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15.紡績工場

「それじゃあ、みんな気をつけていってらっしゃい。それとエドガー、これよろしくね。でも無駄遣いはダメですよ」

 いつものゆったりとした口調でそう言うと、グラハム夫人は何かをリスト化した紙と、お金の入った小袋を馬車に乗り込んだエドガーに渡した。


「はい、はい。全くこれじゃあ工場見学というより、子供のお使いみたいじゃないですか。帰りにお菓子を買いすぎないように気をつけますよー」

 エドガーがわざと頬を膨らませながらそう言っている様子を、反対側の座席に座っていたエリザベスとシャーロットがくすくすと笑っている。

 では出発しますと言って、御者がドアをパタンと閉めると、夫人は馬車から少し離れて皆に向かって手を振った。


 今日は兼ねてから約束していた紡績工場の見学の日だった。

 紡績工場は比較的街の近くにあり、工場見学をした後は新しくできたと言うベーカリーに寄り、ピクニックをしながら昼食を取ろうという予定だ。

「本当に今日は天気にも恵まれていい日だ。今の所、雲が一つもないし。製品を見ることはきっとあっても、工場まで見に行くことはあまりないだろうから、すごく楽しみにしてたんだ。誘ってくれてありがとう。シャーリー」


 エドガーがそうシャーロットに感謝を述べると、彼女はニコッと可愛らしく微笑んだ。

「どういたしまして! でもこうやって工場に行くのは久しぶりだわ。昔はお父様に連れて行かれたら、スージーやトッドとかみんなとよく外で遊んでいたものだけど、いつの間にか遊ばなくなっちゃって。お洋服を泥だらけにしてお母様から怒られちゃったけれど、ねえ様が庇ってくれて」

「ふふふ……そんな事もあったわね。私もみんなと遊んだのはいつくらいだったかしら。最近はトッド……、あ、トッドというのはおじ様の息子なんだけれど。跡を継ぐのにおじ様から仕事を頑張って教わってるってお父様が言ってたわ」


 エリザベスによると、見学しに行く紡績工場はおじのジェームズが経営しており、正確にいうと彼は母親のいとこに当たるそうで、彼には先ほど話に出てきた息子のトッドと、嫁いで行った娘のスーザンがいるそうだ。

 また、エリザベスたちの土地で放牧している羊の毛は、この工場が一手に処理をしているという。


「それにしても、いつもしてる作業の次の工程を見に行くって不思議な感覚だなぁ。いつも疲れてクタクタだから、正直そこまで考えたことがなくて」

 オーギュストがそう言って少し笑うと、エドガーもうんうんと頷きながら

「確かに。最近の君は僕と会うたびに、お腹空いた、お腹空いたって口走ってるからね。相当働いてるんだろうなとは思ってたよ」

よかったら、今度差し入れを持っていきましょうか? とまるで貴婦人に対して提案するかのように彼は恭しく言った。


「またまた! 冗談でしょ? 僕はそんな事を言ったつもりは……」

 オーギュストがそう口に出した途端、全てを否定するようにグゥーッと彼の腹の虫が馬車内に大きく鳴いた。

 彼はその場を必死に取り繕うとしたが、エリザベスとシャーロットはエドガーの言う通りだと笑って、オーギュストは恥ずかしそうに頭を掻いた。


「まあまあ。実際に重労働だからお腹が空くのは当然だわ」

 優しい声でエリザベスが彼のフォローに入る。

「それに工場見学の後は、ベーカリーに寄る予定だから。シャーリーによるとすごく人気のあるベーカリーだそうじゃない。あまり混んでないといいわね」

「そうなの! ねえ様。お友達から教えてもらったんだけど、この前はおひとり様何個までって個数制限が出てたって言ってたわ。あぁ、神様! 私たちが行くまでどうか売り切れませんように!」

 そう言ってシャーロットは少し大袈裟に手を組んで祈るような素振りをした。


◆◆◆


 彼らが他愛もない話をしながらそうこうしているうちに、いくつかの緩やかな丘を越えていくと、だんだんと民家が増えていき、左側にはやや大きな川が流れている通りへと馬車は進んだ。

「見てみて! あそこよ!」

 シャーロットが窓に向かって指を差すと、もくもくと白い湯気を出した煙突の建物が遠目に見えている。

「あの黒い屋根で背が高い赤レンガの建物が工場なの。もう時期に着くわね」


 その工場は川を挟んだ渓谷沿いに立っており、さらに手前側には通りと工場を繋ぐ同じく赤レンガを使用した橋がかかっていた。

 他にも似たような建物が数件建っているようだが、シャーロットが指を指した工場はその中でも一番大きな作りとなっていた。



「おおー、エリザベスにシャーロット! そしてオーギュスト君とエドガー君……でよかったかな? よく来てくれた!」

 工場の玄関口に馬車が到着すると、少し白髪が混じった髪の細身の男性が駆け足でやってきて、ニコニコしながら彼らを出迎えてくれた。

 彼らが馬車から降りると、どこからか水車が回る音が聞こえてきた。


「こんにちは、おじ様。オーギュスト、エドガーさん。こちらが叔父のジェームズよ」

 エリザベスがそう二人に叔父を紹介すると、彼らは順に握手を交わした。

 実はオーギュストはエリザベスとシャーロットの母親に似て、ジェームズが少し気難しい男性なのかと想像していたのだが、実際は笑い皺もある人当たりの良さそうな人物であることに肩透かしを食らった。


 それを見透かされたのか、ジェームズは少し笑うと

「おやおや。彼女達の母親を比べたら、随分と印象が違うと思ったでしょ? そりゃあね。あの人は昔からだよ。爺さんの代で言ったら同じなのに、あっちは親が軍人だったからってちょっと気取っててねぇ。娘達は本当にあの人に性格が似なくてよかっ……って悪口になっちゃう。こんな無駄口叩いてないで、中に入って、入って。案内するからねぇ」

とおちゃらけた様子で、彼らを手招きして工場へ招き入れた。


 中に入ると工場は一階に集中して機械が置かれており、外からは三階建のように見えていたのだが、実際には高窓となっており、天井が高く取られているようだった。

 その一角には階段がついているのだが、二階部分もそんなに広そうではなく、場所と雰囲気からして事務室となっているのだろう。

 その出入り口付近に立てば、工場全体が見渡せそうな作りとなっていた。


「ここがまず最初の行程でね。運ばれてきた毛の選定を行うんだ」

 ジェームズがオーギュスト達を作業場に案内すると、作業台にはふわふわした羊の毛が大量に並べられ、何人かの作業人たちが素早く手を動かしていた。

「毛と言って全部が全部同じというわけではなく、毛質によって細い糸に適してるものと、ふわふわした糸に適してるものがあるんだ」

 そう言って彼は違いがわかるように、毛をヒョイっととると彼らにわかるかな? と言ってた見せた。


「そして次は洗いだね」

 毛の選定を行なっている区画の隣には、作業人がぐつぐつと湯が沸騰した大きな釜から、柄杓で熱湯を大きな桶のようなものに注いで、手を入れてもう少しだなと何やら確認している。

「これは熱すぎてもいけないし、かと言って冷たすぎても汚れが落ちないなら、温度のバランスも重要なんだ」

 彼によると、先ほど選定した毛をこちらに持ってきて洗う事で大きな汚れや油を取るという。


 さらに、乾かした毛をほぐして整える工程を見せた後

「さあさあ、では諸君、お待ちかね。ここが糸となっていく工程だ。それとここで私の息子も作業に当たってるんだ。紹介するよ。ふっふっふ」

 ジェームズはそう言って、紡績機が何台も置かれた区画へと案内した。

 少し離れたところでもカタカタという音が聞こえていたのだが、この区画に来るとより一層その音が大きくなった。


 だが、しかし……


 作業人各々仕事しているはずなのだが、彼らは持ち場を離れて一か所になぜか集まっていた。

「おや? お客さん来てるのに、みんなあんな所に集まってどうしたんだろ。おーい、トッド、そっちにいるか?」

 彼がそう叫ぶと、奥の方で手を振っている男がいた。

「ダメだ、親父。 また、故障したみたいだ」

 

 確かに彼らが集まっている箇所の紡績機は動いていないようだ。

 故障? そんなはず無いだろう、そう言ってジェームズが故障したという紡績機の所へ向い、その一部をチェックして再度動かしてみると、カタカタ音を鳴らして再度紡績機は動き始めた。

 軽快な音へ変わると、作業人たちはおおーっと歓声と拍手をして、さすが旦那さん! トッドが生まれる前からこいつらを見てるだけのことはある! と彼を褒め称えた。


 褒めるほどの事でもないよ、と言って鼻を指で擦りつつ、ジェームズはオーギュスト達に向かって手招きをした。

「あぁ、すまないねぇ。紹介が遅れたけど、こっちが息子のトッドだ。ほら、お前も挨拶して。前に話した牧場の手伝いに来てくれてるという学生さんだ」

「あ、どうも……」

 紹介されたトッドの頬にはニキビの跡がまだ赤く残っている。きっと年頃としてはオーギュストとさほど変わらないのだろう。

 背がかなり高く、ガタイもしっかりしているのとは裏腹に、黒髪の彼は軽く会釈をしてボソッとただそう挨拶をすると、それ以上は何も言わかった。


「ほーんと、私と似てないんだよねぇ。私は自分で言うのもなんだけど、こんなにお喋りなのに。こいつは昔っから無口でねぇ。悪気は無いんだ。許してやってくれ」

 ジェームズは苦笑いをしながら、オーギュスト達にそう彼のフォローを入れた。


「故障と言ってましたが、割とある事なんですか?」

 気になったのかエドガーがそう尋ねると、少し真剣そうな表情をしてジェームズは腕を組んだ。

「割とというか……まあ、時々ある程度かな。なにぶん、この工場を建てた時からずーっと同じ物を使ってるからねぇ。でも、多少機嫌が悪くなる時でも、相手をしてあげればさっきの通り元通りさ。それに、こいつらも私の息子や娘みたいなものだから大事にしてやらないと」

 彼はそう言って、リズムよく音を奏でている紡績機を優しく撫でた。


「……なーんて、格好をつけてみたけど、実際は新しい機種を買うだけの余力はないから、本格的に動かなくなるまで使うつもりってだけなんだけどね!」

 ハハハ! とジェームズは何とかなるさとでも言うように、明るい笑い声を大きく上げた。



 そして、ジェームズがオーギュスト達に紡績機の使い方や実際に出来上がった商品などを見せるうちに、あっという間に彼らが引き上げる時間がやってきてしまった。

 再び出迎えてくれた玄関口まで行くと、既に馬車が出発できる準備が整えられていた。

「じゃあ、君たちの父上によろしくね。釣りがしたくなったら、いつでも声を掛けてくれと伝えてくれ」

 馬車に乗り込んだエリザベスに別れの挨拶をジェームズがした後、エドガーとオーギュストも彼にむかって順に、貴重な時間をありがとうございますとお礼を述べた。

 

 予定通りに馬車が出発すると、ジェームズは彼らに向かって大きく手を振った。

 また、その横には相変わらず別れ際でも無口だったトッドが立っているのだが、ジェームズが彼のことを軽く肘で続くと、先ほどとは打って変わって大きな声で

「また来てくださいねー!」

と、彼らに向かって大きく叫んだので、窓から顔を見せてオーギュストとエドガーは彼に向かって手を振った。


 それに応えるかのように、彼もまた手を振り返した。

 話し下手だけど、根は真面目で良い人なんだろう。

 また今度会ったとき、じっくり話してみたら楽しいかもしれない。

 オーギュストはそう思い微笑むのだった。

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