8-1.羊飼いの青年
予定時刻ちょうどに、コンコンと玄関のドアがノックされ、エリザベスはドアを開けた。
「あらあら、準備万端ね」
いらっしゃいと言って彼女は佇んでいる人物に微笑んだ。
彼女の目の前には、作業用の服を着て大きな鞄をもったオーギュストがいた。
「こっこの前は、お茶をご馳走さまでした!」
オーギュストがお辞儀してそう挨拶すると、エリザベスはそんなかしこまらないで。
こちらこそ手伝ってもらえてありがたい。
むしろ家族と思って、もっと楽に話していい、自分のこともエリザベスと呼んでいいと言った。
ところで、なぜ、オーギュストが彼女の家に現れたのか。
それは数日前、きっとエリザベスの家の牧場も、人手不足で羊の世話をしてくれる人を探しているに違いない。
仮に人手不足でなかったとしても、勉強のために無償でやると言ったら、未経験でも喜んで受け入れてくれるだろうとエドガーが言ったからだ。
案の定、エドガーがシャーロットに連絡を入れると、毛刈りの季節だし直ぐにでも来てくれると助かると言われて、今に至るというわけだ。
「食事はなんとか母屋で一緒に取れるよう"交渉"はできたのだけど、部屋はこちらを使いなさいと母が引かなくて。ごめんなさいね」
そう言って、エリザベスは母屋ではなく、離れの方に用意したオーギュストのための部屋を案内した。
もちろん彼女やシャーロットは、労働者としてではなく勉強としてくるのだから、母屋に泊めてあげて欲しいと母親に懇願した。
しかし、母親は彼は若い男性だし、うちには未婚の娘が二人いる。
同じ屋根で暮らすのなんてとんでもない!
それに、外で作業した後に家に入ってこられたら泥だらけでしょう。ただでさえ古いのに、これ以上家は汚したくないの。
それに、使用人部屋に押し込むのではなく、離れを使えと言ってるのだからむしろ感謝しなさい。
食事もお客様として招いてる訳ではないのだから、一人で取るか使用人達と一緒に取ってもらいます!
と、猛反対をしたのだ。
「そんな、食事も別だなんて冷たすぎるでしょう。ねぇ、お父様?!」
母娘のいつもの喧嘩か。
我関せずといういつもの様子で、椅子に座って新聞を読んでいる父親に向かってシャーロットは言葉を投げた。
「うーん、そうだなぁ……でも、母さんの言う通り、彼は客人ではないし身内でもないのに同じ屋根の下というのは」
新聞を読んだまま、面倒くさそうに父親が母親を方に同調しようとしたので
「お父様、ちょっとちゃんと話を聞いて! 彼はそんな野蛮な人じゃない。それに、彼は幼いころに家族を失っているのよ。もしかしたら、家族の温かさだってあまり知らないかも知れないの。せっかくだから、そういうのだって経験させてあげたいじゃない。それを一人で食事しろって……ひどすぎるわ」
シャーロットは新聞を読んだままの父親の手に、自分の手を重ねるとぽろぽろと涙をこぼした。
こうなると弱いというのが父親である。 シャーロットは末っ子だったので、父親も彼女には特に甘かった。
困ったなぁという顔をして、新聞を読むのをやめ額を搔いている。
「では、こうしよう。泊まってもらうのは離れにしてもらう。やはり母さんの意見も一理あるし、これには賛成だ。それに、今の季節は寒いわけではないし、あちらで寝起きしても問題ないだろう。しかし、食事に関しては我々と一緒にとっていただく。私としても、色々なところを巡っている彼から話を聞いてみたいもんなぁ。だから、私の客としてご招待しよう。それで文句ないな、母さん!」
母親としては、自分の要求がすべて通らなかったことに不服そうで何やらぶつぶつ言っているが、娘たちは手に手を取って大喜びをした。
そのような経緯があって、オーギュストは離れの二階に通されたのだが、部屋自体は簡素な造りで派手な装飾などはなく、棚のついた書き物机と椅子、そしてシンプルなベッド、小さなテーブルと腰掛椅子がおかれていた。
天井を見れば、小さな天窓がついているので日当たりは悪くなさそうだ。
「お洗濯やお掃除は女中に頼めばやってくれるから、必要があれば彼女に声をかけてちょうだい」
「お気遣いありがとうござい……じゃなくて、ありがとう。でも、自分でできることは自分でやってみたいので。洗濯物を干すには、裏庭を使ってもいいです……かな?」
彼のぎこちない話し方はともかく、面倒なことをわざわざやりたいというオーギュストに対して、エリザベスは少し不思議に思った。
しかし、やはりそういうところがこの人は面白いなと思って、ええもちろんと彼女は微笑んだ。
一方、オーギュストの方は、むしろ、すべて自分のことは自分でやるという環境を面倒に思うどころか心を躍らせた。
というのも、彼女たちには内緒にしているが、ずっと彼は使用人に囲まれた生活してきたので、掃除はもちろん洗濯も自分ですると言うことは殆どなかった。
むしろ、何か困った事があればすぐ使用人の誰かがとんで来たし、そもそも準備されていないということもまずなかった。
道中もそうだったが、グラハム夫人の家だって使用人はいるし、細かい身の回りのことはシャルルがやってくれている。
もちろん、当主となれば、当然そのような生活が続く。
別にその生活に窮屈さを感じるわけではないのだが、もし自分でやると言ったら、周りがそれは自分の仕事だからと彼にやらさせる事は絶対にないだろう。
だから、今はそれを楽しめる唯一のチャンスなのかもしれない。
この経験は思わぬ収穫だと彼は思うのだった。