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16.変な女

 馬車は工場から街の中心部へと移動し、下車してオーギュスト達が目当てのベーカリーに向かうと、すぐにそのベーカリーがわかった。

 それというのも、遠目から見ても噂通りたくさんの人が店を囲うようにぐるりと並んでいるのがわかったからだ。


「本当にシャーロットが言ってた通り、すごい盛況ぶりだなぁ。ロンドンでもあれだけ並んでるのを見るのはあんまり見た事がないよ。見た感じ……入れるのに一時間以上はかかるかな」

 エドガーは驚いたと言う代わりのようにヒューっと口笛を鳴らした。


「そうねぇ、この様子だとなかなかすぐには入れなさそうだわ。これなら予定通り、二手に分かれて行列に並ぶ方と、夫人のお使い組に別れた方が良さそう……あっ!」

 そう言って、シャーロットは口に手を当てると、良いことを思いついたと言うように言葉を続けた。


「ねぇねぇ、オーギュストさんは特に欲しいものがないのでしょう? それならねえ様と一緒に並んで、食べたいパンを注文した方がいいんじゃないかしら? 私はエドガーさんをお店にご案内するから、ねっ?」

 シャーロットは"わかるでしょう?"と言いた気に、エドガーに向かって目配せをした。

 彼女が何を言いたのかとすぐに察した彼は

「あっ、あぁそうだな。特にないならエリザベス嬢と一緒に並んで、欲しいのを選んだ方がいいんじゃないか?」

と言ってもうんうんと頷いた。


「でも、それだとせっかく街に来たのに、全然観て周れないじゃない。私一人で並んでるから、オーギュストは二人と一緒にお買い物に行ってきた方がいいんじゃないかしら」

 空の大きなバスケットを手にしたエリザベスが、オーギュストを気にしてチラリと見る。

 だが、エドガーはブンブンと首を振り、買い物には二人だけで行くと引かなかった。


 いいや、エリザベス嬢。ここは本人に選ばさせるべきですとエドガーは言った。

「何しろ、お腹すいたってあれだけ大きい腹の虫が鳴いたのだから、どれだけ食べたいのかわかりません。もし、エリザベス嬢が持たれてるバスケットに入れた分を全て彼一人で食べてしまったら、我々が困ってしまうではないですか。だから、彼が食べたいと言う分を自分で選ばせるべきです! それと、重い物を持つのも紳士の役目。荷物持ちとしても役に立つことでしょう」

 エドガーは真剣な顔をして説得を試みると、エリザベスからバスケットをスッと取りオーギュストに押し付けた。


 流石にバスケットまるまる一個分なんて食べる訳ないだろう!

 と、オーギュストもエドガーに向かって反論しようとしたが、エリザベスは人差し指を顎に当てて、うーん……と少し考え込む様子を見せた。


「でも言われてみたら確かに。量はともかく、お腹空いてるのに歩き回ったら余計にお腹も空くでしょうし。それに、もし私たちの方が先に買えたら、先に食べながら待つこともできるしね。じゃあ、私はオーギュストと一緒に並んでるから、二人はお買い物に行ってきてちょうだい。そちらが先に用事が終わっても広場集合で」

 エドガーの妙に力の入った説得に納得したのか、エリザベスはオーギュストに向かって最後尾に並びましょうと言って並ぶのを促すと、二人に向かってまたあとでと手を振った。


◆◆◆


 彼らが店内に入れる順番が巡ってきたのは、予想通り並んでから一時間くらいたってからだった。

 並んでいる最中もパンのいい匂いが漂ってきてはいたのだが、店内に入るとより一層食欲を刺激する香りが鼻の中へと入ってきた。

 店内はカウンターや棚に商品が並べられており、客が店員に対面越しに注文する形となっているのだが、店員はただいま焼きたてですと言って、ひっきりなしにパンを並べながらベルを鳴らして忙しそうだ。


 ホワイトブレッドや丸いパンなど、よくあるベーカリーで見るパンはもちろんのこと、トマトソースを塗りチーズが入ったイタリア風のパンや、思わずオーギュストがうわぁと感嘆の声を上げた、故郷を思い出させるジャガイモのガレット、さらに紅茶に合いそうな果実の乗ったタルトなど、食事用のパンからデザートまでが置かれていた。


「これは流行るのも頷ける。わぁ、どれにしようかな。これもいいな、いやこっちも美味しそうだな。でもこっちも捨てがたい……」

「ふふふ。エドガーさんの言う通り、オーギュストも一緒に並んで正解だったわね」

 目をキラキラさせながら、どれにしようと考えているオーギュストはまるで子供のようだ。

 そんな彼を微笑ましく思いながら、エリザベスもシャーロットから聞いたおすすめのパンのメモを確認しつつ、自身も気になるパンを選ぶのだった。



「……思ってた以上に買っちゃったわね」

  店を出た直後、荷物持ち役のオーギュストをみて、思わずエリザベスはそう呟いて苦笑いした。

 エドガーの言った通り、オーギュストが食べたいものを選んだところ、購入したものがバスケットには入りきらず、入らなかったパンはパンで作ったカゴに入れてもらい、それでも入らなかったものは彼の脇に抱えて持ち運ぶという有様だった。


「すみません、どれもこれも見てたら美味しそうだったんで……それに故郷で食べてたパンに似たようなものも気になっちゃって」

 ハハハとオーギュストが軽く笑うと、エリザベスは荷物持ち役とはいえ、一人でそれを持つのは大変そう。私も半分持つわと言って、通りの角に彼女たちが差し掛かった時だった。

 一人の少年が突然ビュッと、彼らに向かって急に飛び出してきた。


「おっと!」

 オーギュストが思わず声を上げたあと、ズサっという音がした。

 ぶつからないようにオーギュストが交わした一方、子供も驚いてしまったようでバランスを崩して転んでしまったのだ。

「大変! 大丈夫?」

 エリザベスが心配そうに、その子供の元へ駆け寄って声をかける。


 転んでしまった子供は5、6才頃だろうか。

 彼は一瞬、何が起きたのか理解ができたかったようだが、手についた泥が目に写ったのと次第に感じる痛みから、うわーんと大きく泣き出してしまった。

 少年は良い身なりをしていたが、膝をついてしまったためズボンを汚してそれを台無しにしていた。

 痛かったわよね、怪我はないかしら? とエリザベスも少年に近づき気にかけていると、ベンジー、ベンジーとどこからか声がした。


「あぁ、ベンジー見つかって良かった……あらあら転んでしまったの?」

 声の主である女性が、膝をついて泣いている子供の元へ足早に近づいてきた。

 女性の方も高品質な生地を使用した流行のドレスを着ている。

 少し低い鼻、厚ぼったい唇が少年にそっくりだ。加えて少々膨よかな体型も。


「うわーん、お母さまぁ〜」

 べそをかきながら少年は立ち上がると、両手を伸ばしてその女性の元へと駆け寄り、彼女のドレスをギュッと掴んだ。

「もう、急に走らないでちょうだい。お母様は今お腹が大きくて走れないの」

 彼女は息子の目線に合うように屈み、いけませんよというように、メッという顔をしたが、彼がごめんなさいと謝るとすぐに笑顔になり、ハンカチで彼の涙を拭き、さらに土のついた手を優しく拭った。


 彼女は怪我はしてないわね? と確認すると、姿勢を元に戻して息子と手を繋ぎながら、オーギュストとエリザベスの方へ歩き出した。

「すみません、うちの子が急に走りだして。そちらにぶつかったりはしなかったでしょう……」


 だが、言葉を最後まで出すまでもなく、女性はハッと何かに気がつくと、先ほどの優しそうな雰囲気とは打って変わり、急に目尻をキッと吊りあげた。

 そして、くるっと子供の背をオーギュストたちの方へ向けると、睨みつけながらわざと大きな声でこう言った。

「何も知らないとでも思ってるんでしょうけど、全部私は知ってるのよ。あなたは喜んでるんでしょうけど……でも、残念ながら、あの人がちょっかい出してる女は他にも沢山いるのよ! あなただけが特別だと思わない方がいいわ」


 さらに女はこう続けた。

「それに、うちはこれから三人目が産まれるところなの。だからあなたが出る幕なんて一切ないの! さあ、ベンジー早くここから去りましょう!」

 女性は子供の手をギュッと掴むと、ドスドスというようにその場を去っていった。


 あまりの剣幕にオーギュストは一瞬口をポカンと開けたが、すぐに不快な気持ちが彼の心を支配した。

「なんなんでしょう。全く失礼な……変った人に会っちゃいましたね。まぁ気を取り直して早く広場に行きましょうか」

 彼はエリザベスがショックを受けているのではないかと心配しながらチラッと見た。

 しかし、彼女はオーギュストに同調するどころか顔をサッと青ざめさせて直立したままだった。


「エリザベスさん……?」

 様子がおかしい彼女に、再度オーギュストが声をかけると、彼女は一瞬だけ顔を背けた。

 そして、何かを思うかのように目を何度か瞬かせると

「えっ、ええ……そうね。いきなり怒鳴られたからびっくりしてしまって。もうシャーロット達も用事は済んでいるかもしれないし。広場に向かいましょう」

と言って、明らかに作り笑顔とわかる不自然な笑みを浮かべた。

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