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36.名演技

「戻れないってどういうことだよ?!」

 またしてもオーギュストは叫んだ。


「やれやれ。あれほど常にアンテナを張ってなさいと教えていたのに、社会情勢に疎いんですね……せっかく、貿易関係のご出身であるお友達もできたと言うのに」

 ラファエルはそう言って、彼らの様子をこっそり伺っていたエドガーと夫人の方に視線を送った。

「まあ、こちらはロンドンに比べたらのどかですから、そう言ったキナくさい話はあまり好まれないのかもしれませんが」


 ラファエルによると、昨年スペインのトラファルガー沖でイギリスとの戦いに敗れたフランス側が、その報復措置としてイギリスに向けての商船や通信を禁止にする勅令を今秋にも出そうとしている、という情報を掴んだそうだ。

「あなただってここまで来るのに、本来であれば行くはずだったルートを変えてきたでしょう。それがますます悪化する可能性があると言う事です。ましてや我々は元はフランス側にいた人間なんですから、二重スパイ、いや新大陸の件も合わせて三重スパイとして疑われる事もおかしくない」


 そのため、もし何も考えず戻ろうとしたならば、そのまま牢屋行きの可能性だってあり得るとラファエルは付け加えた。

「そんな……」

「ですから、ここにいられる時間もあまりないのです。いつまでそれが続くのかもわかりませんし、出られなくなれば元も子もありませんから。あなたがあちらの家においてきた荷物はシャルルに任せて、私たちは港へ向かいましょう」

 ラファエルとザラキエルは椅子から立ち上がると、男達にオーギュストを外の馬車に乗せるように指示を出した。


 だが、しかしーーー


「あらあら、なんのご挨拶もなく旅立ってしまうの?」

 そう声をかけたのは、グラハム夫人だった。

「いくら時間がないからと言って、お別れの挨拶もなく出て行ってしまうのは、こちらとしても寂しいわ。ねぇ、そうでしょうエドガー?」

 夫人は隣にいるエドガーに同意を求めた。

「はい。たった数ヶ月とは言え、せっかくできた友人とこのように別れるのは僕としても悲しい限りです」


 エドガーは手を縛られているオーギュストの元に近づくと、こう尋ねた。

「君としても、このまま旅立ってしまうのは嫌だろう? せめて、エリザベス嬢に別れの挨拶くらいはしたいだろう?」

「そりゃあ、別れの言葉くらいは……」

 オーギュストがそのように返事をすると、エドガーは頷いてよし、決まりだと言った。


「ラファエル氏。いつまででしたらここに滞在する事は可能ですか? 僕としても、せめて友人がせめて別れの挨拶ができるのを見届けたいのです」

 エドガーの質問に、ラファエルとザラキエルは目を合わせた。

「わたしからもお願いするわ。あちらだって急に居なくなられたら困る事があるかもしれないでしょう」

 夫人もエドガーに加勢すると、ラファエルは指を顎に当て少々考え込むとこう答えた。


「……わかりました。二週間まで。最長でいるとしても二週間が限度です」

 ラファエルはふぅと息をつき、オーギュストの手を縛った縄を解きながらこう言った。

「いいですか。これはあなたがお世話になったグラハム夫人とご友人に対して、私からの感謝の気持ちです。彼女達が交渉し、残してくれた時間を有効に使いなさい。このまま、愛を告げずに旅立つのか、それとも傷つく事を覚悟して愛を告げるのか……悔いがないように」

 

 "悔いがないように"

 オーギュストはその言葉にハッとした。

 戻ればもう二度と会えないかもしれない。

 エリザベスは恋心をずっと密かに抱えて耐えていたが、自分はそのようにずっと耐えられるのだろうかと。

 ましてや、もう二度と恋をしないと決めたにも関わらず、恋をしてしまった相手なのだから……

 


 オーギュストとラファエルは話し合い、エリザベスの家、夫人の屋敷にそれぞれ一週間ずつ滞在する事が決まった。

「ふふふ。もう少しこちらに居られる事が決まって良かったわ。あなたのためにね、最後、お別れのパーティをしようと考えていたの。予定よりも早まってしまったけどね。もちろん、エリザベスとそのご家族も呼びましょうね」

 夫人は久しぶりにパーティを開催できる事を妙に嬉しそうにしている。

 彼女は執事を呼ぶと、今すぐリストを作成して招待状を送るように頼んだ。


◆◆◆


 エリザベスの家に戻るオーギュストを皆で見送ると、先ほどの少々怖い雰囲気とは打って変わって、ラファエルは笑顔に戻った。

「グラハム夫人とエドガー君。ご協力感謝いたします」

 そう言って彼は二人にお辞儀をした。


「いえいえ、感謝されるほどの事なんてしてませんよ。それよりも、お芝居がちゃんとできるかドキドキしてしまったわ」

 ふふふと、まるで少女のように夫人はエドガーに向かって微笑む。

「僕だってかなり緊張しましたよ。そんなに上手くできるものかって」

 内心冷や汗ものだったと、エドガーも苦笑いした。


「お二人とも、そんなに謙遜しなくても大丈夫です。私が見る限り、あの子の決意は変わったはずです。しかも、夫人がパーティという絶好の機会を作ってくれたのですから」

 さらに、ラファエルは二人に向かって完璧ですと言って微笑んだ。


 実は当初、ラファエルは淡々と遺言の事と、帰らなければならないことを伝えるつもりだったのだ。

 しかし、彼はザラキエルに意中の女性とオーギュストはそこまで深い仲に進んでないように思うと伝えられた。

 そのような状況で、もしオーギュストがなんの行動もすることなく、自分の言うことに素直に従ってしまったら? と彼は考えた。

 あの子の性格は父親のエルに似てはいるものの、エルの双子の弟であるラウルのように妙に素直で繊細な部分もある。

 そうなれば、敢えて時間がない事を見せつけて、本人に行動させる意思を持たせたほうがいいのでは……と、彼はオーギュストを連れてすぐに帰る芝居を思いついたという訳だ。


「でも、帰国が早くなってしまったのは残念ねぇ……」

 ため息まじりに夫人はそう呟いた。

「ええ。情勢については本当にそのような話がでていますから」

 ラファエルは、仮にもしその状況になったとしたら、あまり長い事続かないように祈るしかないと付け加えた。


 そう話し込んでいる二人に対して

「では、私もこれで失礼するとしよう」

とザラキエルは帽子を外し、グラハム夫人とラファエルに別れの挨拶をした。

 実は他の要件ができたため、彼は別の所へ行くことになったのだ。


「久しぶりにあなたにも会えて良かったわ」

 夫人は彼に笑顔を向ける。

「あなたには例の"障害"をどうにかして貰うという大役がありますからね。では、どうかお気をつけて」

 "彼女"にもよろしくお伝えください、とラファエルはさらに付け加えた。

「ああ、任せろ」

 ザラキエルはそう言ってニヤリと笑うと、馬車に乗り込み屋敷から去っていった。

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