番外編 エレディンとロトランダ
エレディンの過去。超シリアスです。
読み飛ばしても話は通りますのでお好みで。
冬が一年のほとんどを支配する北の大地、ロトランダ。
ロトランダ領とバスクベル伯爵領の境、リヴェンドは比較的温暖で過ごしやすい場所である。しかし街道から外れた山間部であるため人の行き来は難しく、村には古くからいた人間がほとんどだ。
エレディンが生まれたのはそんな山間の小さな村だった。
よそ者だったこの一家を村は温かく迎え入れ、生まれたエレディンを宝物のように愛した。
幼いエレディンはこの小さな村がすべてだった。
遊んでくれる隣のロージーおばさん、風邪をひいたらすっとんできてくれる薬屋のエンリケじいちゃん、裕福ではないが食うに困らず、世話焼きで心優しい村民たちに囲まれてエレディンは幸せに暮らしていた。
その幸せを壊したのは例年に類を見ない大寒波だった。
水源が凍り付いて家畜が凍死し、わずかな食料も尽きかけ、動ける者が救援を呼びに村の外に出た。エレディンの母と父もそうだ。
残されたエレディンは年老いた村の皆が必死で守り、幼いエレディンが生き残れるようにと上着や毛布、薪も食べ物もすべて与えた。
だが、いつまでたっても救援は来なかった。来れなかったと言った方が正しい。
恐ろしいモンスターたちや猛吹雪が行く手を阻んだ。そして、リヴェンドのために派遣された救助隊もその雪で山腹から上に行くことができなかった。
その土地の領主はすぐにロトランダ公爵家に救助を頼んだ。ロトランダ騎士団ならなんとかしてくれると。
時の公爵はセリオス。二十歳の青年だった。
高い魔力を持つ公爵は代々人々を守るため戦っていた。
彼もまた自ら軍と騎士団を率いて救助に向かった。
寒冷地に強い馬や装備を整えた軍はモンスターを蹴散らし、何もかもが白く塗りつぶされた村へと入った。
目を覆う光景にセリオスは自分の無力を嘆いた。
騎士団も俯き、力尽きた人々の体を丁重に土に還した。
そこで見つけた唯一の生存者が黒い髪、赤い瞳の幼いエレディンだったのだ。
セリオスは彼を一目見て叔父、ラディオスの面影を見た。赤い瞳、そして黒い髪は叔父が恋した女性のもの……。セリオスは思わず彼を抱きしめた。
しかし、エレディンはまるで人形のように微動しない。
瞳には何も見えていないようでただ虚ろだった。
自分を守るため、家族とも思う村人たちが次々に動かなくなる様子を見続けてきたエレディンは心を壊してしまったのだ。
セリオスはエレディンにかける言葉が見つからず、ただ、抱きしめるしかできなかった。エレディンはセリオスを自分の馬に乗せ、外套を何重にも羽織らせて公爵家に戻った。
「イレーヌ。見つかった……見つかったよ。叔父様の忘れ形見が」
セリオスは縋るような声で愛する妻に叫んだ。その声は喜びよりも悲しみに満ち、イレーヌはどうしたのかと心配に胸を痛めながら階段を降り、広い玄関へと向かった。
イレーヌが見たのは青い目から絶え間なく涙をこぼす愛する夫と、その腕に力なく抱かれる小さな子供だった。黒い髪、赤い瞳は美しいが、何も映していないように虚ろで、イレーヌは恐ろしく悲しいことがこの子の身の上に起こったのだとすぐに理解ができた。
イレーヌもぽろぽろと涙をこぼし、エレディンの冷たく小さな手をぎゅっと握ってなんとか温めようとした。
「……生きていてくれてありがとう。本当に……ありがとう」
イレーヌが言えたのはそれだけだった。
セリオスとイレーヌはこの従弟を実の子供のように慈しんだ。しだいにエレディンは心を開いていき、セリオスを兄上と呼んで慕い、年相応の笑顔を見せるようになった。
しかし、エレディンが10歳になった時、その幸せが奪われた。
モンスターに襲われた村を助けに行ったセリオスが帰らぬ人なったのだ。イレーヌはその悲報から没した。残されたのはエレディンと生まれたばかりのエミールだけだ。
絶望の淵に立たされたわずか10歳の彼は、墓の前で刻まれた従兄の名前、イレーヌの名前を虚ろな目で見つめながら思った。
(お金があれば優秀な傭兵団を雇うことも、軍や騎士団の装備を増強することもできた。リヴェンドの村でもそうだ。十分な食料や装備があれば母も村人たちも助かったんだ)
魔力だけではだめだ。
金だ。
金が必要だ。
エレディンはその日から人が変わったように金に固執し始めた。わずか10歳の彼は、公爵家の書庫に閉じこもり、寝食忘れてすべての蔵書を読みつくした。執事や侍女頭はその気迫に恐れおののき、出入り口に飲み物と食事を用意し、窓や戸口の隙間からそっと様子を伺うことしかできなかった。
一か月後、ようやく出てきた彼は浮浪児のようにみすぼらしかったが、赤い目は爛々と冷たく輝いていた。
エレディンは書庫で得た知識から、ロトランダでしかできない産業を次々と考案した。毒から作る薬品、モンスターの素材から作る武具などだ。その進言を受けた家臣たちは驚き、エレディンの利発さに敬服した。本来はエレディンの後見人の選定を行うつもりだったのだが、幼くも鋭い目を持ったエレディンに家臣たちは後見人など必要ないことを知った。
公爵家当主として仰ぐと決めたのだ。
しかし、家臣たちの思惑とは反対にエレディンは皆の前でこう宣言した。
「俺は中繋ぎの公爵にはなるが、それはエミールが成人するまでの話。ロトランダを帝国一の裕福な貴族家にしてからだ」
堂々とした姿は公爵家の血筋らしい気高さが感じられた。それと同時に反論すら許さず、ただ冷たい瞳で家臣たちを威圧する彼に、家臣たちはエレディンの心が閉ざされていることを知った。
エレディンはもはや誰とも踏み込んだ関係を作ろうとしなかった。
大切な人が次々といなくなる恐怖はエレディンの記憶に痛みをもって刻まれている。
優しくしてくれる屋敷の人間や家臣たち、いつ何時、冷たくて残酷な冬が彼らを攫ってしまうかもしれない。
その恐怖がエレディンを人から遠ざけるのだ。
(兄上が愛したこの土地を俺が世界で一番裕福にしてみせる)
エレディンは何者も愛さないし信じない。
金だけがすべてだ。
そうすれば兄が愛したこの土地を守れるのだから。




