13-2.謎の贈り主
昨日のワインがかなり効いたのだろうか。
疲れた感じもなく普段通りの様子で、シャーロットとエリザベスの母親は、朝食の席についていた。
「どうだい、昨日はよく寝れたかね?」
一番遅くにやってきた父親が自身の席に着くと、彼は母親にそう尋ねた。
ええ、おかげさまでと彼女は機嫌良さそうに笑顔を浮かべる。
「さあ、いただきましょう」
紅茶のカップに手を伸ばしながら、彼女は皆に朝食を食べるよう声を掛けた。
「それにしても、お母様が元気になったみたいでよかったわ。あんなに大絶賛していたんだもの。きっととても美味しいワインを頂いたのよ」
シャーロットがエリザベスに向かってそう話しかけた。
「あら、そんなに美味しいワインだったの。私もちょっと飲んでみたいわね」
エリザベスはそう言って、チラリとオーギュストの方を見つめて微笑んだ。
そう言われた当のオーギュストは頬を少し赤めて、照れた様子をみせた。
「実はねえ、母さんの飲んだワインの残りを昨日ちょーっともらったんだけど、確かに素晴らしかった。ここら辺の酒屋じゃまず手に入らない。それに、あれは母さんの好みにしっくりハマってだと思うよ」
父親はまた飲みたいのだろう。
実にいい味だのなんだの褒めちぎり、まるで催促するかのような目線をオーギュストに送った。
「ええ本当、素晴らしい味だったわ。酸味も甘さも絶妙な加減で、フルーティーな香りが印象的なのに、かと言ってくどい印象でもなく……」
よほど美味しさに感動して、皆に聞いてもらいたかったのだろう。
いかに素晴らしいか、こんな一級品を頂いてしまっていいのだろうかと母親は長々と語った。
「ところで母さん、ワインをくれたお礼はしたのかい?」
持ってきた本人がいるというのに、ワインを褒めはするがお礼を言わない母親を不思議に思い、父親がそう尋ねた。
「いいえ、まだですよ」
「なんだ、それは。せっかく貰っておいてちょっと失礼じゃないかね」
「そんな失礼って……朝食も食べる前の朝早くにお礼に伺う方が向こうだって困るでしょう」
そんなお礼を言うくらいなら困る事はないだろう、いいえ、朝早く行く方が……となぜか噛み合わない会話をしている両親に、二人とも待って! と険悪な雰囲気になるのを阻止すべく、エリザベスが止めに入った。
「ちょっと二人とも。会話が噛み合っていないわ。大体、お母様は誰からワインを頂いたと思っているの?」
エリザベスの制止に、両親は揃って彼女の顔を見つめた。
「誰って……こんな良いものを持ってくれる人といったらエドガーさんに決まってるでしょう?!」
母親の答えに、エリザベスも父親も思わず、えぇ?! っと大きく声を上げ、一方で皆の様子を観察していたシャーロットの方は笑いを堪えきれなくなりプッと吹き出した。
「……ちょっと、だめじゃないシャーリー。なんでちゃんと本当のことを言わなかったの」
揶揄うようなことをやってはいけないと言ったふうに、エリザベスはクスクスと笑っている妹の事を諭した。
「そうだぞ、シャーリー。ちゃんと本当のことを言わないと」
そう父親からも言われると、シャーロットは笑う自身を落ち着かせるために水を少し口に含んで飲み干し、こう返した。
「だって、本当のことを言ったらお母様受け取ってくれた? それに、自分のことは言わなくていいってオーギュストさんが言ってくれたのよ?」
ワインの送り主はエドガーではなく、オーギュストだと言う事実を聞いた母親は
「えっ……それじゃあ、これをくれたのはエドガーさんではなくて、この子だったの?!」
というと、皆がうんと返事をする代わりにこくりと頷いた。
母親は言葉を失ったようで、食堂はシンと静まり返った。
その微妙な空気を打ち破るかのように、いやぁ、参ったなと言った顔をしながら、オーギュストは片手を頭にやった。
「僕としては奥様に褒めてもらってすごく嬉しいです。 実はあれ、もともとフランス王室に献上するワインの選定係をやってた人が作ったものなんです。僕の母方のいと……じゃなくて、僕を援助してくれている実業家の知り合いの方なんですけど」
オーギュストの話によると、製作者はもともとはフランスの貴族で、実業家の伝手を頼って、新大陸まで家族と共に革命から逃げてきたという。
しかし、逃げてきたはいいのだが、当時は特にやることもなく屋敷に篭っていたそうだ。
そんなある時、実業家が支店を出すのに東側の土地を見ていたところ、ちょうど葡萄畑がワイナリー付きで破格の値段で売りに出されていた。
実業家は興味本位で買い取ってみたのだが……土地も栽培に適してるし葡萄の質も悪くないのになぜか出来上がるワインがあまり美味しくない。
どうすれば良いワインに仕上がるだろうかと軽い気持ちで実業家が意見を求めたそうだ。
そしてそれがきっかけで、暇を持て余していた元貴族はそれまでの知識を総動員して製造方法の見直し、保管方法の改善をしたところ、これがなんと大当たり。
格段に味が良くなり、今ではその土地を代表するワイナリーにまで成長した。
そして元貴族はワイン作りに欠かせない人物となっており、現在でも商品の企画、開発を担っているそうだ。
「作った張本人も、あれは特に自信作だそうで陛下にぜひ飲んでもらいたかったと言ってました。ですが、そのような前情報も全くないのに、奥様から大変褒めて頂いたと伝えたら、とても喜ぶと思います。作ったもので誰かを感動させることができたなら、それが常に作ることの原動力になると言っていたので」
「いやぁ、なるほどねぇ。通りでねぇ。」
飲んだ時の味を思い出すようにうんうんと頷きながら、オーギュストの話を聞いた父親は腕を組んだ。
「そんな凄い人の作ったワインを飲めるなんて、我々はとてもラッキーだったじゃないか。それに母さんの舌も一級品の味がわかったんだから大したもんだ」
ふっふん、と母親は軽く鼻を鳴らすと、私だってこんな田舎育ちとはいえ、美味しいものくらいの判断はつきますよと彼女は言った。
だが、いつものようにツンとした態度をしてはいるが、口元が少し緩んでいるのをシャーロットとエリザベスは見逃さず、こっそり嬉しそうねと言ってお互いに微笑んだ。
すると、あっ! そういえば……と、何かを思い出したのかオーギュストがそう口走った。
「グラハム邸に送ってきてくれたワインの中に試作段階のワインも何本かありまして。夫人もそれ程飲む方ではないので、よろしければ奥様が何本か試してみませんか? ワイン好きな方の意見をもらえる方が僕としても参考になると思うんです」
オーギュストの急な依頼に、え? 私が? と彼女は眉間に皺を寄せて
「そ、それは美味しいか美味しくないくらいは言えるけど、そんな専門家の人に向かって細かく意見することなんて……」
無理よとでも言いたげに、彼女は首を横に振った。
流石にプロを相手に意見すると言うのは気が引けるらしい。
「いえいえ、美味しい、美味しくないとはっきりおっしゃってくれるだけで大丈夫です。それにあちらも忌憚のない意見を求めてるはずですので」
オーギュストは少し弱気になっている母親に、僕は奥様のセンスが本物だと信じていますと付け加えた。
「ほー。本物ねぇ……そこまで褒められたら乗っても良いんじゃないのかねえ。それに男よりも女から支持される商品の方が売上もいいだろうし」
ぜひともやってみなさいよ、と父親もニッと笑ってみせて母親をせっついた。
そうよ、そうよ! お母様、好きなものがたんとと飲めるじゃないと娘達からも声が上る。
「うーん……皆んなにそこまで言われたのなら。仕方ないわね。その代わり、感想は遠慮なく言わせてもらうから覚悟してちょうだい!」
母親はそう言ってオーギュストに強い眼差しを一瞬向けたが、その後、彼に向かって初めて笑顔を見せた。
そして、オーギュストもはい、明日にでも取りに行って参ります、マダム! と笑顔で返すのだった。