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道楽草  作者: 十三岡繁
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鏡像の不思議

 鏡に映る像がなぜ左右反転して見えるのかは、分からないのだという。左右反転して見えない例がある。車のバックミラーで見る景色は左右反転していないだろうとの説明だ。


 なるほど、例えば右手に箸を持って鏡に映った自分をみてみる。鏡の中の自分は左手に箸を持っていると認識する。確かに像が反転している。


 一方バックミラーに映っている後ろの車のドライバーが右手に箸を持っていたとしよう。いや、実際には危ないからそんなことはして欲しくないが…認識としては後ろのドライバーが右手で箸を持っているという事になる。確かに反転していない。


 そこで今度は車の中で自分も右手で箸を持って、このバックミラーに横入りしてみる。当然普通の鏡と同じで、映り込んだ自分は左手に箸を持っているという認識になる。そこでまた後ろの車のドライバーを見てみると、やはり右手に箸を持っているという認識に変わる…。おかしい…自分も後ろのドライバーも体の同じ側の手で箸を握っているのだから、左右逆のはずはない。頭の中でいくらそう考えてもなかなかに整理がつかない。


 更に自分の意識を後ろのドライバーに移してみる。前の車のバックミラーに映った自分の姿を想像すると、今度は鏡の中の自分は左手に箸を持っていると認識できる。更に横から映り込んできた前の車のドライバーも左手に箸を持っていると認識される。


 真実はひとつのはずなのに、違う認識に辿り着いてしまう。人間は世界を知るには、外部から得た情報を脳内で処理して認識していくしかない。意識をどこに置くのかで認識する内容が変わってくるというのはどうにも不思議な話である。


 大げさではあるがこの不思議さが実感出来たなら、戦争はもっと減るかもしれないとふと思った。認識に絶対が無いように、正義にも絶対はない。結構簡単にできる思考実験なので、たまたまこの文を読む機会のあった人には是非とも試してもらいたい。


 脳内がこんがらがっても責任は取れないが…。

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