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24.待ち人来たる

 作戦に集中するため、グラハム夫人の屋敷に戻ったオーギュストは、目的の人物が来るのを今か、今かと待ち侘びて、部屋を行ったり来たりしていた。

「ソワソワし過ぎだよ。どうだい、少し紅茶を飲んで落ち着いたら? 新しい茶葉を買ってきたところなんだ」


 ポットからカップに紅茶を注ぐと、ああいい香りだと言って、ホールに置かれた長椅子に座りながらエドガーはそれに口をつけた。

「そんなね、エドガー。 僕は一大事だというのに優雅にお茶を飲んでなんていられないんだ! 一刻も争うっていうのに、かれこれもう一時間も遅れてるなんて。一体どこで道草を食ってるんだ!」


 イライラしているオーギュストを見て、シャルルもエドガーも自分も道草をして大遅刻してこの家にやってきたというのに、よくそんな事が言えるなと口から出そうになったが、彼らは目線を合わせる事でお互いに言いたい事を察した。

 だが、その時だった。

 屋敷の外から数頭の馬から生まれる蹄の音と、いななきが聞こえた。

「来た!」

 オーギュストはピタリと足を止めると、玄関ホールの方へ急いだ。


◆◆◆


 訪問者がドアをノックするよりも前に、オーギュストは素早くドアを開けた。


 馬車から降りてきた訪問者は、彼の姿に釘付けになった。

 日に焼けた肌、羊の世話のためによく着ていた洗いざらしのシャツ。まさか"あの子"が戻ってきたのか?

 いや、そんなはずはない……と訪問者は首を横に振った。なぜならここにいるはずのはーーー

「私のことを待ち侘びていたのか? 全く子供の頃から変わらない奴だな、シェリル」

と、訪問者は軽く笑って肩を竦めた。


「だって、約束の時間から一時間も過ぎてるんだぞ! すぐにでも話したかったのに。さあ中に入ってくれ、ザラキエル」

 彼は唇を尖らせながら手招きすると、今か今かと到着を待ち侘びていた、訪問者であるその老紳士を屋敷へと招き入れた。


「あらあら。ようやく到着したのね。お久しぶり」

「こちらこそお久しぶりです。グラハム夫人」

 ザラキエルは微笑んで静かに挨拶すると、夫人の手に軽くキスをし、道中どうだったかなど軽く雑談を交わした。

「ふふふ。思い出話も沢山したいところだけど、あの子の方が話したがっているからまた後でね。こちらへどうぞ」

 夫人は手をそっと向け、彼を応接間へと案内した。


「あの人がオーギュストが言ってた後見人?」

 二人が雑談している間、少し遠くから様子を伺っていたエドガーは隣にいたシャルルに囁くように質問をした。


 あまり人をジロジロと見るのはよくないのだが、やってきた訪問者は背がかなり高く、短く揃えられた髪は真っ白で、昔はかなり明るかった金髪か銀髪だったのだろうと伺えた。

 また、歳を召している割には背筋がピンとしており、もしかしたら若い頃は軍隊のような規律の厳しいところで過ごしていたのか? と思わせるような人物だった。

 さらに、ふとした時の表情が絵として収まるようで、きっと若い頃は女も男も魅了するような美男子だったに違いないとも思えた。


「ええ。後見人の方の一人です。連絡役としてずっとロンドンの方にいらっしゃったんです」

「なるほど」

 二人が会話していると、噂をされていたザラキエルは無表情のまま振り返ってエドガーの事をジロリと見た。

 先ほどの夫人に対しての視線とは異なり、まるで氷を突き刺してくるような鋭い眼差しに、エドガーは背中にゾクリとしたものを感じた。


「な、なんか……僕の事はあまりよく思ってないのかな。応接間に一緒にいようかと思ったけど、お呼びではなさそうだ。僕は席を外すよ」

 エドガーはそうシャルルに伝えると、自室に戻ると言ってその場を去って行った。


◆◆◆


「それで、調査のほうはどうだった?!」


 ザラキエルが席に着いたやいなや、急かすようにオーギュストは結果を聞きたがった。

「全くお前という奴は……そういうところも父親のエルにそっくりだ。せめて、少しくらいはお淑やかだったクリスティーヌに似てくれれば良かったものを」

 かつて、ザラキエルはオーギュストの母であるクリスティーヌに絵を教えていた事があった。

 従順で真剣に学ぼうとする彼女は彼にとっても可愛い教え子の一人だった。


 しかし、それに対して息子のオーギュストは、絵を教えてやると言っても、絵を描くのが退屈だと鉛筆を持つことすらしなかった。

 教養のため教えてやって欲しいとオーギュストの祖父であるアーロンから頼みこまれても、これは流石に無理だとザラキエルが匙を投げるほど、母親とは対照的だったのである。


 ザラキエルはため息をつくと、調査についての結果を報告した。

「お前が望むようにトップクラスの諜報員を総動員させて、かの人物について探らせてみたが、まあ……無理だったな。お前がいうように、その男のことが好きだと言う女などこの地域やロンドンには存在しなかった」


 オーギュストが継ぐ予定のメリディエス商会は調査部門の下に、さらに秘密裏に諜報部というものを設立しており、その諜報活動の内容は政治的なものから近所の噂話まで多岐に渡るというものだった。

 そして、その調査部門を現在取りまとめているのがザラキエルなのである。


「うわ、そんなぁ」

オーギュストはその結果報告にガックリと肩を落とした。

「女の諜報員たちにも聞いたのだが、自分がもしその男にターゲットにされたのなら、間違いなく逃げ出すと皆口を揃えて言っていた。まあ、私もどんな人物なのか興味があったから、ここへ来る前にその男を見てみようと寄り道をしてみたんだ。だが……あれは無理だな」

 ザラキエルは思い出し笑いをするように、ふっと笑った。ちなみに遅れてきた理由はこのことが原因だったらしい。


「それなら昔、喧嘩別れてしてしまった女性とかは? 当時は仲が悪くなったけどもし再会したらとかで……」

「ああ、その線も残念ながらゼロだ。確かに深い仲になった女性もかつていたようだが、すでにもう結婚していたし、探ってみたときに名前を出したら、かなり嫌な顔をされたそうだ。だから、再会したところで何もないだろう」

 オーギュストはうーんと言って頭を押さえた。


 実は彼の作戦はこうだった。

 彼の恋敵であるマコーリー氏のことを好きという女性を探し出し、その女性と相思相愛にさせてエリザベスへの思いを断ち切らせるというものだった。


 だが、なぜ彼はこんな作戦を思いついたのか。


 それは彼がまだ幼かった頃、よく食べる子供のくせに、どうしてもにんじんだけが食べられなかった。

 腕のよい料理人がどうやって調理しても、知恵がついてきた年頃になると器用にそれだけ全部残すほどだった。

 それまでは、いつかは食べられるだろうと様子を見ていた彼の祖父も、これは流石にマナーが良くない。

 この先、人と会食することがあれば眉を顰められるだろうと、諜報活動の一環で人に暗示をかけることが得意だったザラキエルに頼んで、オーギュストがにんじんを食べられるように暗示をかけて貰ったのだ。


「そういえば、あの時のお前は、暗示にかかり過ぎて周りにいた人間すら、にんじんに思ってしまったなあ。本気で人の脇腹に噛みつこうとしていた時はどうしようかと思ったが……」

 その時の様子を思い出して、ザラキエルはクックックと笑った。


「まあ、それは置いておいて。仮にもし片思いしている女性が見つかったとしても、どうやってそのマコーリーとかいう男に私の暗示をかけさせるつもりだったんだ?」

「それはエリザベスさんの名前を使って呼び出そうかと……」

 オーギュストはゴニョゴニョ何か言おうとしたが、ザラキエルはああ、やはり。それは失敗していた可能性が高いと彼に言った。

「あの男の身の回りのことに関しては、いつもひっついてる従者が管理している。かなりその従者を信頼してるようだったから、きっと誰にも言わないで一人で来いと言ったところで報告してただろう。まあ、それ以前に今まで袖にされていた女性から、いくら付き合えるようになったとはいえ、まだ日も浅いのに一人で来いなんて言われたら、大抵の人間は怪しむだろうがな」


 ザラキエルは椅子から立ち上がり、ところで、とこう続けた。

「それよりもさらに考えた、二番目と三番目の作戦の方がまだ現実的だ。もうすでに手配してある。ただ、私は両方許可を出したがあちらがどう言ってくるかな。きっと今頃、これはどういう事かと確認するため、慌ててこちらへ向かっていると思うぞ」

 ザラキエルはもう一人の後見人の慌てふためく姿を想像して、ふっと笑った。


「それじゃあ、大急ぎでザラキエルにこちらにきてもらったけど、そんなにやってもらうって事はないってことか」

 オーギュストはなーんだと言って唇を尖らすと、手を頭の後ろで組んだ。

「それなら、わざわざロンドンから来てくれなくてもよかったのに。もしかして、僕の様子が気になって、心配して見にきてくれたのもあるの?」


 この後見人は無愛想なところがあるため、わざわざ心配して来てくれたのなら、案外優しいところもあるのかとオーギュストは思ったのだ。

「私がそんな緩い男だと思うか?」

 だが、彼の期待とは裏腹にザラキエルはそれを否定した。ですよねという言葉をオーギュストは彼には見えないようにボソッと呟いた。


「言っただろう。あの男の事を好きな女はいなかったと」

「うん」

「でも、それは女に限った話だ」

「だからそれは、あの人を好きな人はいないっていうことだよね?」

 一体どういう意味なのか、オーギュストは飲み込めずに頭が混乱した。


「やれやれ。やはりお前はまだ若い」

「……は? え? ちょっとまってどういうこと」

 混乱しているオーギュストを尻目に、ザラキエルは女を知らないお前にはまだまだ刺激の強すぎる話だと言って、応接間を出て行った。

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