1話 身代わりに来た娘が男前すぎる 前編
西の大陸の中心、ゼルフォリオン帝国の北部は一年の半分が雪で閉ざされている。
ロトランダと呼ばれるそこは、絶望のように黒い髪と鮮血のように赤い瞳の毒蛇と恐れられる男が支配していた。
歴史ある家門ロトランダ公爵家は皇帝に次ぐ権力を持ち、公爵の逆鱗に触れて貴族名鑑から抹消された家は数知れず。
冒険者すら恐れる『毒蛇の森』をも管理下に置き、モンスター共の毒液は医薬品に、牙や爪は頑丈な武具に、毛皮は防水・耐火製品として高く売れた。
それを元手に起こした金貸し業は非常に好調で、超低金利・最初の半年は金利ナシの売り文句が懐寂しい貴族たちのハートにヒットした。
返せば大丈夫。
皆はそうタカを括っていたのである。
しかし、この世に絶対はないもので、ファーテル商会を営むファルディス侯爵家は事業失敗により返済が困難になってしまったのである。
このままではファーテル商会を売却する他ない。
そんなファルディス侯爵家に毒蛇公爵は侯爵に交換条件を出した。
『娘を嫁にくれれば借金は帳消しにする』
と。
「嫌よ嫌!! 絶対に嫌よお父様!!」
社交界の華と名高いガルディアは泣いて懇願する。
「あなた!! こんな可愛い娘を毒蛇公爵の下へ送るつもりなの?! わたくしは絶対に許しませんからね!!」
妻のナディールは目を吊り上げて言った。ちなみに侯爵の破産原因はこの二人の浪費が原因である。
「わ、わかっている。私だって可愛いガルディアをあのような男に嫁がせたくはない!! そうだ! 身代わりを立てよう!! 遠縁に使えそうなやつがいたはずだ」
フレナンドが思い浮かべるのは大叔父の孫娘だ。フレナンドから見ると従兄弟の娘である。従兄弟が一族の反対を押し切って駆け落ちした際にできた子で今は下町で暮らしていると聞く。
「そいつにしても食うや食わずの生活をしているより、公爵夫人になった方が幸せだろう。早速引き取って花嫁修業だ!!」
こうして連れてこられたのが、リカルダだった。
「私がリカルダだ。よろしく」
ハスキーな声と陽に焼けた顔、引き締まった体にすらりとした背丈、灰色のシャツと黒のスラックスがよく似合う人物だった。癖のない金髪を後ろに束ねて露になった顎のラインはすっきりとして彫像のような顔立ちがよくわかる。濃いブルーの瞳に高い鼻、そしてそこに優しく浮かべられた笑みはどんなお菓子よりも甘かった。
「おおおおお、お父様。人違いをなさってはいけませんわよ。ですが、せっかく来ていただいたのに追い返すのも悪いですから私の従僕……いえ、専属執事にいたしましょう!!!!」
頬を紅潮させてガルディアは言う。社交界の華として貴族の殿方を射止めてきた彼女が一瞬でハートを盗まれていた。
「まあ、いけませんよガルディア。年頃の娘がこんなイケメンを連れて歩くと噂になるでしょう?ここはわたくしの執事として引き取りますわ」
こちらも顔を真っ赤にしてナディールが言う。彼女も落ちた。
フレナンドは驚きすぎて絶句していた。
そんな三人に気まずそうな顔で言うのは執事長のリチャードだ。
「恐れながらお嬢様、奥様。間違いなく遠縁のご息女でいらっしゃいます。私も信じられなくて念入りに調べました……」
信頼する執事の言葉に皆が目を点にする。
リカルダは少し照れた顔をした。
「傭兵団暮らしが長くて貴族の作法っていうのがからっきしなんだ。すまないな」
言葉遣いは確かに悪いが、彼女の人柄の良さが温かさとなって言葉に宿っていた。
その率直な物言いにガルディアは好感を抱く。けしてワイルドイケメンで素敵と目がハートになったからだけではない。ナディールやフレナンドもだ。
そしてガルディアはそんなリカルダを見て自分が恥ずかしくなった。無理矢理つれてきて問題を押し付けるなど人間の風上にもおけない。
「お父様。例の縁談、わたくしが行きますわ。人に押し付けて自分の責任を果たさない人間になりたくありませんもの」
ガルディアがキリっとした顔で言った。
「まあ、ガルディア……。いえ、可愛いあなたにそんな苦労を強いるわけにはいきません。わたくしが行きます。わたくしもまだまだセブンティーンで通りますわ!!」
ナディールが堂々と言い放った。娘を守ろうとする母の姿は美しい。
「いやだめだ。娘と妻に苦労をかけてとあってはファルディス侯爵の名が廃る。ここは私が女装して……!!」
家族のために立ち上がる父の姿は頼もしい。しかし、三人を制したのはリカルダだった。彼女はフっと優しく笑う。
「私が行く。ここに来たのは遠縁の姉が窮地に立っていると聞いたからだ」
「そ、そんな……ダメよ!!!」
「姉上、その涙で十分だ。家族がいたと聞かされた時、私は涙が出るほどうれしかったんだ。家族のために私ができることがあるのならこれほど嬉しいことはない。執事さん。ファルディス侯爵家の名に恥じない作法を私に教えてくれないか」
反対する皆を宥め、リカルダは一流の家庭教師にあらゆる作法を教わった。そして一か月が過ぎたころ、ほれぼれするような男前が完成した。
引き締まった細身の体躯は優雅さと逞しさが同居し、濃いブルーの瞳はワイルドさに加えて洗練された凛々しさがあった。皮手袋に覆われた手は逞しさが溢れ、衣服の隙間から見えるうなじや手首、首元が酔ってしまいそうな色香を放つのだ。
「若、準備は整いました」
公爵家への旅路に付き添うのはファルディス侯爵家専属の騎士団だ。リカルダは朝夕の訓練に参加し、その力量と気さくさから『若』と慕われていた。
「ああ、ご苦労。それじゃあ、姉上、父上、母上。行って参ります」
「うう……リカルダ。行かないで行かないで!! やっぱりわたくしが代わりに行くわ!!」
「姉上、その言葉だけで十分です。それに今生の別れってわけでもありませんし、また会いに来ますよ」
ガルディアはリカルダの逞しい胸でおんおんと泣いた。ナディールとフレナンドはお互いを支え合い、涙を流していた。
「あなた、今からでもわたくしが代わりに……」
「いや、わたしが……」
「父上、母上も無理をなさらずに。私にお任せください」
リカルダはナディールとフレナンドの肩を叩き、喝を入れた。
こうして身代わりになったリカルダは人々の恐れる毒蛇公爵の下へと嫁ぐのであった。