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道楽草  作者: 十三岡繁
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時間旅行

 実は日本の国土の75%は山地である。日本人は主に平野部に住んでいるが、実は地形という面から捉えれば、山地こそが日本の土地のスタンダードであって、平地の方がイレギュラーなのだ。


 だから山に登ると懐かしい気分になることがある。それはもしかしたら、まだ緑や自然が身近であった幼少期の体験や記憶が影響しているのかもしれない。しかしもっと深い部分で、遺伝子に刻まれた記憶の様なものが影響している様にも感じる。


 そうして登るようになってから、山そのものが信仰の対象になっているところが多くて驚く。麓には下宮があって…一般的にはここが参拝の対象になっているが、頂上には上宮、中腹には中宮があって、それそれに神が祭られていたりする。


 人の手では動かせないような巨岩には、不動明王の絵が書かれ、登山道のあちこちにはお地蔵様やら仏様やらが置かれている。祠もある。鳥居もある。神仏混淆で神も仏もここでは混ざりあっている。


 石に掘り込んである文字は、長い年月の間に風化して読むのが困難な場合が多いが、写真に撮ってあとで調べると数百年前の物であるなどという事はことはざらにある。石垣などであれば1000年以上前の物であったりもする。


 当時の人もきっと自分と同じこの道を歩いていたのかと思えば実に不思議な気持ちになる。きっと石積の階段などはその形状は変わりながらも、1000年以上人に踏まれ続けてきたのだろう。加工されたわけでは無く、人の足ですり減って表面が滑らかだったりする。


 山も麓に近い部分は、植林された針葉樹ばかりだ。これは人工的な風景だ。しかし登るにつれて、昔ながらの照葉樹林が広がる。その風景は多分1000年以上前、もしかしたら2000年、3000年以上前から同じものだったのだろう。山に登らない限りはこの風景を見る事は叶わない。そう言った意味では登山は時間旅行と言えるのかもしれない。

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