地球の支配者
20年以上の付き合いだった鉢植えのパキラがどうやら枯れてしまったらしい。冬場は毎年葉っぱが落ちて、それで春先には新芽が出て復活するのが毎年の事だったのに、今年はどうにも芽が出てこない。
上にひょろ長く伸びすぎているというのもあったので、一分の願いを込めて幹の部分をカットしてみた。これで何の反応も無いようなら、本当にもういよいよだめかもしれない。
そんな事があると植物の生命というのはぜい弱だなとも感じてしまう。いや、鉢植えのパキラでそんなひとくくりにしては駄目だろう。そこで植物というものの存在について考えてみた。動物と植物だったら動物は意思をもって自在に動ける。植物は多少の例外を除いては動物に一方的に捕食されるだけの存在だ。特にその動物界でも食物連鎖の頂点とも言える存在が人間だ。もちろん肉体的に最強というわけではないが、脳を発達させることで道具を作り出してその地位に登りつめた。植物などはわざわざ種から育てて、大きくなったところで刈り取って食べてしまう。だから動物も植物も合わせた頂点に君臨した、地球の支配者は人間ではないかと思い込みがちだ。
しかし本当にそうなんだろうか? 確かに植物は自分では動けないが、動物を利用してその生息範囲を広げている。餌にしているつもりがまんまと利用されているような気もする。実際のところを見てみよう。個体数で比べれば地球上では動物よりも植物の方が断然多い。生物の重量で比較するバイオマスという考え方がある。各生物個体から水分を抜いた重量の合計は地球全体で5500億トンと推計されるが、その80%が植物だそうだ。一方動物はたったの0.4%しか存在しない。
種の多様性という点から見ても、動物は昆虫が頑張ってくれているが植物のそれには全く敵わない。だから地球上で一番繁栄を謳歌している生物は植物だという事もできる。また、植物は個々では意識を持たないように感じられるが、それは動物視点でみているからそう感じるだけかもしれない。例えばその個の存在はコンピューターのCPUに例えるなら、ひとつのトランジスタみたいな物かもしれない。全体としてはかなりの複雑なネットワークを構成していて、ひとつの意識のような物を持っている可能性はないんだろうか?
トランジスタと違って個々の存在が情報を交換できない? それもまた違う。菌類を介して個々の植物が情報交換の様な事をしているという事実が今では分かって来ている。そうして意識だけの話では済まない。植物はその凄まじい物量で、全体としてなら地球環境にすら影響を及ぼす事が出来る。人間も技術の進歩と共に多少は環境に影響を及ぼせるようになってはいるが、温暖化だったり核の冬だったり、調和を乱す方向の話ばかりだ。そもそも太陽エネルギーから生命活動のエネルギーを得る光合成にすら辿り着けていない。
もし植物の全体意識みたいなものが存在していたとして、果して現状の地球をどう考えているのだろうか? もし人間の存在が癌細胞のような物だと認識したら、その排除に乗り出してもおかしくないような気がする。




