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道楽草  作者: 十三岡繁
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対等

 宇宙は広大だ。それに比べて地球はちっぽけだ。更に一人の人間なんて塵のチリ程の存在ですらない。そう考えれば個人の悩みや不安なんてものはどうでもいいように感じる。それはそうだ。


 しかし本当に一人一人の人間はとるに足らない存在なのだろうか? 他者はどうでもいい。とにかくこの宇宙の中で自分で存在が確認できるのは自分自身だけである。家族や友達は? いるようにも思えているが、それはあくまで各感覚器官を通じて脳に入って来る情報からそ判断しているだけだ。その情報すら怪しい。どこかで脳だけが電極に繋がれていて、偽の情報が入ってきたとしても見分ける術はない。


 つまり何が言いたいかと言えば、自分の存在と宇宙の存在は、少なくともその個人にとっては対等だという事だ。


 例えばこの世界がゲームみたいな物だとするシミュレーション仮説が正解だとしよう。誰かが一生懸命造り上げたそのゲームには様々な設定があって、登場人物がいっぱい出て来る。複雑な地形やダンジョンがあるかもしれない。しかしその世界はプレーヤーが参加する事で動き出すのだ。プレーヤーが存在しなければゲームは動き出さない。そのゲームでのプレーヤーはそれなりに重要な立ち位置かもしれないが、そのゲーム世界全体からしたらちっぽけな物かもしれない。


 つまり受け取る者が感じる世界というのは、受け取る者がいなければ世界としての体をなさない……あってもなくても変わらないという事なのだ。そんな事言っても自分がいないところでも世界は動いているしまわっている……それはそう思い込んでいるだけで本当の所は誰にも分からない。いや、この世界で自分で理解できるのは自分自身だけなのだから、その自分が無くなってしまえば、世界が存在するのかどうかは分からないどころかどうでもいい事になってしまう。

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