第一話 生家からの追放
「順三。貴様とは親子の縁を切る……勘当だ」
実父である須川格之進に書斎へ呼ばれた時点で、順三は覚悟していた。
けれど実際に言葉として耳にすると、頭がくらくらする思いだった。
弁明しようと、正座のまま前に身を乗り出しつつ、順三は口を開く。
「それは俺の、先日の要人警護の結果によるものでしょうか。しかしあれは……お言葉ですが父上、」
「もう父と呼ぶな。須川家の恥晒しが!」
厳しく吐き捨てて、いかめしい顔つきの格之進は文机に拳を振り下ろした。
鈍い音のあと、片端が二又に分かれる翡翠製の台座に置かれていた、一尺三寸ほどの杖が転がり落ちる。格之進の横に控えていた順三の母・佳乃が怯え、膝の上の手を震えさせた。
格之進は畳へ落ちた杖を素早く右手で拾い上げると、先端を順三の顔に向けた。
──魔法が、来る。
すぐにそう察知したが、同時にそれが致命傷を与えるものでないこともわかった。
だから避けなかった。
風圧を一瞬、感じる。
順三の左耳が中ほどで裂けた。
風を操る【断風】の魔法……それも無詠唱だった。
背後の障子へ、ビシャリ、と順三の血が散る。後ろで一束に結った髪もひと房落ちる。
冷徹な目を向けて、格之進はつづけた。
「順三。三男とはいえ、私はお前にそれなりに目をかけてきたつもりだ。この、元服の齢までしっかりと育ててやった。そうだな?」
「仰せの通りでございます」
「それなのになぜだ? なぜお前は、この程度の魔法も使えなかった?」
詠唱無しでの【断風】の発動は、長男の太一郎や次男の興次なら齢七ツを数える頃には出来ていたことだ。
しかし順三には……どうしたことか、まるで魔法の才がなかった。
詠唱有りでも発動するかは五分五分。詠唱無しなど以ての外。
あまりの才の無さに、格之進が佳乃の不貞をさえ疑ったほどである。
「……申し訳ございません」
ただただ、順三は頭を下げるしかない。佳乃もつられるように頭を下げた。この場で怒りがやまなければ、格之進の次の折檻は彼女に向くためだ。残念ながら、順三に同情してくれてのことではない。
格之進は激怒に杖先を震わせながら、歯の根を軋ませて言う。
「畜生め。無能なだけならばまだ良かった。まだ、良かったのだ! だが貴様はこともあろうに政府との関わりも深い要人たる異人の前で……『刀を抜いた』そうだな!」
もはや順三を見ているだけでも怒りが高まるのか、息を荒げながら格之進は片手で顔を覆った。
だが順三もこれには、反駁せざるを得なかった。
「俺の務めを果たし、要人を守るため……仕方がなかったのです」
「黙れ! 廃刀令を知らんのか!」
無論、順三だって知っている。
開国後の異文化が根付いたこの明治、新政府は様々な事情を鑑みて廃刀令を打ち出し、公的な場での帯刀や抜刀は厳しく戒められた。
とくに『異人の前では政府の許可なく刀刃を晒すべからず』と、異人の前での抜刀はことさらに重く罰せられる法であった。
代わりに人を守る術として、異人のもたらした『魔法』が発達し、人口に膾炙していたわけだが……順三は魔法が使えない。
あの場で要人を守るには、刀を抜くしかなかったのだ。
たとえそれが禁じられた手段だとしても。順三には、それしか頼れるものがなかった。
「この、魔法こそ絶対の時代に剣の腕など鍛えておっただけでも愚かしいというのに、まさか要人の前、公の場で剣を使おうとは!」
「申し訳ございません」
「異人どもの異世界は古くから魔法によって成り立ってきた國だ! それゆえ、刀や剣と言った品を野蛮と言って忌み嫌う。そんな連中の前で抜刀したなどという貴様の蛮行がために、外交問題にでも発展したならばどうするつもりだ。政に関わる議員である私の人生の、障りになると思わなかったのか!」
「申し訳、ございません……」
「ひとつ覚えに謝るな、うつけが! だが、もうよい……貴様には呼び出しがかかっておる」
「はい」
「その、警護の件についてだ。上からの命でな、『抜刀した者を山手へ呼びつけよ』とのことだ」
「それは……」
言葉に詰まった順三の様子を察してか、ようやく格之進は溜飲が下がったと見えた。
口の端を釣り上げて、酷薄に言い放つ。
「異人の前で抜刀した咎めを受けるのであろう。刀を忌避する者どもの前での無礼極まる行いだ、腹を切れと申しつけられるのやもしれぬ」
「……、」
「禁を犯してでも刀を振るいたかったうつけ。助けた相手に咎められ、白刃で果てるとは似合いの末路だ。せいぜい潔く、死ね」
話は以上だと、格之進は立ち上がって書斎を去る。佳乃も三歩後ろをついていった。
二人の向かう先は財を納めた蔵の方だ。縁を切ったとはいえ、順三の身内である格之進たちにも廃刀令を無視した咎めが及ぶ可能性がある。
國へ務める官吏としてこうした際に立ち回りのうまい格之進は、金を積んで問題を自身から遠ざけてきた。此度もそうするのだろう。
士族、武士の誇りとしてそれはどうなのかと度々順三は諫言してきたが、都度殴り倒され聞き入れてもらえることはついぞなかった。
もはや順三の言葉を聞いてくれる者は、誰もいない。
順三は、部屋の主が腰を下ろしていた座布団へ静かに一礼した。
耳からの血が畳へ滴った。
……部屋を辞して玄関口へ行くと、見知らぬ人間が三名並んでいた。
中肉中背の順三より三名とも頭ひとつ高く、ステッキをついている。
おそらく仕込み。異人なので当然、剣などではないだろう。手元一尺ほどは先の格之進が操ったような杖となっているに相違ない。
彼らは三つ揃えの衣服に香木のような独特の匂いを漂わせていて、それだけでこの日ノ本の人間でないことが察せられる。
もっとも手前に居た男が、帽子を頭から取ると胸に引き付け、琥珀のような目とイガ栗を思わせる尖った髪をのぞかせた。その髪を掻きわけ横に突き出すのは、笹穂のような長い耳だ。
日ノ本の者にはない、異人の相。
「俺が、須川順三です。あなたがたは、山手からお出でになったのですか」
「はい。あなた様をお迎えにあがりました」
この異人たちが自分の死へのお供なのだろう、となんとなく思いながらも、順三は黙って受け入れうなずいた。