39.Vogue
オーギュストがグラハム邸に着くと、玄関先に反物を詰んだ荷馬車、さらに来客と思われる馬車が複数台止められていた。
あれは何なんだろう、と思いながら玄関のドアをノックするとシャルルが出迎えてくれたのだが、上着を脱がせる猶予も持たせず、今すぐホールへ来てくださいと彼の腕を引っ張った。
ホールに行くと、長椅子やテーブルには数十種類の布、更には人台、アイロン、糸、針と針山、鋏、芯地、ボタンが並べられ、さらに首からメジャーを掛けエプロンを着た数人の男と、そのアシスタントだと思われる男達が手を前に組んで彼を待っていた。
「どうしたんだ? これ」
オーギュストが不思議な光景に驚いていると、ラファエルがやってきた。
「あなたのために呼んだのですよ。はるばるロンドンから」
ラファエルによると、オーギュストがパーティで着るための衣装を作るため、ロンドンのサヴィル・ロウからわざわざテイラーを呼び出したらしい。
「たかがパーティで着る一着のために?! そんなの手持ちの服で十分……」
と驚いたオーギュストが言いかけたところで、ラファエルはメガネを光らせると首を横に振った。
「いいですか。あなたのお爺様は人はまず見た目で判断されると身なりにはかなり気を配っていました。あなたも当主になられたのですから、まずは見た目からだけでも当主らしい服装をしてください。形から入る事も大事なことですから」
まるで上から下をなぞるように、ラファエルはその辺に居そうな男の服装と大差ない彼の姿を見た。
「それに、今までは我々がお膳立てをして色々と見繕っていましたが、これからはあなたが色々と判断しなければなりません。ですが、判断するにはまず最上級のものを知る必要があります」
今回はその丁度いい機会だとラファエルは言った。
「こちらにお呼びしたのは稀代のダンディとして知られるボー・ブランメルが贔屓にしているテイラーの方々です。ブランメルに習って上着、ジレ、シャツ、ズボン、小物が得意な方をそれぞれお呼びしました。さあ、みなさん、お願いします!」
ラファエルがそう呼びかけると、アシスタントたちが反物を何点か持ってきて、上着担当だと思われる男が鏡の前でオーギュストに様々な色の布を合わせた。
一見すると似たような暗い色ばかりだが、微妙にニュアンスが違うらしい。
そして、色が決まると今度はメジャーで細かく採寸され、さらに何点ものデザイン画からどのような雰囲気が好みなのかと聞かれた。
さらに靴のフィッティングに帽子のデザイン……などなど。
一通りの事が終わってようやく休めるか、と思えば今度は理髪師がいるから髪を切れとオーギュストは別室に連れて行かれた。
「なんでここまでやらなきゃいけないんだ……」
髪を切られながら彼がそう文句を言っていると、後ろに立っていたラファエルはこう言った。
「それは、あなたが好きな女性と過ごすためでしょう。案外、男女なんて見た目を変えただけで、ノーだったものがイエスに変わるものなのですよ。特に男は髪型を変えるだけでもだいぶ雰囲気が変わりますから。それとも、あなたの好きな方は見た目に気を使うのすら面倒だと思う相手なのですか?」
「……」
わかりました。素直に従います。とでも言いた気にオーギュストは目を瞬かせて黙った。
◆◆◆
「あらあら、ずいぶん変わったわねぇ」
「素晴らしい……! まるで洗練されたロンドンの社交界からそのままやってきたようだ」
髪を切られ、おおかた出来上がった服と小物を身につけたオーギュストがグラハム夫人とエドガーの前に現れると、二人は彼のことをそう褒め称えた。
確かに採寸通りの服は無駄なシワもなく、彼の背をより高く見せてくれるような気がした。
全体的にはシンプルなデザインなのだが、それがかえって生地の質、肩やウェストの丸み、肩のイセなど職人の優れた技術力を際立たせている。
襟のシルエットも美しいラインを描いており、鹿革のズボンもピッタリだ。
そして仕上げに、合わせるシグネットとウォッチキー、懐中時計はどれがいいかと、シャルルがそれらの入った箱を持ってきた。
心なしか服を綺麗に見せるために、オーギュストが背筋をピンとしていると、また彼のことを上から下まで見たラファエルがなぜかため息をついた。
「確かに服装は洗練されましたが、こちらに来てだいぶカジュアルになったのか、少々姿勢が砕け過ぎているようですね。シャルル! 何か本を持ってきなさい」
そう言って、ラファエルはオーギュストの姿勢を正す練習をするため、彼をまた別室へと連れて行った。
「なかなか手厳しいなぁ」
エドガーは完璧を求められているオーギュストに苦笑いした。
「ええ。でも、女なら見た目も身のこなしも完璧な王子様に手をとられて嫌がるはずがないわよ。それに、やれることはやって、彼には悔いがないようにして欲しいわ」
さあ、私もパーティに向けて準備をしなければ。エドガー、手伝って頂戴とグラハム夫人は彼を手招きした。




