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35.遺言の追加事項

 オーギュストが寝込んでから回復したのは、それから結局数日後の事だった。


 彼は約束通りにグラハム邸へと向うと、いつもニコニコしているはずのグラハム夫人が、少し緊張した面持ちで彼を出迎えた。

「病み上がりで大変でしょうけど、あなたにまたお客様よ」

 静かな声で夫人はそう言って、彼を応接間ではなく少し広めのホールへと案内した。


 彼がホールに着くと

「お久しぶりですね。シェリル」

と椅子に座っていた客人が静かに声をかけた。

 その客人の後ろには、手を後ろで組み背筋をぴんと伸ばした男達が数名とシャルル、そして客人の左隣の椅子にはザラキエルが座っていた。


「やっぱり……僕を呼び出したのはラファエルだったか」

 予想していた通りと言った様子で、オーギュストは両手を腰に当てた。

 ラファエルと呼ばれた客人は年はザラキエルと変わらずと言ったところだが、メガネをかけており、顔立ちは日本という東洋の国の血が入っているため、少し特徴のある造形をしていた。


「本当にザラキエルの言う通りですね。日に焼けた肌にシャツ姿のあなたは、在し日のエルにそっくりです。違うのは髪の毛の長さと目の色くらいで」

 ラファエルは少し大袈裟気味に、あぁ驚きましたと言って微笑んだ。


「わざわざあっちからこちらに来るなんて、ただ僕の様子を見にきた訳じゃないだろう? で、要件は?」

 オーギュストはそう聞いたものの、ラファエルから言われる”お小言”の内容は大体察しがついていた。

 しかし、ラファエルの方は微笑む事をやめず、逆に彼にこう聞き返した。

「いえいえ、私の言いたい事は後にしましょう。それよりも、あなたの進捗具合を教えてくれませんか? 先日、あなたの意中の女性をお見かけしました。とても素敵な方ですね」


 見かけたと言う言葉に、オーギュストは片眉をぴくりと反応させた。


「エリザベスさんに会ったのか? まさか変な事はしてないよな?!」

「それはご心配なく。あちらの窓から、玄関先で話してるのを見かけただけですから」

 そう言ってラファエルは右手側にあった窓を指差した。

「それで、どこまで進んでるのですか?」

 

 直接コンタクトを取っていないと言う事にオーギュストは安堵した。

 とはいえ、どこまで進んでいるのかと言うと……とオーギュストはラファエルから目を逸らして言葉を詰まらせた。

 だが、彼は少し首を振るとラファエルを見つめて話し始めた。


「今、彼女はある意味で失恋をしているような状況なんだ。だからとてもじゃないけど、僕が自分の気持ちを彼女に伝えられる状況なんかじゃない……そう言う訳で彼女の関係は、男とか女とか言う意味なら何もない。これが現状だ」

 ほう……とだけラファエルは言って

「そうですか。それでは、あなたはこの後どうするつもりですか?」

と微笑んだまま、更に聞き返した。


「僕の考えというより気持ちとしては……このまま彼女とは何事もなく、この土地で静かに暮らしたい」

「それはつまり?」

「僕はメリディエス家は継がない。それはお爺様の遺言でも、放棄する事は可能だと書かれてたはずだ」


 さらに、オーギュストはこうも付け加えた。

 いま自分の中で一番恐れているのは、気持ちを押し通すことで、エリザベスとの関係や彼女の家族との仲が壊れることだと。

「僕は臆病者だ。でも、今の僕にとっては、彼女の側にいられる事が一番の幸せなんだ。僕が幸せなら、孫想いだったお爺様だってきっと許してくれると思う」



 オーギュストが出した答えに、その場にいた一同は沈黙した。

 しかし、その沈黙をラファエルが破った。


「やはりそうなりますか。予想通りですね……シャルル!」

 先ほどの穏やかな雰囲気とは一転して、ラファエルは微笑むことをピタリ止めると、シャルルを大声で呼びつけた。

「はい、ラファエル様!」

 突如呼ばれたシャルルはジャケットの胸ポケットを探ると、素早くラファエルに一通の封筒を手渡した。


「これはなんだと思います?」

 ラファエルは手に持った封筒を見せながらオーギュストに問うた。

「これは、あなたがシャルルから以前告げられた遺言状に、さらに内容が新しく追加されたものです。あなた自身で読みなさい」

 そう言うと、ラファエルは封筒から手紙を取り出してオーギュストに手渡した。


 受け取ったオーギュストは、その渡された手紙の内容に目を見開いた。

『追加事項:

 その1:

 万が一、シェリルの身に危険が迫っている、または迫りそうな場合は、即刻中止して引き上げる事

 その2:

 数々の努力をした結果、どうしても縁談が上手くいかなった、或いは花嫁が見つからなかったと後見人全員が認めた場合は、シェリルに当主の座と全財産の継承を認める事』


「これは……」

「あなたがこれまで真剣に花嫁探しをしてきたことは、シャルルからもちろん聞いています。そして、その事についてはザラキエルはもちろんですが、ミカエルとも同意は取れています。もちろん私も。ですから、シェリル。本日この場をもって、あなたを正式に後継者として認めます」

 ラファエルがその言葉を言ったあと、彼の後ろにいた男達の一人が、当主ご就任、おめでとうございます。シェリル様! と声を上げた。

 すると、シャルルを含んだ他の男達も一斉におめでとうございます! と大きな声で言い、片膝をついて彼に敬意を示した。



「……ですが」

 とラファエルは付け加えた。

「相続の件と、この地に居続けると言う事は別問題です。当主になられたのですから、あなたはこの地にいる事はもうできません」

 当主になったからこの地にはいられない? どう言う事だ? とオーギュストは眉間にシワを寄せた。

「追加事項は相続の件だけではありません。書いてあるでしょう。あなたの身に危険が迫った場合は引き上げると……そして今がその時なのです」


 ラファエルによると、まずオーギュストがマコーリー氏の件で行ったことを指摘した。

「十分わかっていると思いますが、あなたはこの件でまだ我が商会のトップでもなんでもなかったのに、相手方の商会に対して買収する場合の見積りと、もし彼らと手を切った場合の代替になる取引先、およびそれらに関する支出予測を出させた」

 だが、これらは仮の話だからまだいいとして、とラファエルは付け加えた。


「問題は実際にあちらの商会に圧力をかけたうえに、尚且つ例の工場に融資するために起業させたことおよび援助を決定させたことです」

 名目上はザラキエルの命という事だったが、実際にはオーギュストが裏で動いていて、金も動かしたと知った一部の幹部が猛烈に異議を唱えたのだと彼は伝えた。


「正直言って、我々の商会の中にはあなたの事をよく思っていない方もいらっしゃるのです。いくら直系の孫だと言っても、まだなんの実績もないんですから」

 ラファエルはそう言うと、許可を出したザラキエルを少し睨むように見つめた。

「まあ、そう怒るな。あの人だって、もし揉めそうになった場合、商会をまとめられるのはそっちしかいないと思って、わざわざ遺言状に指名して残るように書いていたのだろう。それに私は遺言状に実直に動いただけだ」


 ザラキエルは軽く笑うと、自分のしたことは正当だとでも言うように、脚を組み替えて手を組んだ。

 だが実際のところ、ザラキエルの言うようにそれは本当だった。

 オーギュスト宛とは別に、後見人三人に書かれた内容は”もし花嫁探しに邪魔するものがいるのならば、吸血鬼(あいつら)だろうが人間だろうが徹底的に排除せよ”と書かれていたのだから。


 ラファエルはまとめる側の身にもなって欲しいと言いた気に、軽くため息をついた。

「まあ、それはともかく話を戻すとして。

つまり、あなたの事を良く思っていない人達に、あなたは正式な後継者になったと示して、結果行った事はなんら問題ないと証明しなければなりません。そのために帰る必要があります」

 それに……とラファエルはさらに加えた。

「もし、放棄したとなれば、間違いなくあなたが勝手に立ち上げた企業はすぐに閉鎖されるでしょう。そうなれば、どうなるかわかっていますよね?」


 ラファエルの言う通り、もし企業が閉鎖されたりでもしたら……またジェームズ氏が露頭に迷ってしまう。

 オーギュストは自分には拒否権がない事を悟った。

 だが、あちらで当主になった事を伝えて、少ししたら戻ってくれば問題ないだろう。

 と彼はその時、帰ることを軽く考えていた。

「わかった。じゃあ、帰ることにするよ。で、いつまでに荷物をーーー」


 彼がそう言った瞬間、なぜかラファエルはスッと手を上げた。

 すると、先ほどまで彼の後ろで黙っていた男達は一斉にオーギュストの事を取り囲み、素早く彼の事を押さえつけて両手を背中で縄で縛りあげた。

「ちょっと?! これは一体どう言う事だ?!」

 オーギュストは大声で叫んだ

「同じ事をもし、あなたの父親にやったら大暴れしたでしょうから念のためです。いいですか、落ち着いて聞きなさいーーー」


 そして、ラファエルはオーギュストに向かってこう伝えた。

「あなたはこれから戻ったあと、この地にはもう二度と戻れないかもしれないのです」

と。

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