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再会の夜に咲く

作者: 岡村

水澤 蛍は目立たない生徒だと思う。

同じクラスでも、彼のフルネームを呼べる生徒の方が少ないだろう。


彼の声が高いか低いかも正直思い出せない。

先ほど理科室で行われた実習ですら、彼がどの班に所属していたかも知らない。

かといって、取り立てて陰気であるという印象もない。

言ってみれば常に石ころぼうしを被っているような、そんな印象の生徒だった。


1.

私には破壊衝動みたいなものがある。

整然と並んだ試験管をバットで叩き割ったらどんなに気持ちいいだろう。

みんなはどんな顔をするだろう。

授業中に椅子を窓ガラスへ叩きつけたらどうなるだろう。

そんな実行も出来ない子供じみた狂気を妄想しては、窓の外に広がるつまらない田園風景を眺めてため息をついた。


要するに私は日常に飽きているのだ。

退屈を紛らすための空想遊び。

それしか出来ない毎日が心底嫌になっていた。


「この問題を草壁さん。


先生に何かの解答を求められたけど、話を聞いていなかったので

わかりません

と答えた。

それに対して特に何も言われなかった。


「百合ちゃんはもうどこの高校行くか決めてるの?


丁寧に巻かれただし巻き卵を口に運びながらわたしにたずねる。

形の整った卵焼きを見ると、その延長線上にある家庭環境も整然とした美しいものなんだろうなと想像する。


「決めてないよ。

 まだ2年だし、3年になってからでいいかなって。


「良かった。百合ちゃん頭がいいからもう受けるとこ絞ってるのかなって。


この子はたぶん佐藤さんか伊藤さん。

女子はグループが固まり始めると、残った人員でくっつこうとする性質がある。

私と佐(伊)藤さんは要するに余り物だ。

今日はお休みだが、もう1人女の子が一緒に昼食を取ることがある。

女子グループは個々のステータスと人数で影響力が変化するうえ、相性なんかもある。

お山の大将タイプが複数いると破綻するのだ。

私は退屈はしているが面倒は嫌いだ。

こんな時、なんとなく1人きりでもやっていける男子は幸せだなと感じる。


窓際の一番後ろ。

水澤蛍は今日も一人でお弁当を食べている。


2.

学校の裏門側にタタミ一畳ほどの小さな花壇がある。

何を育てているのかはわからないが雑草もなく、よく手入れされていた。

水澤蛍はいつもそこで花壇に水をやっていた。


私が彼を気にするようになったのは理由がある。


夜の学校

と言うものを体験してみたかった。

静まり返った校舎に底の見えないプール。

そこにいけば非日常があるんじゃないかと感じたのかもしれない。


一学期の終わり頃、私はご丁寧に制服を着て夜の学校へ忍び込んだ。

裏門をよじ登り校庭へ進む。

少し緊張したが校庭には誰もいなかった。


こんなに広かったかな。

いつも家に帰る頃には野球部や陸上部で賑わっている場所がこうもがらんとしていると何だか嫌に広く感じ、不気味ささえ漂っているように思える。


私はあえて真ん中を突っ切り、体育館横のプールへ向かう。

私は正直がっかりした。

思ったよりも暗く、照らしながら出ないと足元も見えない。

心のどこかで思い描いていた

月明かりに照らされた幻想的な水のほとり

という情景とは程遠いものだった。

どこまでも黒い水はただただ陰鬱で近づくことさえ躊躇われた。


心躍らせて臨んだ 非日常 だったが、

蓋を開けるとこんなもんか。

という印象だった。

制服まで着込んで決行した一大イベントだったが、今となっては気恥ずかしささえ感じる。


夏の夜に少しだけ成長した私は、手応えを持たないまま、侵入した裏門へ向かう。


異変。


よじ登り、侵入したはずの裏門がほんの少し開いている。

体を横に向け、少しこするように通れば人がひとり抜けられる程度の隙間。


背筋がゾッとした。

私が夜の学校を観光している間に誰かがここに入って来ている。その誰かは私を見つけたかもしれない。

私はすぐさまその場から駆け出した。


カラーン


何かを蹴飛ばし大きな音を立てた。

金属音

縦長の三角形のような何かがぐるぐると回転しながら前方に滑り出した。

悲鳴をあげそうになる口を塞ぎ、裏門の隙間に身体を捩じ込んだ。

無くなりかけのマヨネーズのように隙間から絞り出された私はそのまま門の外へ飛び出し、振り返ることなく家まで走った。


翌朝早く、私は学校へ向かった。

正門ではなく裏門へ。

昨夜の出来事を確かめたかったのだ。


裏門はしっかりと閉じられていた。

ぐるぐると巻いた鎖にはダイヤルロックが引っ掛けられている。

少し気分が沈んだのを感じた。

施錠されているということは、やはり私が侵入した時にはこの門は開いていなかったのだ。

次の証拠を探す。

勢い良く蹴飛ばした何か。

あれはたぶんシャベルだろう。

近くに花壇があるから、用具倉庫にしまい忘れたシャベルが転がっていても何の不思議もない。


シャベルはどこにもなかった。

昨夜学校に侵入した2人目の誰かは、ご丁寧にシャベルを用具倉庫にしまい、裏門を施錠して帰ったのだ。


教員の誰かだったのだろうか?

しかし見られていたなら今頃職員室に呼び出されてお叱りを受けているだろう。

誰かが侵入したことには気付いていたけど私とはわからなかった?

いや、それでも

夜の学校に侵入した生徒がいる

もしくは、不審者が侵入した可能性がある

といった注意喚起くらいは行われるだろう。


となると考えられるのは外部の人間かこの学校の生徒。

外部の人間が用具入れの場所を把握しているだろうか?

シャベルを持ち帰っただけかも知れない。

つまり用具入れにシャベルが戻っているなら夜の侵入者は生徒である可能性が高い。

私の興味はいつの間にか夜の校舎から探偵ごっこに変化していた。

夜の持つ恐怖や不安感に比べれば早朝の学校などなんてことはない。

私は根拠のない万能感を武器に意気揚々と用具倉庫へ向かう。


「ダイヤルロック・・・


当然と言えば当然だが、倉庫は施錠されていた。

名探偵の捜査は早速頓挫してしまった。


「開けようか?


どこかから声がした。

誰もいないつもりだったからさすがに少しギクッとした。

そこには見知ってはいるが、特に言葉を交わした覚えのないクラスメイトが立っていた。


「開けられるの?


「いつも使ってるからね。


水澤蛍は手慣れた様子でダイヤル錠の数字を合わせた。

彼が錠前を外すと、強固に見えた扉はあっさりと口を開いた。


「開いたよ。


「ありがとう。


「それで何をするの?


当然の疑問。


「ちょっと探し物をね。

でもこんなに朝早く登校するならわざわざ夜に忍び込む必要ないんじゃない?


水澤の動きが止まった。

根拠は無かった。

名探偵はにんまりと笑った。



3.

「昨日は何してたの?


「何もしてないよ。


錆びたアルミのじょうろに水を注ぐ。

微細な穴が空いているのか、持ち上げると細い水の筋が地面に線を引いた。


「いつもここで何してるの?


「水をあげたり、草を抜いたりしてるよ。


水澤蛍はこんな声だったんだ。

少し高めでノイズの全くない、聞き取りやすい声。

歌やお芝居をやれば大成するんじゃないだろうか、なんて、また根拠の無い空想を繰り広げた。


「毎朝?


「だいたい毎朝かな。

朝とお昼と帰り。


「夜も含めると4回?

そんなに水ってあげないといけないものなの?


黙ったままじょうろを傾ける。

裏門側の花壇は日当たりが良くないので虹の橋はかからなかったが、無数の水柱は弧を描いて気持ちよさように土に染み込む。


どうやら肯定するつもりは無いらしい。

否定もしないので私は彼が黒だと確信している。


「今日も来る?


「来ないよ。


「あれー

今日"も"って言ったよ?


水澤蛍は粛々と地面を濡らしていく。

自分でも面倒な絡み方をしているな、と感じるが、意外に彼の表情から嫌悪や困惑は感じない。

表情の読み取りなど主観的なものだから都合の良い解釈だと言われればそれまでだが、私はまだ彼につけいる隙があるように思った。


「水澤は学校楽しい?


話を変えてみた。

迂回したわけではない。

私は単純に彼のことを知らないのだ。


「楽しい。


にこりと微笑んだ。

屈託のない で検索をかけたらこの画像が出て来ればすべての人に誤解なく意味が伝わるのではないかと言うほどの笑顔。

私は正直意外だった。

だって彼が特定の誰かと仲良くしている印象が無いから。


「そうなんだ。

仲の良い人とかいるの?


「時々話しかけてくれる子はいるよ。


「時々?

時々でいいの?


「うん。

学校に来ると人がたくさんいるでしょ?

先生方やクラスのみんな。

他のクラスの人や一年生、三年生。

人と会えるのが嬉しいんだ。


「ふーん。

たくさんいても仲良い人がいないとしんどくない?


この言葉は余りモノ同士でくっついた私には若干のブーメランなのだが。


「楽しいよ。

周りで誰かが話したり笑ったりするのがすごく楽しい。

夏休みなんて来なければ良いのにって思うくらい。


触れたことのない意見に素直に感心した。

ああいうものは内側にいない限り不快なノイズだと思っていたからだ。


「水澤は良いやつかもしれない。


「ありがとう。


優しい少年は、そう言ってまた笑った。



4.

私はまた夜の学校にいた。

前回よりも少し早めの時刻に。

今回は探検が目的では無かったからだ。


用具倉庫の裏に折りたたみ式の椅子を置いた。

骨組みに布を貼っただけの簡易的なものだ。

私はそこで彼の出現を待つことにした。


前回と変わらず夜の学校はしんとしているが、以前ほどの高揚も不安もなかった。

体験、経験はこうして人生をつまらなくしていくのだろうか。なんてことを考えた。


カチャカチャ


ほんの僅かだが金属の音が聞こえる

裏門の鎖だろう。

おそらく水澤だ。

だが、別の誰かの可能性もある。

私は暗がりから門の様子を伺った。

ぼんやりとごく小さな灯りが見える。

明度を抑えた携帯端末で手元を照らしているのだろう。


「なかなか開かないな・・・


随分もたついているように見える。

反応から察するに昨夜の侵入者は彼で間違いない。

用具倉庫と同じ番号なのかはわからないが、彼は解錠の番号を知っている。


「開いた?


ゆっくりと鎖を降ろし、門が滑る。

音を抑えるためか、彼が非力なだけかはわからないが門はゆっくりと入り口を作る。

もたついていた理由が彼の片腕からだらんとぶら下がっていた。

水澤蛍は猫の死骸を抱いていた。


5.

歴史の授業は退屈だったが、私はいつもより授業に集中出来ていた。

年号を暗記することに意味を感じなかったが、集団で意味のない作業に臨むことこそが群衆に溶け込むことだと思ったからだ。


昨日まで抱えていた非日常への渇望も、幼稚な破壊衝動も飲み下したようにスッと消えていた。


なんてことはない、私は他人とは違うエキセントリックな人間でありたかっただけなのだ。

猫の亡き骸と共に夜の学校に現れた同級生を見て、私はそちら側ではないと、嫌と言うほど思い知らされた。

ちらりと窓際の席を捜す。

目が合わないかとドキドキしながら。

彼はいつもの席に座ってノートをとっている。

少し気分が沈んでいるようにも見えるが、元々感情の起伏を外へ出すタイプでは無いので私にはよくわからなかった。


あれは何だったんだろうか。

何をしようとしていたんだろうか。

あれは水澤がやったのだろうか。


聞きたいことも確認したいこともある。

だが、聞けない理由があった。


私は彼が怖かった。

昨夜の姿を見て、私はすっかり怖気付いてしまった。

月明かりの下で、花壇に猫を埋める同級生を見て、私は逃げ出した。逃げ出してしまった。

彼もそれを知っている。

私は心から普通でありたいと願ったのだ。


非日常を共有するパートナーを見つけた気になってはしゃいでいたのかもしれない。

もしかしたらここにいる誰もに異常性があって、私は誰よりも無個性なのかもしれない、そう考えると顔から火が出そうだった。


「どうしたの?

変な顔してるよ?


いつものだし巻き卵を2つに割りながら私に尋ねる。


「いや、うん。

何でもないよ。佐藤さん。


「斉藤だよ。百合ちゃん。


「ああ、ごめんね、斉藤さん。


他人への無関心も過剰な自己演出だったのかもしれない。

そんな風に考え始めると何もかもが恥ずかしくて、顔に出さずにはいられなかった。

私はそれを隠すためにお弁当の中身を次から次へと口の中へ放り込んだ。


「今日もいないね。伊藤ちゃん。


「ああ、そうだね。


振り向きかけて少しぎくっとする。

伊藤さんの席は水澤の隣だから。


「お見舞い行ってみようか。

先生な相談してさ。


斉藤さんが提案する。


「そうだね、少し顔を出してみようか。


無関心な私と付き合ってくれた友人と向き合ってみよう。これも昨夜の出来事がきっかけで訪れた心境の変化だった。


放課後、

職員室を訪れた私たちは、

先生から伊藤さんの訃報を聞いた。


何かの病を患っていたそうだ。


ショックを与えたくないから生徒には周知しないそうだ。

親御さんと話し合って出した結論らしい。


「そういうことだから、

水澤もこの事は言わないでくれよ。


振り返ると、

何かの用事で居合わせた彼がそこにいた。

水澤蛍は泣いていた。


「好きだったの?


無神経な質問をした。

エキセントリックを装う私が少し顔を出したのかもしれない。

斉藤さんは先に帰った。

水澤ほどではないが彼女も相当ショックだったらしい。

その場にへたり込んでしまったので先生が彼女の家へ連絡していた。


「わからないけど、すごく悲しい。


「そう、じゃあ好きだったんだよ。


「うん。


「水澤は猫を殺したの?


無神経な私は尋ねた。


水澤は学生服の袖で涙を拭いながら首を振った。


「誰かに、会えなくなるのは、

すごく、寂しいから


「そうか。

そうだよね。寂しいよね。


水澤は誰かの声が聞こえる場所に連れてきてあげたかったのかもしれない。

それはたぶん掛け値なしに彼の優しさなのだろう。

私はそれ以上聞かなかった。

確認するようなことでは無いと思ったから。


「ここには猫以外もいるの?


「すずめを埋めたことがある。


「そうか、なら寂しくないね。


さっきまで恐ろしくて仕方なかった亡き骸がとても優しいものに思えた。

丁寧に草を引かれた土の下で、彼らが何を思っているかはわからないが、水澤の気持ちは届当たるんじゃないかと思った。

人間らしい都合の良い解釈かもしれないけど、私はそうであって欲しいと思った。


「水澤、もう一度職員室に行こうか。


私たちは重い腰をあげて再度担任の元に向かった。

プラスチックのプレートに簡素なクリップが取り付けられた名札。

職員室にあった伊藤さんの痕跡はそれだけだった。


「持っていく?


手の平に乗せて差し出すと、水澤は首を横に振った。

花壇の側にしゃがみ込むと、手を尖らせて土を掘り始めた。

昨夜掘り返したばかりだからか、土はまだ柔らかいようだった。


「手伝うよ。


放課後の学校で、私はクラスメイトと素手で花壇に穴を掘った。

陽の短い夏の日。

あたりはすっかり暗くなっていた。


「夜にここで話すのは初めてだね。


「うん。


「ここには花は咲くの?


「咲くと思う。


「そうなんだ。

みんな喜ぶね。


「うん。

そうだといいな。


プラスチックのプレートは土の中に眠った。

何の意味もないかもしれないけど、何かした

という事実は、残された私たちへの救いになるのかもしれない。


「私も時々水をあげていい?


「うん。嬉しい。


まだ目は赤いけど、水澤が笑った。


「いつか、私もここに埋めてほしいな。


「そんなこと言わないで。


私の無神経な一言で、水澤はまた泣いた。

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