シンギュラリティ3
この道楽草の中でも何度か書いてきたが、自分が関心を寄せているワードにはシンギュラリティの他にもバーチャル世界論がある。この世界は現実ではなくて、一種バーチャルな……分かり易く言えばゲームの中のような物であるという仮説だ。
結構これは真面目に物理学者の間でも議論されていて、あのイーロンマスクなんかはそうだと信じ切っている。どちらにせよ実生活にはあまり関係してこない話なので、おもしろい空想ネタだなぐらいに捉えておくのがいいかもしれない。
しかしもっと砕けたところで、例えばこの世界がゲームみたいな物だとして、その外から自分が参加する場合、この地球においてならどの時代でどの国を選ぶだろうかと想像してみる。ゲームであればステージ選択みたいなものだ。
ある人は戦国時代で血なまぐさい戦いをしたいかもしれないし、ある人は中世のヨーロッパで貴族になりたいかもしれない。自分はどうかと考えると、この時代の日本を選んでしまうような気がする。
まず食事だ。これはその環境で育ってきたからだろうと言われそうだが、やはり一生食べ続けるなら和食がいい。アメリカで大富豪としての人生を送るならば、毎日贅沢な和食を食べられるかもしれないが、それは何か違うような気がする。気候も今の日本は夏は暑くて冬は寒いが、それもまたいい。ハワイは確かに魅力的な気候だが、一生ずっと常夏というのも飽きてしまうような気がする。
そうして時代だ。これは未来の方はよく分からないが、過去を振り返ればなんとなく今が一番面白いような気がする。ネットが普及して社会が大きく変わり、もしかしたらシンギュラリティも見られるかもしれない。月に行ったり火星に行ったりと、もう少し後の時代も面白そうな気がしなくはないが、ちょっと日本は問題山積で先の見通しが全く立たないのでよく分からない。だからこの時代でとりあえず満足だ。
なるほど、もしかしたらこの世界はバーチャルである可能性は高いのかなと話は最初に戻るのだ。なぜかと言えば、プレーヤーである自分が一番生きたいステージをプレイしているからだ。そう考えると今後自分に起きる事も、あらかじめ条件設定してあるのかなとも想像してしまう。但しここまでの内容を振り返ると、だいぶマゾだなと思ったりもする。
※このエッセイを読み返すと、かなり最初の方で同内容の事を書いていた。人間なかなか進歩しないものだ^^;。ただバーチャル世界論をシミュレーション仮説と表記して、しかもシュミレーションと書き間違えているので若干の変化はある様だ。