12.婚約破棄
マリアンヌに奪われたブローチを取り戻し、納屋からオーギュストとエドガーが母屋の方へと戻ろうとすると、お茶会の招待客一同はシャーロットに見送られながら玄関から馬車に乗り込んで帰っていくところだった。
中でも、自身も被害に遭った上、詐欺に加担しそうになっていたプレストン夫人はとても顔色を悪くしており、馬車に乗るのをシャーロットが手伝わないと乗れない有様だった。
「とりあえず、ティールームの片付けに行こうか」
エドガーがオーギュストにそう声をかけ、二人はティールームの入り口近くへと向かった。
二人が室内に入ろうとしたが、その中からはグスン、グスンと誰かの啜り泣くような声がしてくる。
彼らは足を止めると、そっと外から様子を伺った。
椅子に座りながら泣いているのは、どうやらエリザベスとシャーロットの母親のようだった。
彼女の横にはエリザベスが座り、ずっと背中をさすっている。
「……うっ、うっ、せっかくチャンスだと思ったのに……あぁ……」
「そんな、お母様……どうか気を落とさないで。もし、オーギュストたちが捕まえてくれなかったら大変だったじゃない。ね、私はそんな立派な方のところへ嫁ぐつもりはなかったんだし」
嫁ぐつもりはなかった。
その言葉に母親はピクッと反応すると、更にうわーっと泣き声をあげた。
「何をあなたは言ってるの……? 女が一人でこの先やっていくってどれだけ大変な事かわからないでしょう。私もあの人もいなくなったらあなたは一人ぼっちなのよ? いくら下の妹たちがあなたが独身でも面倒はみてくれるといったって……あぁ……」
その母の嘆きに、大丈夫、大丈夫、と言ってエリザベスは声を掛けるが、どこか寂しさを感じるような雰囲気を纏っていた。
「……ぐすん、大丈夫じゃないわよ。それにあなたは悔しくないの? あの人達にあんな事されて。その上、生まれ育ったこの家や土地だって全部取り上げられてしまうのよ? あの人達をギャフンと言われるなら、それなりの家柄やお金持ちの所へ嫁ぐしかないじゃない。あぁ……」
もはや、かける言葉も無くなってしまったのか、エリザベスは黙って母親の背中をさするしかない様子だ。
……嫁ぐって何の話なんだろうだろうか……
一方、聞き耳を立てていたオーギュストはそこがやはり引っかかったようだ。
もしかしたら、エリザベスに新しい縁談の話でも来ているのか? と彼の頭の中を不安が襲った。
そんな風にして、母親の様子が落ち着くまで二人が待とうとしていると、客人達の見送りを終えたシャーロットが廊下から歩いてきた。
もしかして、まだ中に母達はいるの? と彼女は二人にコソッと聞くと二人は無言で頷いた。
「そう……でも、ここの片付けもあるから、あとはねえ様に任せましょう」
彼女はオーギュスト達に声を掛けると、ティールームの中へ入って行き、お母様はお部屋でゆっくり休んでと声をかけ、エリザベスに台所の方から出ていくようにとジェスチャーをした。
◆◆◆
「言うのが遅れたけれど、二人共、本当にどうもありがとう。エドガーさんもせっかく来てくれたのに、片付けまでやって貰ってごめんなさいね」
女中と一緒に食器を台所に運びながら、シャーロットは二人にお礼を言った。
「いや、それよりも詐欺を未然に防げて良かったよ。礼には及ばない……けど、あの時にエドガーが来てくれなかったら、本当にどうなってたのかな。ナイスタイミングだったね!」
オーギュストは花瓶の破片を箒で穿きながら、椅子を片付けているエドガーに向かって僕からも礼を言うよと言った。
「ははっ! 僕の登場に感謝してくれよ、二人共! なんてね。でもまあ、今日はこの後に村の警備の人が来てバタバタとしそうだし、ご夫人もあの様子だから、せっかくだけど招待いただいた夕食は辞退させてもらうよ。悪いね、シャーロット」
そう言ってエドガーがシャーロットにウインクをすると、彼女は肩を竦めて
「まあ、日が悪かったわね。残念」
とシャーロットは少ししょんぼりとした様子で、エドガーの辞退を受け入れた。
「ところで、どうして君の母君は泣いてたんだい? 怖い思いをしたからって感じでもなさそうだったけど」
彼女が泣いてたのが気になったのは、どうやらオーギュストだけではなくエドガーもだったらしい。
子供でもなく、いい歳をした大人の女性が泣いているのだから当然といえば当然なのだが。
ああそれは……とシャーロットは、俯いて少し深刻そうな表情を浮かべた。
「私もプレストン夫人からちょっとしか聞いていないんだけど、どうやら、母は伯爵から舞踏会の招待に呼ばれたかったらしいの」
シャーロットによると、手前味噌だがエリザベスは村でも一、二を争うほどの美人なため、きっと舞踏会に呼ばれれば誰かしらの目にとまるだろうと。
そして、もしそこで誰かと縁があれば、こんな片田舎で誰かと結婚するよりもずっと華やかな暮らしができる、母はきっとそう望んでいるのだと言った。
「でもこう言ったら、なんだか母が強欲な人に思うでしょうね。けれど、母なりにも思いがあって。それに、ねえ様だって縁談は来るけれど、それも最近は後妻を望んでとかそんなのばかりだから」
シャーロットも姉には幸せになって欲しいと本心から望んでいるのだろう。
しかし現実は残酷で、年を重ねるごとに条件が悪くなっていく。
何か思う事があるとでも言うように、彼女は少しため息をついて片付けの手を止めたが、首を軽く振ると、すぐにまたソーサーやカップを手に持った。
「あのさ……ひょっとして、お母さんがそう望むのって、エリザベスさんが婚約破棄されたのが原因なのかな」
オーギュストがそう尋ねると、シャーロットはやだ知ってたの?! と言ってかなり驚いた様子を見せた。
「ま、まあ、ここは田舎だから誰かしらか耳に入ってもおかしくは無いわね。そうよ。あなたたちはバカにするような人たちではないから話せるけど……実は姉は婚約破棄されたの」
いつものニコニコしているシャーロットととは違い、気分が悪いとでも言うように彼女は眉間に皺を寄せた。
「私も当時はまだ子供だったから、詳しい話は教えてもらえてないんだけど、急に相手の方からこの縁談は無かったことにして欲しいって言われたらしいの。だから、全くうちの事を知らない人は、ねえ様に原因があったに違いないとか陰で言ってきたりしたわ」
彼女は続ける。
「でも噂で、ねえ様の親友と元婚約者が結婚して都会の方へ越して行った耳にしたの。家族内でその話はタブーだから本当なのかはわからないけど、きっとまあそうなんでしょうね。だって、元婚約者と破談になった直後と同時に、ねえ様と仲の良かった親友もそれっきりうちに来ることがなくなったんだもの」
だからと言って、ねえ様に非があったとは思えないわ! と彼女は付け加えた。
「だって、その親友ったらお世辞にも見た目が美しいとは言えない人で。もちろん、ねえ様の性格に問題がある訳がないのは、あなた達もわかるでしょう。きっと、うんと持参金を弾むとかお金で釣ったのに違いないわ。あちらの方がうちよりずっとずっとお金持ちだったはずだし……破棄されるまでは、ねぇ様もあんなに嬉しそうだったのに」
よほど悔しい思いをしたのだろう。シャーロットは泣くのを我慢しようとして、唇をぎゅっと噛んだ。
エドガーはいつもの軽い調子を収めると、真剣な眼差しを彼女に向けるとうんうんと頷いて
「そうだったのか……それは辛い思い出を語らせてごめんな」
とシャーロットの肩をポンポンと叩くと、彼女は堰を切ったように泣き出してしまった。
彼は気の済むまで泣いていいよと彼女を片手で抱きしめた。
一方、オーギュストは自身の経験とエリザベスの事を重ねていたが、あの当たりの強い母親もそういう理由があったのかと切なく思った。
だが同時に、もし、今この場で本当の自分の身分を明かしたら、両手をあげてエリザベスとの仲を取り持ってくれるかも知れないと言う期待が彼の脳裏を過った。
……だめだ。そんなのフェアじゃない。それに、エリザベスさんは僕の事をどう思ってるかわかりもしないのに……
オーギュストはその欲望を払いのける様にして、首を横にブンブンと振った。