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37.milky way

 オーギュストがグラハム邸から戻ったその日の夕食時。

 いつもであれば、やっと夕食だと目を輝かせているオーギュストなのに、今日はあちらから帰ってきてからずっと浮かない顔をしている。


「やあねぇ、あなたまだ体調が戻ってないんじゃなくて?」

 浮かない顔をしている彼に、エリザベスの母親が声をかけた。

 病み上がりなのに、出掛けて行ったからまた悪くなったんじゃないかと彼女なりに心配しているようだ。


「いえ、これは違うんです……はぁ」

 ため息をついたオーギュストは、どう切り出そうかと悩んでいたのである。

 本来であればもう少し長くここにいれたのに、急遽あと二週間で帰国しなければならなくなったことを。

 だが、いつかは言わないといけない事だと彼は意を決して、実は……と皆にその事を伝えた。



 すると一同は大変驚き、エリザベスもシャーロットもなんでそんなに早く帰ることになったのかと理由を彼に聞いた。

 もちろん、彼は相続の件でとは口が裂けても今は言えなかったため、例の政治的な影響であるとだけ伝えた。


「そうか……こうやって、個人個人で付き合えば問題がなくとも、政治的にはねぇ。そんな事で帰らなければならないなんて、実に悲しい事だ」

 はぁとエリザベスの父親も残念そうにため息をついた。

「だが、君がここに勉強の一環で手伝いにきてくれたことは、本当に助かったと思うよ。まあ、私のところはグラハムさんの所のように、豪華なパーティを開く事はできないが、代わりとして君がここにいる間は君の好物を毎日出すことにしよう」

 それが私がせめて君にできる感謝の気持ちだと父親は言った。


「お気遣いありがとうございます、旦那様。僕としても、今までこうやって賑やかに食卓を囲む事はなかったから、とてもいい経験になりました」

 オーギュストはエリザベスの両親に微笑むと、母親はここに居られるのも残り少ないんだから、遠慮せずにおかわりもしなさい。あなたはよく食べるんだから! と返した。


「本当、帰ってしまうなんて残念だわ……オーギュストさんも寂しいでしょう?」

 シャーロットもしんみりした顔をしている。

 だが、彼女は突如いい事をピンと思いついたとでも言うように顔を輝かせた。

「そうだわ! いっその事、ねえ様を一緒に連れて行ってしまえばいいのよ!」


 冗談なのか本気なのかわからないシャーロットの意見に、オーギュストは食べていたものを喉に詰まらせそうになった。

「……ゴホン。ちょ、ちょっとシャーロット、何を言ってるんだ……」

「だって、ねえ様だって私や上のねえ様に世話になるのも良くないって前に言ってたじゃない。それなら、いっその事、オーギュストさんと新しい土地に行くのもいいんじゃなくて?!」


 シャーロットの案にオーギュストは内心ハラハラした。

 だが、この案に対して父親の方が妙に乗ってきた。

「おお、そうだなぁ、シャーロット。どうかね、オーギュスト君。うちのエリザベスを嫁に貰っては。ちょっと年上なのがアレだが……まあ、私は反対せんぞ!」

 ハハハと彼は笑った。


 父親もどうだろうと言ってるのを聞いて、シャーロットはニヤニヤと笑いながらオーギュストの方を見つめた。

 彼女の方も、せっかくこの前オーギュストが姉に愛を伝えられるチャンスがあったのに、特に何もなかったと知ってがっかりしていたのだ。

 むしろ、この場でオーギュストの代わりに、姉の事が好きなんだと伝えたいくらいだった。


 しかし、それに対して釘を刺したのは母親だった。

「もう、二人とも何言ってるの。変な事言わないでちょうだい……第一、いきなり文化も違う異国で暮らすなんて苦労することしか目に見えないわ」

 言語の壁やら、どうやって生計を立てていくのか、それに何かあっても遠過ぎて自分は駆けつける事もできない……などなど

 彼女の意見に、急に現実に引き戻されると二人はシュンとした。


「ま、まあ。確かにお母様の言う通りね。異国での生活は想像できない分、色々と想像してしまうのは事実だわ。ふふ……」

 エリザベスはワインを一口飲むと、異国での生活ねぇとポツリとつぶやいた。

 一方、母親の方はああ言うのが心配、こう言うのが良くないなどまだ言っている。


「ところで、今日は何日だったかなあ」

 母親から文句をこれ以上出させたくないからか、父親は急にそう言い出すと、自分の指を数え始めた。

「ええと、だからこれで……おお、ちょうど良かった! オーギュスト君。君がグラハム邸に戻る前日の夜、新月になるんだ。もし、気が向いたら庭に出て見ていくといい。月明かりがない分、星が最高に綺麗にみえるぞ」

 ここは何もない田舎だが、星空だけは自慢だ。思い出にぜひ見て行って欲しいと彼は付け加えた。


◆◆◆


 それから三日が過ぎ、四日が過ぎ……気がつけば、明日にはグラハム邸に戻る日となっていた。


 ……結局、何もできなかったな……


 夕食の後、荷造りを終えたオーギュストは自室の椅子に背を預けるようにして座った。

 

 実は結局この日まで、彼はエリザベスに対して何も行動する事はなかったのである。

 そもそも、あの母親の言う通り、異国に一緒に来て欲しいと伝えたとして、果たして彼女はイエスと言ってくれるだろうか。

 しかも、もしかしたらラファエルの言う通り、二度とここには戻って来れない恐れもある。

 さらに、例のメリディエス家にまつわる呪いの噂……


 こんな悪条件がある中、断られたら自分はどれほど傷つくのだろうかと、オーギュストは急に恐ろしくなった。

 やはり、何も言わずに"何もない関係"のまま帰国するのが一番いいのではないか……と彼は思いながらテーブルをみると、明かりの灯されているランタンが目に入った。


 そう言えば、今日は父親が言っていた新月に当たる日だ。

 天窓を見れば星がキラキラと輝いている。

 外に出てみれば何かいい考えも浮かぶかもしれない、とオーギュストはランタンを手に持ち牧場の方へと向かった。



「うわぁ、本当に綺麗だ……」

 オーギュストは、星の輝きを邪魔する月明かりも雲もない空を見上げてそう呟いた。

 星は空全体に輝いており、今にも降り注いできそうな感覚を彼は覚えた。

 今まで夜空なんて気にした事はなかったが、あの父親が自慢したいと言っていた気持ちが今ならわかる。

 もし、絵を描くことが出来たのなら、この風景を間違いなく描いていた。なぜ、自分はきちんと絵を習っていなかったのだろう……

 なんて素晴らしい場所に自分はいたんだと、オーギュストは感動して目を潤ませた。


 すると

「どう? ここから見える星空は綺麗でしょう?」

突然、オーギュストは背後から話しかけられた。

 彼が振り返ると、そこにはランタンを持ったエリザベスがいた。

「さっき外に出ていくのを見たから、私も見たくなって出てきたくなってしまったの。小さい頃はね、お父様が下の妹達も連れ出して、こうやってみんなで星空をよく眺めていたのよ」

 懐かしいわぁと言って、エリザベスは微笑みながら空を見上げた。


 星を見つめる彼女の横顔はとても美しく、オーギュストはいつもよりも胸が高鳴った。

 透き通るように滑らかで白い肌、長いまつ毛、すっきりとした鼻筋、そして愛らしい唇……

 もし、自分が行動的に出れる男だったら、彼女を黙って寄せて強引に唇を奪ってかもしれない、と彼にとってはありえないことが脳裏を掠めた。


「あなたの帰る場所からも、同じ星が見えるといいわね」

 そんな彼の想いはつゆ知らず、エリザベスは微笑んでいる。

 だがーーー

「明日はとうとうこの家を出ていくのね……数ヶ月だったけど、なんだかずっと家にいたような感じだわ」

やっぱり寂しいわね、とエリザベスから言われた瞬間、オーギュストの胸は酷くきつく締め上げられた。

 

 やっぱり、自分もここにいられるならいたい

 でも、それは許されない

 だけど、こうやって彼女と同じ場所で星空を見る事ができたら

 もし、ずっと彼女がそばにいてくれるのなら

 ……彼女と歩む未来が見たい


 そう思った瞬間、オーギュストはそれ以上考える事を辞めた。

 そして、彼の溢れる想いを後押しするかのように一瞬風が吹き、気づくと彼は彼女の名前を呼んでこう口にしていた。

「僕と一緒に帰りませんか?」

と。

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