死体の降る街
死ぬってどういうことか、私は知っている。
悲しみってどういうものか、私は知っている。
この世界のどこで何が起きているのかを、全て正確に知る術は無い。世界の仕組みとは複雑なもので、一介の人間に把握できるものではない。答えの出ない考え事に思考を奪われ、それを振り切ることもできずに想像し続ける意味は無いのかもしれない。私は毎朝決まった時間に目を覚まし、決まった時間に部屋を出発し、決まった時間に仕事場への道を歩きながら、決まって同じ考え事をする。そうしなければならない気がしている。そうせざるを得ない理由がある。なぜならば、私の仕事場には、死体が降ってくる。
この世界のどこで何が起きているのかを、全て正確に知る術はない。私が知っているのは、街外れでは夜の闇に紛れて死体が降ってくるということだけだ。一晩で十人程度、多いときには二十人以上の人間がゆっくりふわりと降ってくる。草一つ無い土の上に音も無く着地し、唯々物言わず眠り続ける。私はその死体を墓に埋めて葬る仕事を続けている。私に幼い頃の記憶は無い。私の祖母が言うには、昔の記憶なんて必然的に忘れゆくものらしい。だが、もともとあった記憶が薄れていったという感じではなく、最初から無かったような気がしている。現状、私の最初の記憶は十年前の頃のものだ。当時七歳の私は、多数の死体の真ん中に立ち尽くし、それを"片付ける"順番を考えていた。
最初の頃は、ただ機械的に死体を"片付けて"いた。広場に降ってきた死体を、台車で近くの墓場まで運び、埋め、墓場から広場へ戻る。それを延々と繰り返し、広場に死体が無くなったら、その日の仕事は終了。最初はそれだけで良かった。街の人々は、毎日死体を"片付けて"いる私のことを薄気味悪がったが、私はこの仕事を辞めなかった。単純に他の仕事が無かったというのもある。だがしかし、それ以上に辞めてはいけない気がしていた。死体がそのまま朽ち果てるのを私は善しとしていなかった。私は彼らの死を想う。そのとき、私の頬には一筋の涙が流れる。
私は街の外れの路地裏に住んでいる。この路地裏では、私と同じように身寄りの無い少年少女が、それぞれに与えられた仕事をこなして生きている。仕事は、謎の髭男が斡旋してくる。私は毎日死体を"片付けた"後に髭男の元を訪ね、いくばくかの賃金を得る。その金を食料品に換えて、私は日々を過ごしている。この街では、髭男から仕事を貰っている人間は差別の対象である。数日に一回、私はどこからともなく石を投げ付けられる。私は、この石を投げ付けられる瞬間が、死体を"片付けて"いるときよりも怖かった。
私は街外れの路地裏の一室で、祖母と二人暮らしをしている。血の繋がりは無いが、祖母は優しかった。私が帰ると、祖母は毎日暖かなスープを作ってくれた。そして、外でお金を稼いでくる私を尊敬してくれていた。私も、世界一美味しいスープを作れる祖母を尊敬していた。静かな食事を終えた後、私はひたすらに読書をした。祖母の部屋の隣の部屋には、数え切れないほどの本があった。祖母の死んだ亭主が集めたものらしく、形見として大切に保管されていた。そこにある本を全て読むことで、祖母のことが今よりも理解できるのではないかと感じていた。いつものように本を読んでいると、祖母が読書部屋に現れた。その手には、手編みのマフラーが携えられていた。最近寒くなってきた外へと働きに出る、私へのプレゼントだった。
ある日仕事から帰ると、部屋の窓ガラスが石によって粉々に砕かれていた。そして部屋の中に入ると、祖母が死んでいた。血だらけの祖母の近くに、石が転がっていた。
そこから先のことは、あまり覚えていない。息が詰まり、気を抜くと呼吸をすることを忘れてしまいそうだった。何故だか解らないが、犯人に対する怒りが湧かなかった。何故だか解らない。何故だか解らないが。怒りよりも悲しみが私の体を支配した。悲しみの重みによって、私は殺される気がした。私は祖母の死体を背負い、そのまま部屋を飛び出した。どこをどう歩いたのかはわからないが、私はいつもの仕事場である墓場にいた。私はいつものように、手馴れた動作で祖母の死体を"片付け"終えていた。涙が枯れることは無かった。祖母が編んでくれたマフラーの暖かさが、涙の量を増やした。
そして私は、ますます仕事を辞めるわけにはいかなくなった。毎朝、広場に横たわる死体に、今までの比にならない重みを感じた。私は死体を運ぶ前に、黙祷を行うようになった。私は彼らの死を想う。そのとき、私の頬には幾筋もの涙が流れる。そして、今までの浅はかな想像力で、彼らの死を解ったつもりになっていたことを恥じる。機械的に唯々作業していた今までの自分を恥じる。彼らを"片付ける"などと言っていた自分を恥じる。マフラーをぎゅっと握り締めて、私は仕事を開始する。
そして数日が経ったある日の朝。今日も私は死体に囲まれて立っている。私は長い黙祷を終え、ゆっくりと眼を開いた。すると、視界の端に、ゆっくりふわりと降ってくる一体の死体を見付けた。今まで、死体が夜の間以外に降ってくることなんて無かった。私は今まさに降ってくる死体の落下地点へと駆け出した。
その死体は、同い歳くらいの少年のものだった。ゆっくりと私の目線を通り過ぎ、私の足元に音も無く落ち着いた。私は呆然としながら、慌てて瞳を閉じて黙祷を行った。私と同じくらいの歳で死んでしまうことについて、昏い想いを馳せた。それは普段、できるだけ考えないように目を背けていた考え方だった。即ち、祖母の代わりに私が石で死んでいたならば、という仮定とも後悔ともとれない考え方だ。閉じられた瞳から涙が溢れ出した。私はゆっくりと眼を開いた。そして、死体の少年の瞳から溢れ出す涙を確認した。死体の少年もゆっくりと眼を開いた。涙でぐちゃぐちゃの顔で、私たちはしばらく見詰め合った。少年が口を開く。
彼は言った。「ここは天国か?俺は死んだのか?」
私は言った。「ここは天国じゃない。あなたは死んでない。」
一瞬の空白。
私は言った。「だって、」
空白。
私は言った。「死ぬってどういうことか、私は知っている。」
彼は言った。「誰が一体そんなことを教えたんだ。」
・15[人/日]
・10[年]×365[日] = 3650[日]
・3650[日]×15[人/日] = 53400[人] !