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道楽草  作者: 十三岡繁
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大げさ

 昔の映画やドラマを見ると、大げさでリアリティが足りないなと感じることがある。最近の役者さんの評価基準として、いかに自然な演技ができるかというのがあると思う。本当にプライベートで、友達と話しているような演技を見ると、うまいなーと感心してしまう。だから更に昔の映像作品が、わざとらしく見えてしまうのだろう。


 しかしよくよくかんがえると、昔から芝居と言いうものは、大げさなものだったんだろうなとは思う。神楽や能、狂言に始まって、時代が進んで歌舞伎になっても、かなり日常の自然さとはかけ離れている。


 それもそのはず、一人の言葉や動きを大勢の人に伝えようと思えば、大げさにならざる得ない。その文化的伝統が、結構最近まで生きながらえていたのではないんだろうか? 今でも舞台を見に行けば、やはりその動きやセリフは大げさだ。

 映画やテレビは録音技術も上がって、小さな音や声も拾う事ができる。そうして逆に映画館では大音量で上映される。映像だって自分が見ている日常とは全然違う。空の上から見たり、ドアップで部分に寄ってまじまじ見たりと、そこで十分に体験はおおげさになる。だからその分演技は、自然になっていったのではないんだろうか?


 文化の在り方は、それを伝える媒体や技術の進歩と共に変わって行くのが自然なのだろう。今後は3Dゴーグルを使ったバーチャルリアリティや、そのうちに触覚や嗅覚、究極的には味覚にも働きかけてくるような、新しい表現手法が出てくるのかもしれない。その時はまた芝居や映像以外にも、様々な文化に変化が現れるのだろう。現代アートなどはその部分を、常に先取りしているのかもしれない。

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