかめんのか」
「もうしばらくお待ちを。王子の交友関係で黒髪貴族をリストアップしていますが美貌の黒髪貴族となると難航しております」
「そうだろうなあ。わしでさえ、ぱっと思いつく黒髪の貴族は美貌というより脂肪がしっくりくるしなあ」
ダルグレーブはうーんと悩む。
白髪交じりの髪はちょっとずつだが数が減っている。
ストレスは抜け毛の原因なのである。
二人の大物を混乱させているエレディンとリカルダは何も知らず、ぶらり二人旅を続けてメアディル領を超え、バルバンテ領に入った。
ここでも通行許可をもらうため、領主の屋敷に行くことになった。馬車移動など大掛かりなものならば「いついつに通りますよ」と先に許可を取るのでノンストップであるが、ぶらり二人旅なのでそういうわけにもいかない。
「前回で懲りた。先触れを出すぞ」
「まあ、それがいいかも」
リカルダは納得する。
「そうだろう? ロスレン。礼服に着替えて行ってこい」
エレディンは護衛(追っかけ)に指示を出した。もはや護衛でなくただの雑用係である。彼らはすぐに礼服に着替え、パルバンテ領主の城に礼節を尽くしてあいさつした。
エレディンは気を利かしたつもりだが、パルバンテ領主は非常に憶病な人物だった。
「ひぇぇえええええ!!! ど、毒蛇公爵がわが領に……!!!」
バッターンとパルバンテ領主エルネストは泡を吹いて倒れ、そのまま寝込んでしまった。
「ご領主さまああ!!」
「我々はどうすればいいんですかああ!!!!」
執事、領主補佐官、行政官、皆パニックになった。
それもそのはず、ゼルフォリオン帝国に名を響かせる悪名高い恐怖の公爵が先触れを立ててまでやってくるのである。一体どんなようなのか考えるだけでも恐ろしい。
「とにかく毒蛇公爵の機嫌を取ろう!!」
「そうじゃな!!美酒に珍味!!贅を凝らした客室でもてなそう!!」
「じゃが給仕はどうする? 大事な部下たちを毒蛇公爵の下へなど行かせたくない……」
補佐官が難しい顔をする。
どんな恐ろしい目に合うか、考えただけでも鳥肌が立つ。
「腹をくくりましょう。ここにいる我々で給仕をするのです」
執事がきりっとした顔で言った。
「……そうだな」
「わしらでやるしかない」
「領地のために」
「民のために」
「領主さまのために!!」
覚悟を決めたおっさんたちはスクラムを組んだ。大変な部下思いである。
しかし、それにダメ出しをしたのは若い女官のマリーベルだ。亜麻色の長い髪を垂らし、やわらかなシミューズドレスを纏っている。
行政官オルドの娘でもある彼女は領内一の美女と名高い。
「お父様たちの気概は買いますが、むしろ公爵様の不興を買うかもしれませんよ。ここは美女を侍らすべきでしょう」
至極まっとうな意見である。
「何を言うんだマリーベル!!」
「マリーベル殿、おっしゃる意味は分かりますが娘たちを犠牲にして利を得ろうなど断固として許可できません!!ご領主さまもそうだとおっしゃいます!!」
「その通りだ!!犠牲は我々だけで十分だ!!」
おじさんたちが断固として反対する。
しかし、マリーベルは首を振る。
「お志はすばらしいですわ。でも、それで毒蛇の怒りを買っては元も子もありません。ですから……私が参ります!! パルバンデ一の美女と称された私なら毒蛇も満足するでしょう!!」
マリーベルの瞳には決意が宿っていた。
娘の頑固さは親がよく知るところだ。
行政官オルドは男泣きに泣いた。
しかし、話はそこで収まらない。
「ダメだマリーベル!! 僕が行く!!」
亜麻色の癖毛、鳶色の瞳の優男、バルバンテ領主の息子ルシアンが言う。
薄いブラウスとゆったりしたスラックス姿の彼はさきほどまで私室で寝込んでおり、騒ぎを聞いて飛び起きたのである。数十年前から謎の病を患っている彼はほとんど寝たきりの生活である。この謎の病は彼だけではなく一部の住民が同様に寝たきりになっている。伝染しないため広がりはしないが、不治の病として諦めかけていた。
「ルシアン様!? 起き上がっていて大丈夫なのですか?」
「領地の危機に寝ているだけなんてできるものか……!!それにマリーベル、君をそんな恐ろしい男の下へとやれない!!」
ルシアンはマリーベルの手を握った。
いつか強い男になったら告白しようと思っていたほど彼はマリーベルが好きなのだ。
「……お気持ちは嬉しいですが、毒蛇公爵様の怒りに触れてはいけません。私なら大丈夫です。パルバンテを蹂躙される方が辛いですわ」
マリーベルは小さく微笑む。
結婚するならルシアンがいいとは思っていた。女官として城に上がり、彼の世話をするようになって話すことも増えた。
いつか彼の妻となり、隣に立てたらと夢を見たこともある。
だがそんな夢もパルバンテの方が大事だ。
大好きな故郷を守れるのなら夢を捨てることなど簡単なことだ。
「マリーベル……」
ルシアンの瞳に涙が浮かぶ。
毅然としたマリーベルは堂々として美しかった。
そんな彼女にルシアンはもう何も言えない。
好きな人を守れない自分がルシアンは情けなくてたまらなかった。
■
恋人未満、友達以上のルシアンとマリーベルが悲しい思いをしている一方で、エレディンとリカルダは別行動をとることになっていた。
「迷宮の気配を感じた。少し見てきていいかな?」
「……いいが、夕食までには戻ってくれよ」
心配は心配だが、目を輝かせるバトルジャンキーにダメとは言えない。
しぶしぶ許可を出し、リカルダは山へ迷宮狩りに、エレディンは川を渡って領主の城へと向かうのだった。




