3.グラハム邸へようこそ
オーギュストとシャルルがグラハム邸に到着したのは、ティータイム半ばくらいの時間だった。
トントンとグラハム邸の扉を叩くと、若い金髪の男性が出迎えてくれた。
「すみません、予定より大幅に到着が遅れてしまって」
二人同時に男性へ頭を下げた。
「いやいや、とんでもない! 無事到着して良かったよ。ご夫人もお待ちかねだ、さあ、中に入って!」
明るい様子で迎えてくれたこの男性、使用人にしては言葉遣いがフランクだし、夫人の子供にしては若すぎる。
ひょっとして孫か? と二人が疑問に思っていると、彼は勝手に自己紹介を始めた。
「あぁ、遅れてしまったけど初めまして。僕はエドガー。師事していた大学の教授がこの地方に隠居してしまって、研究の続きと教授のお世話がてら、こちらの家に下宿させてもらっているんだ。グラハム夫人、二人とも着きましたよー!」
彼が大きな声で叫ぶと、はーいと、応接間の方から小柄で少しふっくらとした老夫人がニコニコした様子で、玄関のホールの方へと歩いてきた。
「二人とも、よく来たわね。疲れて喉も乾いたでしょう? すぐお茶を淹れるわ」
こちらへどうぞとでもいうように、夫人は手招きしている。
「本当にすみません、遅れた上にこんな中途半端な時間に……」
シャルルが一瞬、オーギュストの方をチラリと見て夫人に向かって謝った。
「いいのいいの。エドガーと私もちょっと退屈していたんだから。お夕食まで時間もだいぶあるし、休憩しつつ道中のお話を聞かせて頂戴な」
そう言って夫人は、白を基調とした花柄の壁紙が可愛らしい応接間の方へ二人を通すと、グラハム邸へようこそと言って紅茶をカップへと注いだ。
グラハム夫人によると、今現在、こちらの屋敷に住んでいるのは彼女と使用人のみで、夫の方は10年ほど前に亡くなり、子供たちは隣村か街の中心部で暮らしているらしい。
ロンドンの方にかなり土地を持っているそうなので、収入は潤っているようには思えるが、それでもやはりどこか寂しいのだろう。
夫が亡き後は、エドガーのような若者に下宿として部屋を提供したり、ロンドンの知り合いが自然豊かな湖水地方へバカンスへ行く際の中継地点として泊まらせたりしているようだ。
ちなみに、彼女と夫の縁談を取り持ったのがオーギュストの祖父だったらしい。
「あら、じゃあ、二人はなんとかその親切なお嬢さんのおかげでここに辿り着いたのねぇ」
夫人は先ほどの道中に出会った、親切な女性の話を興味津々と言った様子で聞いている。
「はい。彼女が居なかったら、本当にどうしようかと思いましたよ」
大袈裟にああ、疲れたと言った様子でシャルルは汗を拭うような仕草をしてみせた。
「それに、この人お礼もいうのも忘れてるんですよ。あっ、そういえば、お名前を聞くの忘れちゃったなぁ」
「そういえば……確かに」
オーギュストは何か思い出したかのように、ガサゴソと自身のズボンのポケットを探ると、一枚のハンカチを取り出した。
「これ、返さなきゃ」
そう言って、彼はテーブルにそのハンカチを置いた。
「はーん……」
何やら、意味深な様子でエドガーはニヤリとしている。
「その女性に連絡をとるためにはいい手段だね」
彼はそう言って、紅茶を一口含んだ。
「えっ、いい手段というのは?」
意味が分からず、オーギュストがエドガーの方に向かって聞く。
「だって、シャルル君の話を聞く限り、君、その女性に一目惚れしたんだろ? だったら、ハンカチを返すことを口実にデートに誘えばいいじゃないか」
デ、デ、デ、デートだって?! ぼ、僕はそんなやましいつもりでは、第一名前もわからないのに……としどろもどろになりながら、オーギュストは顔を真っ赤にした。
「そうですよ! そんないきなりデートだなんて。それに、あの女性は年齢的にもしかしたら……人妻かもしれないし」
人妻……シャルルのその言葉に、オーギュストは顔色をサッと曇らせた。
確かにあれだけ美人で、あのぐらいの歳なら結婚していてもおかしくない。
結婚指輪はしていたか? と、記憶の糸を探ってはみたが、ダメだ、女性は手袋をしていたので、指輪をはめているかさえもわからなかった。
「あぁ……」
声にならない声をあげ、オーギュストは顔をテーブルに突っ伏した。
「でもまあ、オーギュスト君はそんな色恋するためではなく、僕と同じでここには何かしらの勉強をしに来てるんだろ? だから、いつかきっと運命の女性に巡り合うんだろうから、そんなに凹まなくても……」
エドガーは励ますつもりでそう言った。しかし、オーギュストは顔をヒョイとあげて
「いや、ダメなんです! エドガーさん! そんな悠長なことは……」
と、うっかり事情を話しそうになり、口を押さえた。
「まあまあ、いいじゃない。オーギュスト。事情を話してみては? エドガーはちょっと軽そうに見えるかもしれないけど、すごく口は硬い男だし、きっと力になってくれるわよ。ねっ?」
軽そうというワードに一瞬エドガーは眉をピクリと反応させたが、自分は口の硬さには自信があるから信頼していいと言って胸を叩いた。
◆◆◆
「えー、それじゃあ、君があのメリディエス商会のご令孫だったのか! 噂には聞いていたけれど。じゃあ、改めてよろしく。僕はロンドンで貿易商をやってるサマーフィールド貿易の息子だ。会えて光栄だよ」
オーギュストの正体と目的を伝えられたエドガーは驚いた様子も見せつつ、有名人に会えて嬉しいとでも言うように、手を差し出してオーギュストに握手を求めた。
「それは確かに真剣に探さないといけないけど、時間がないね。でも、その女性が既婚者っていう確証もない。それなら、やっぱりダメもとでその女性を探したほうがいいんじゃないかなぁ。それに運悪く人妻だったとしても気持ちにケリをつけないと次にはいけないし。行けるところまで行った方が後悔はないと思う」
うーん、でもどうやってその女性を探そうかと言って、エドガーは腕組みをした。
「そうねぇ、ハンカチをみたけれど、名前も入っていないようだし。それに、この辺りだと茶髪と金髪の姉妹なんて何組もいるからねぇ。心当たりはあるけれど、いきなり訪ねて行っても違うお宅の可能性の方が高いし、何件も同じことしたら、さすがに噂になって警戒されるでしょうし……あっ! そういえば!」
何か閃いたとでもいうように、夫人は執事に声をかけると、執事はうやうやしく手紙を持ってきた。
「そうそう、そういえば確か、夫人会の会長から旦那様の快気祝いをするパーティのお知らせがきていたのよ。確か日程は……あらあらオーギュスト、神様もあなたに味方しているわね。5日後に行うらしいわ。この夫人会は貴族や地主、地元の名士のご夫人方が集まる会なの。だから、この辺りに住んでいるご夫人とご家族の方なら必ず集まるわ。お祝いする人が増える分には向こうも嫌がらないでしょうし、行ってみましょう!」
そう言って夫人は、執事に夫人会の会長にすぐ連絡するようにと伝えると、会えると良いわねぇ、一体相手はどなたなのかしらと楽しそうに微笑むのだった。