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道楽草  作者: 十三岡繁
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行動原則

 生物はその存在維持の為に必要な行動に対しては、楽しさを感じるようにできていると思う。楽しいという感情は脳内から快感物質が分泌されるという事だ。特に人間について考えてみる。食べることは生きてく上で必要不可欠だが、この行為が発展して食事という楽しみになる。生殖活動は固体というよりは種の存続に必要だが、これも娯楽に近い部分があるだろう。睡眠をとるのも楽しみの一つであるし、排泄行為すら快感を含んでいると思われる。


 そこで疑問になるのが逆の関係だ。人間が楽しいと感じる行為は、つまりは生物としての存在維持の為に必要な行動という事になるのだろうか?それはスポーツや趣味、時には社会的地位を得たり消費活動をすることは、生物としての本能に触れる部分があるから楽しいと感じるという事なのだろうか?


 一般的には理解できない行動はどうなのだろう?例えば快楽殺人だ。どう考えても種の存続や、個々の生命活動の維持に必要な行為だとは思えない。それでも快感を得られるというのであれば、前出の推測が間違っているとも考えられるが、もしかするとそれはそれで何かしらの必然性がある可能性がある。


 人間の中には他者の痛みに共感できない、人が死ぬことにも感情が動かないサイコパスという存在が一定数いるらしい。それもまた何かしらの理由で必要な存在なのだろうか?そういう特異的な存在があることで、種全体が強くなれるという事なのだろうか?


 各自個体が好き勝手に自分の楽しさだけを追求して生きているようでいて、実は種全体の縛りの中から行動を強制されているのかもしれない。それも何か騙されているようで悔しいような気がする。自殺願望や殺人願望がある人は一度立ち止まって考え直してみて欲しい。それは本当にあなたの自由意志なんだろうか?

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