2.運命の出会い
エリザベスとシャーロットの姉妹は、知り合いの不幸があった母の代理として、とある夫人のお茶会に出席するため馬車に乗っていた。
妹のシャーロットが抱えるバスケットの中からは、焼き菓子の甘い香りが漂っている。
普段であればこのような手土産は要らないのだが、招待してくれた夫人がこれらを美味しいと大変気に入っているのと、母が出席できないお詫びのため持参したのだ。
美味しい紅茶とお菓子でさぞ楽しいお茶会が開かれる……かと思いきや、シャーロットの方は先ほどからため息ばかりをついているようだ。
「ここは私だけだから良いけれど……夫人のお宅に着いたらそんな顔をしていてはダメよ、シャーリー」
馬車を運転しながら姉のエリザベスは、憂鬱そうにしている妹のことを嗜めた。
「わかっているわよ、ねえ様。でも、黙ってニコニコしていれば良いって言われても、あの夫人から、『シャーロットも早くいいお相手が見つかれば良いわねぇ』って、もう本当に散々! 私だってまだ18にもなってないのに……しかも夫人達の読書会って言うけれど、中身は大体旦那さんの愚痴ばっかりじゃない。ねえ様だって居心地は悪くないの?!」
ま、まぁ確かにそうだけど。
と言いたそうにエリザベスも苦笑いをした。しかし、面倒なお茶会とは言えカドが立つので、ある程度人付き合いはしておかないといけないのは田舎での慣習だ。
「まあ、いい縁談が来ていないのか聞かれるのは若いうちが華よ。年をとったら、自然と聞かれなくなるんだから。それに、あなたに新しいドレスを新調するのに、仕立て屋さんを呼ばなくてはってお母様がこの前言ってたわよ。どの生地で、どの色にするか楽しみね」
そう言ってエリザベスは微笑んだが、シャーロットはここ数年、ほとんどドレスを新調していない姉の様子を少し切なく思った。
というのも、この姉妹は長姉はエリザベス、末っ子のシャーロットのほか、あいだに一人の姉妹がいる三姉妹だった。
あいだの姉妹は既に嫁いでいったので、現在家にはこの二人と両親しかいない。
だが、姉のエリザベスは既に25歳を迎えていて、これから花盛りというシャーロットとは対照的に、言葉は悪いが持て余されているという状況だった。
もちろん、エリザベス自身にどこか悪い部分があると言うわけではない。それというも……
「あら、あれは何かしら?」
エリザベスが突然声を上げた。
「姉様、どうしたの?」
「ほら、前を見て。この先でだれかが道を塞いでるというか、うち一人が何かしてるように見えるんだけど。落とし物でもしたのかしら?」
シャーロットが道の先をよくみると、確かに道の先に誰かがいるようだ。
馬車がだんだんとそこに近づくと二人の男性がおり、うち一人がしゃがみ込んでいるということがわかった。
しかし、もう一人の立っている男性が必死にその男性に話しかけているが、全く動こうとしない様子だ。
奇妙な二人組にエリザベスは警戒して、馬車のスピードを落としながら止めると、少し離れたところからコホンと軽く咳払いをした。
彼女からの”サイン”に立っている男性はほら、ほらと言っているが、座っている方は全く動こうとしない。どこか具合でも悪いのだろうか?
様子を伺いつつも、痺れを切らしたエリザベスは、思い切って立っている男性に向かって声をかけた。
「ねぇ、あなた達大丈夫? 具合が悪いなら、ちょっと先にお医者様がいるから呼んできましょうか?」
その声掛けに、立っている男は本当に申し訳なさそうな顔をしながら
「ごめんなさい! 大丈夫です。ほら、邪魔になってるからどいて! 急いでるところ、本当に申し訳ありません。この人、お腹を空かせて不機嫌になってるだけですから……ほら、早く立って!」
と、より大きな声で座っている男をどかそうとした。
具合が悪いわけではなく、ただ、お腹を空かせているだけ?! エリザベスはシャルルの思いもよらない返答に目をパチクリとさせた。妹のシャーロットに至っては、口を開けてポカンとしている。
しかし、エリザベスはパッとあることを思いつくと
「わかったわ、ちょっと待ってね。シャーロット、蓋をあけてちょうだい」
そう言って、シャーロットの持っていたバスケットから、スコーンと焼菓子を取り出してハンカチに包み馬車から降りた。
そして、しゃがみ込んでいる男の横に行き、どうぞ召し上がってとそれらを差し出した。
◆◆◆
顔を伏せてしゃがみ込んでいたオーギュストは、横から突然甘い菓子のような香りがしてくる事に気がついた。
何だ? と彼は顔をあげ、香りのする方向へ目を移すと、茶色い巻き髪をした美しい大人の女性が、スコーンなどの乗ったハンカチを差し出していた。日差しのせいかわからないが、女性の後からはキラキラとした光も不思議と感じられる。
オーギュストは今まで空腹だったにも関わらず、食べ物には目もくれず、しゃがみ込んだまま、その美しい女性に釘付けになった。
「シェリ……いや、オーギュスト様!」
何ぼーっとしてるんですか、とシャルルが声をかける。
その声にハッと我に帰ったオーギュストは、カエルが飛び跳ねるようにピョコンと立つと、す、すみません! と言って直立不動のまま、その女性、つまりエリザベスからスコーンの乗ったハンカチを受け取った。
「ふふっ、その荷物の量からして、どちらからか旅をなさっている方かしら?」
エリザベスは彼らの横に置いてあった、数個のカバンに気づいたようだ。
「はい。色々事情が重なってしまって、徒歩で目的地まで行こうと思って」
顔を真っ赤にして無言のまま俯いてる、オーギュストの代わりにシャルルが答える。
「そうだったの……それは大変ね。ちなみにどちらの方に行かれるの?」
「はい、グラハム夫人のお宅まで行こうと……」
あら、グラハム夫人のお宅にですって?! と今度はエリザベスが驚いた声を上げた。
「それならこの道を行くよりも、あちらのフットパスを使って丘を越えて行ったほうがだいぶ近道よ」
そう言って、エリザベスは田園地帯に広がる小道を指差した。
「ねぇ様、ねえ様。そろそろ出発しないと! お茶会に遅れると嫌味言われちゃうわ!」
時間を気にしている様子のシャーロットが、早く早くというように手招きしている。
「ごめんなさい、今行くわ! それでは良い旅を」
そう言ってエリザベスは笑顔で軽く手を振ると、馬車に乗り込んだ。
オーギュストとシャルルも道の脇に移動し、帽子を外して会釈をしながら馬車の出発を見送った。
「ところで、頂いた食べ物は食べないんですかー?」
去り行く馬車をなぜか名残惜しそうに見つめているオーギュストに対して、小脇を突きながらシャルルが言う。
「た、食べるよ!」
思い出したようにオーギュストは貰ったスコーンにがっついた。
紅茶に合うようにしているためか、若干もそもそして入るものの、レモンピールの適度な甘味とチーズの塩気が最高だった。これなら、クリームも、ジャムも要らなさそうだ。
もらった食べ物をペロリとオーギュストは平らげると、先程とは打って変わり、さあ、行こうシャルル君!と言って、フットパスに向かって上機嫌で歩き出した。
やれやれ……と、シャルルはため息をつき、荷物を持って主人の後を追うのだった。