25話 公爵夫人が男前ということを知らなさすぎる界隈 ~ 隣国の王子 ~
大陸の中央、偉大なゼルファリオン帝国の社交界を一言で言うなら平和ボケである。
豊か過ぎるため、派閥争いなどはなく貴族も皇帝も仲が良いし後継者争いも無縁である。
そして世間知らず社交界は毒蛇公爵の結婚の話でもちきりだった。
「皆さま。ロトランダ公爵の婚儀のお話、お聞きになりまして?」
「ええ、存じておりますわ!! なんという悲劇でしょう!!」
「いたいけな少女が毒蛇公爵の毒牙にかかるなんて恐ろしいとしか言いようがありませんわ!!」
「ガルディア様を守るためにその少女は自分を犠牲にしたとか……なんと尊いお方なのでしょう!!」
「せめてわたくしたちがいる場所だけでもお守りしなければ」
毒蛇公爵の悪名が高すぎてリカルダはまさに悲劇のヒロインだった。心優しいご令嬢やご婦人は薄幸の美少女(ただし妄想)を思って胸を痛めている。
その噂を懐疑的な目で見ている男が一人いた。
ルヴァリエ国から来た美貌の王子、そして暗殺部隊がリカルダと間違えているカイラスである。
銀髪のストレート、穏やかな瞳と端正な顔立ちの美形で文武両道の高身長、完璧イケメン王子様だ。
なお、正真正銘の男性である。
彼がなぜここにいるかというと、向上心があるゆえに大陸最大の都で学ぶため逗留していたのであった。
リカルダがいなければ暗殺部隊もきちんとカイラスの所在地を掴めただろうが、現在は黒髪美青年とデート中のカイラス王子(ただし人違い)の尾行中である。
それはさておき、ルヴァリエはゼルフォリオンと違いまっとうな貴族社会である。
生国の修羅場を潜り抜けてきた彼は社交界の噂に眉をひそめていた。
噂とは凶器だ。
腹の探り合いを常とする貴族社会で鵜呑みにするわけにはいかない。
ゼルフォリオンの平和ボケ具合を知らない彼はそう思う。
「公爵の毒牙にかかる令嬢か……。本当に悲劇の美女か疑問だな」
「とおっしゃいますと?」
「平民だったリカルダ嬢が公爵夫人に納まっているのは不可解だと思わんか。ガルディア嬢を陥れたかもしれん」
「ああ、どこかの国でそんな騒動がありましたね」
「そう。ガルディア嬢は陥れられた可能性がある。エドリック、リカルダ嬢がどういう人物か調べてきてくれ」
割と世話焼きで正義の人のカイラスが動いた。
もしここが常識人しかいないラブストーリーの世界なら不幸な少女が美貌の王子にレスキューされ意地悪な義姉とかそこらへんがザマァされていただろうが、そこは平和ボケしたゼルフォリオン帝国でのこと、そもそも不幸な少女などいない。
「エドリック補佐官! リカルダという冒険者風の男の情報は出てきますが……。本当に女性なんですよね?!」
部下の悲鳴にも似た声にエドリックは眉を顰める。
「何を言っているんだお前は!! 公爵家の養女になって公爵夫人になった人だぞ。女性に決まっている!!」
「エドリック補佐官!!このリカルダ嬢……超絶イケメンで武芸の達人でどこかの王子様という情報もあります!!」
「寝ぼけたことを言うな!! 誰がカイラス殿下のことを調べろと言った!!リカルダ嬢だリカルダ嬢!!」
補佐官エドリックがツッコミを何度も繰り返した。
今までこんなに叫んだことはない。のど飴を一袋消費したほどだ。
しかし、こんなに頑張って手に入った情報は
『どこかのお忍びの王子様で女性にモテてすこぶる美形でとにかく最強の武芸の達人』である。
「こ、こんなふざけた結果カイラス殿下にご報告できるかアアア!!! なんでそんな人間が公爵家の養女になって義姉の婚約者を奪って婚約者になっているんだおかしいだろオオ!!」
マトモで常識人だったエドリックは発狂した。
ファルディス侯爵家に行ったら失神していたかもしれない。行政官ヘルムントは神経が図太くて助かった。
エドリックは憤る。
「お前たち、ちゃんと調べたんだろうな?!!」
エドリックは部下たちを詰めた。
「もちろんです!!」
「ですが調べれば調べるほどわけがわからなってくるんですってば!!」
部下たちは必死に弁明する。
彼らも混乱中である。
「まったく!! お前たちに任せておけん!! 私が直々に調べる!!」。
優秀なエドリックが現場に出た。
最年少で大学府を卒業し、スピード出世して王子の最側近になった彼はとても有能だった。部下よりも高い解像度で情報を入手した。
フリルドレスにボディブレード、大きな羽にコルセット。
ファルディス侯爵家の購入履歴はカオスだ。
毒とかを想定していたエドリックは硬直した。
「なんなんだこれはアア!! こんなもの一体何に使うんだアアア!!!!」
もし彼がファルディス侯爵家を訪ねたら、ヘルムントが愚痴という名の詳細な情報をプレゼントしてくれただろうが、捜査の基本は秘密裏に行われる。
エドリックは生涯の友を入手し損ねた。
エドリックは徹夜で充血した目でカイラスに報告した。
「ち、調査の結果、リカルダ嬢……リカルダ殿はどこかの国の王子でガルディアの恋人ではないかという結論が出ました。ガルディア嬢がロトランダに嫁ぐのを阻止するため、リカルダ殿が女装して嫁いだという線が濃厚です……」
決定打は女装するためのドレスだ。
これを使ったのがリカルダに違いない。まさかマシュマロボディのフレナンドが使うと夢にも思わず、エドリックはリカルダ女装説を打ち立てた。
カイラスはびっくりしたが、根はいい人の彼はほっとした。
「そ、そうか。不幸な姉はいなかったのだな。良かった良かった」
(いやでも、リカルダ嬢は毒蛇公爵と結婚したんだよな? 王子なのに? 一体何があったんだ……?)
カイラスは考えれば考えるほど混乱して頭を抱える。
エドリックも同じ気分だ。
こういうときは思考を切り替えるのがベストである。
「あ、殿下。国からの速報です。ダルグレーヴ公爵が暗躍しているとのことです!!」
ダルグレーヴ公爵はカイラスの政敵である。
いつもは緊張が走る場面だが、むしろ和んだ。
「うーむ。……ダルグレーヴ公爵はわかりやすくていいな。頭の混乱がなくて助かる」
ドストレートに悪で性別もはっきりして、身元もしっかりしている。
カイラスは生まれて初めて政敵を褒めたのだった。




