23.マコーリー氏の過去
エリザベス嬢。なぜ、私がこの歳まで未婚だったのか。聞きたいのはその理由ですよね。良いですよ。お話ししましょう。
実は私も、若い頃はそれなりに恋愛経験はしておりましてね。真剣にお付き合いをしている女性がいました。
もちろん、私は将来的に彼女と添い遂げるつもりではいたんです。ですが……当時の私はまだ父の元で修行中の身であり、常に兄達と比べられていた環境だったのです。
だから、父に少しでも認められたくて、当時は死に物狂いで兄達よりも業績を上げようと私は必死でした。
そして、ついに兄たちを追い越し、とうとう私は大きな拠点を一つ任されるまでになりました。
しかしながら、その拠点というのはこの地域のようにロンドンから離れた場所にあり、必然的に私たちは遠距離恋愛となりました。
その間ももちろん私は必死に働いて、翌年には彼女を迎えに行くと、心に決めていたのです。
ですがーーー
私と彼女の気持ちはどうやらすれ違っていたようです。しかもそれは、私が拠点に行くよりも前に既に起こっていたようでした。
私は彼女のために、遠方にいる間はずっと手紙を出していました。
しかし、時間が経つに連れて、一週間で帰ってくる返事が一ヶ月に伸び、一ヶ月だったものが二ヶ月になり、二ヶ月だったものが三ヶ月になり……とうとう返事自体が来なくなってしまったのです。
私は嫌な予感がして、ロンドンに帰ったついでに彼女の家へと寄りました。
すると彼女は出てくることはなく、代わりにその家族から彼女は結婚してこの家を出て行ったと告げられたのです。
そして、その家族から、もし私が尋ねてきたら渡して欲しいと言われた手紙を受け取りました。
当時の私は自分のことしか見えていませんでした。
彼女の手紙には、今まで何度か結婚して欲しいと彼女がサインを出していたと書かれていたのです。
しかし、私は気が付かなかった。
いや、その度に仕事が忙しいといい、彼女が我慢する事に甘えて彼女の願いを聞き入れようとはしていなかったそうなのです。
もし、ちゃんと彼女の事を考えれば……私が彼女の実家に行った時点で、彼女はすでに25才を迎えていました。
あなたもわかるでしょう。結婚を望んでいる女性にとっては、迎えに行くにはもう遅すぎる年齢だということを。
せめてあと一年早く彼女にプロポーズしていれば……私はその事を何度も後悔しました。
◆◆◆
マコーリー氏は過去の事を話し終えると、クイっとワインを飲み干した。
「ふふっ。こんな辛気臭い話嫌ですよねぇ」
彼は給仕にワインを注いでもらうと、グラスをクルクルと回した。
「まあ、ですから、その後は私も彼女の事を忘れようと仕事に打ち込んだわけです。そして、結果的に今の年齢になってしまった。そんなところですよ」
そう言って彼は、注がれたワインを一口口に含んだ。
「すみません、話しづらい事を聞いてしまって」
エリザベスはまさかマコーリー氏にそんな過去があったのかと驚いたと同時に、軽率だったと恥を感じた。
「いえいえ。エリザベス嬢。あなたが謝ることはありません。もうこの話は大昔のことですから。もうただの思い出の一部ですよ。それに、私が貴方を見染めたのは……あなたに昔の私の面影を重ねたからです」
「私とですか?」
「ええ。私があなたと初めてお会いしたのは、あなたが婚約者と別れた直後くらいだったかと思います。きっと、傷ついてるあなたを見て昔の自分を重ねたのでしょうね。今までは何ともなかったのにこんなに人に惹かれるとは、自分自身でも驚きました」
それにと彼は続ける。
「ただ惹かれたというだけではありません。一種の使命感のようなものを感じたのです。あなたは、このまま未婚でいいと思っているようでしたが、実際、未婚のまま晩婚を迎えた女性の実情をご存知でしたでしょうか。彼女たちは良くて兄弟の世話になる」
でもそうではない女性たちは……と彼は言って、一瞬間を置いた。
「あまりにも悲惨だ。まあ、流石にそこまでは落ちなくても、年も食ってしまえば経済力すらない男と添い遂げなく成らねばならなくなるのが私が聞いてきた中では多いですね。今はこうやってあなたもこのような食事を召し上がっていますが……パンとスープしか食卓にないような生活が想像できますか?」
そう言って彼は口元をナプキンで拭くとふふっと笑った。
そのナプキンを持った手には黄金と縁をメレダイヤで囲んだサファイアの指輪が光っていた。
「ああ、ところで。あなたにずっと誤解されると続けるのも嫌なのでこの際に言っておきましょう。前にも言いましたが、あなたを手に入れたいからと言って、反対派の方に放火するように指示するなんて事は私はしていませんよ。疑うのであれば犯人に聞いてみればいいのです。確かに私は使用料の事を取引にしたのは卑怯だったかもしれません。ですが、火事のことは想定外でした。ですから無利子であのご親戚の方に融資すると言ったのです」
マコーリー氏は両手を食卓につくと、ふぅとため息をつき、彼女とは目線を合わせず、結果的にはそれも取引材料としましたがと小声で付け加えた。
彼らが話し合っている間に様々な料理は運ばれてきたのだが、いよいよ最後のデザートとコーヒーが運ばれてきた。
「あぁ、そろそろお開きの時間ですね。名残惜しい。ですが、あなたと結婚すればこうやって毎日食卓を囲めるんですね」
この時のマコーリー氏は本心からそう言ったのか、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
エリザベスもそんな風に笑う彼をみて、この人も孤独を感じているのかと、心がズキンと少し痛むのを覚えた。
帰る際もマコーリー氏はとても紳士的で、決して彼女に別れのキスをねだるなどと言うこともしなかった。
「ではまたお会いしましょう。次に会える時を楽しみにしています」
ただそう言うだけで、エリザベスを乗せた馬車を穏やかやに見送った。また、エリザベスが帰る頃にはすっかり雨も止み、少し雲がかかってはいたが月が明るく輝いていた。
……少しだけあの人の事が苦手なのが薄れたのかもしれない。だけど、私には……
帰りの馬車でエリザベスはマコーリー氏のことを今までよくわからない人物だったと思っていたが、過去の話を聞く限り自分に少し近い部分もあったのだと振り返っていた。
しかし、彼を男性として見れるのかと言えば……この気持ちはあくまでも同情的になっているだけで、やはり男性として見ることはできないだろう。
そして、きっと自分は"彼"のことをずっと思いながら生きていくに違いないのだと、馬車の外を見ながら物思いに耽るのだった。
◆◆◆
「旦那様。例の調査結果について報告が上がってまいりました」
トーマスは傍に抱えていたその調査票を、マコーリー氏の執務室の机へサッと出した。
「ああ。これか。これはもう見る必要もないでしょう。無事にエリザベス嬢も私の手に入りましたし」
マコーリー氏は、トーマスからもらった「オーギュスト・フィリップ・ポワティエに関する調査票」という書類の中身を見ることもなく処理済みのトレイに入れた。
「ところで、今回はあなたの大手柄でしたね。まぁ、融資というのは発生しましたが、彼女さえ手に入れば……ね。それに、あんな黒字にもならない工場でも、経営権さえこちらが握ってしまえばこちらのもの。人と機材を入れ替えればどうにかなるでしょう。精々、数年間は働かせてあげて返済不可になったら回収すればいい」
求めていた女性だけではなく、金の卵に変わるかもしれない工場も手に入れられるとは……とマコーリー氏はクックックと笑った。
「そういう訳で、トーマス。あなたに対しては特別なボーナスを与えましょう。これからもよろしく頼みますよ」
はい、旦那様。あなたのためにこれからも忠義を尽くしますと、トーマスがうやうやしく返事をすると、マコーリー氏は満足したようににっこりと笑った。




