フェイク
三連休初日ということで天神あたりをブラブラと歩いてきた。天神というのは福岡市の繁華街の中心部である。夜の街は中洲だったりビジネス街は博多だったりするが、天神は商業ビルの集積地だ。
いま天神ビッグバンとかで、容積率を緩和することでビルの建て替えが進んでいる。かなりの数が建て変わるのだが、既に数棟は完成していて中にも入れる。今日も新たにできたビルの中を見てきたが、気が重い。全くワクワクしない。
全てがフェイクなのだ。木の模様を印刷された天井に、石の柄が印刷された床。テラコッタという大理石の粉を左官仕上げしたものに似せた柄のシートが貼られた壁。全てフェイクの印刷物だ。匂いもなければ手触りも質感も全く違う。
よくSFで天井も壁もスクリーンになったところに、自然の風景が投影されて擬似的な環境を味わうみたいなシーンがあるが、映像が切り替わらない印刷なだけで似たようなものだなと思った。実に薄っぺらい。
しかしフェイクが作られるということは、最初は誰かが本物を見たことがって、その見た目だけを真似たのであろう。しかしフェイクだらけになったら、もうそれはフェイクのフェイクだろう。建物の中を行き交う人はその大元は知らないのかもしれない。いや、テレビなどでヨーロッパなどの映像を見ているので、視覚情報だけであれば知っているのだろうか。
以前モロッコで西欧風のレストランに入ってパスタを頼んだ。ウェイターはローラースケートを履いていた。出てきたものは見た目はパスタだったが、実際に口に入れてみるとなんだかよくわからないものだった。味も全く予想できないもので、もちろん美味しい方ではない方に期待を裏切られた。
これからどんどん本物を知らない世代がフェイクの中で育っていく。見た目の意匠だけは引き継がれていくのだろうか?




