縄文的思考
南米に対しての、アメリカによる軍事力の行使が問題になっています。主権国家に対してそんなことをしたら、現在の国際社会の秩序が滅茶苦茶になってしまいます。但しアメリカ側の苛立ちも分かります。
南米の各国では麻薬カルテルが強すぎて、下手すると国家権力よりも強大で、それを本気で潰そうとすれば、統治者や為政者の方が皆殺しにされてしまいます。自分たちではどうにもできないところまで来てしまっています。
なにがいけなかったんでしょうか? 麻薬は悪という事になっています。では麻薬の存在がいけなかったんでしょうか? 私はそうは思っていません。たばこでも酒でもなんでも一緒です。利権があるからそれを争って、南米の場合はネタが麻薬で、暴力が争いの手段になっているのが現状だというだけです。だから根本を問うなら、なぜ利権を争う必要があるのかを考えるべきです。それは個人の富に対する欲望があるからでしょう。至極当たり前の話です。
でもよく考えてみると富ってなんでしょうか? なんでそれを求めるのでしょう? おしいものを食べたい? 大きな家に住みたい? 美女をはべらせてハーレムを作りたい? 聖人君子ではないので多少は分かります。しかしながらどれもちんけで、人の命を奪ってまで求めるべき、価値のあるものだとは到底思えません。
日本には世界の歴史を見ても非常に珍しい縄文という文化と時代がありました。縄文時代は1万年以上続きましたが、殆ど争いの形跡がありません。農業もなく文化的にレベルが低かったから、富の配分に対して争いも起こりようがなかったとされてきましたが、最近の研究では、当時かなりの高度な文化と交易網などを持っていたことが分かっています。
なのになぜ争いが起きなかったのか? 根本的に意識が違うというのが私の思うところです。というか、歴史学者の中にもそう考えている方が多いと思います。人間は自然……世界の一部であって、富などというものはまわすもの……アイヌの文化などはかなりその名残があったんじゃないのかなと思います。
個人で富を囲う必要が無いので、争いが起きる必然性がありません。縄文人は大麻はやっていたと思いますが、利権が無いのでそれによる争いも起きないわけです。だからこの縄文的思想が、現在の世界に広まれば、戦争や争いは無くなっていくんじゃないでしょうか?
そうは言っても地球人口は増えすぎてしまったので、縄文時代とは違って、狩猟採取だけではなく農業が必要で、農業をするからには、分業が必要で富が偏る。そうして利権が発生してしまう。であるとするならば、そこには現代文明の限界点が見えてしまいます。この限界点の先を見るために、無意識のうちに今、AIやヒューマノイド技術が大きく発展しているんじゃないかと思っています。
もちろん現状では、それらの技術はまさに利権の最先端に存在しています。しかしさらに進むと、なぜか縄文的な思想が先に待っているような予感がしています。これは日本のサブカルチャーである、漫画やアニメが世界的な評価を受けているのと無関係では無いような気がしています。理屈を超えた何かを感じます。




