夢
何十日も過ぎると、道が険しくなってきた。
町も少なくなり、ルイスは日持ちする食料を買い求めた。
だが足りない。腹は減り、力が出なくなる。
ある日の昼すぎ、少し休もうと道をそれた。枯葉の山を見つけ、虫籠をおろして横になった。
こうなっては家柄も父の仕事も関係なかった。
金が頼りだ、と思うと、襲ってきた男の暗い顔がよぎり気分を憂鬱にさせる。
気を失ったように眠り、どのくらいの時が経ったのか。
人の気配でルイスは目を覚ました。
小さな少女が虫籠を開けていた。
「触るな!」
少女は大声に動じず、黒い瞳でルイスを見上げた。
「でもおやさい、しなびちゃってるよ」
「え?」
ルイスは慌てて虫籠の中を見た。
今まではたまに葉を入れていればそれで大丈夫だった。それが確かに、しわしわになり水分が抜けきっている。
「ごはんあげないとね、しんじゃうもんね」
そう言って少女は小さな葉を虫籠に差し入れる。
「あ、ありがとう」
礼を言ったのは久しぶりだった。
「どういたしまして」
少女は無邪気な笑顔を見せると立ち去った。行く先はすでに薄暗く、夜が訪れようとしている。
はぁ、と吐いた息が白い。冬が近い。空気が乾燥したから葉がしなびたのだと思い至った。
立ち上がり、歩く。
虫籠が重く感じられた。
一歩進み、ふと少女の言葉がよぎる。
「しんじゃうもんね」
さらに一歩進み、父の言葉もよみがえる。
「解くのが難しい魔法は、人を生きながらにして殺す」
ずっと考えないようにしていたこと。心に開いた穴の奥底にあるもの……罪の意識が這い出てきた。
お父様の裁きは間違っていなかった。
こうなったのは、自分のせいだ。
その夜、夢を見た。
真っ白な世界。
テオは無表情でルイスの前に立っていた。
「ルイス、僕の気持ちを考えたことある?」
「……」
「貧乏人が指図すんな、って話も聞かないで
あげくこんな体にして」
「僕は……力を知らしめて口答えしないようにと、思って」
テオは、首を傾げた。
「力って何?
裕福な家に生まれたこと?
父親が偉いこと?
それは、君の力?」
「……」
少しくらい悪さをしても、世界の中心は自分だった。禁書を書いた奴が、貧乏な奴が、自分に逆らう奴が悪いと思っていた。
「でも、本当は違うって、わかってるんでしょ。
力も環境も関係ない。
君自身が罪を犯したんだ」
なぜだかこの場でなら素直に受け取れた。その通りだ、と思った。
「テオ、僕が悪かった。
僕は罪人だ」
汚れた魂の、愚かな人間だ。
自分が馬鹿にしていた貧しさよりも、悪だ。
白い世界が足元から黒く変色していく。いつの間にかテオはいない。黒は霧のように辺りにたちこめ、ルイスを真っ黒に染め上げる。
息ができない。
目が覚めると、冬だというのに汗をかいていた。
真っ先に虫籠を確認した。
虫になっても、テオは生きている。
あの日から、テオの人生を奪って、今なお命を握っている。
もうずっと、彼の言葉を聞いていない。
人語を理解しているのさえわからない。
人としての時間は止まってしまったのかもしれない。
「テオ……」
虫にされていなければ、今頃は両親に囲まれて家にいただろう。
自分がその機会を奪った。
絶望しただろう。恨んで、当然だ。
ルイスは虫籠の前にひれ伏した。
「テオ、ごめん……」
答えはない。