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道楽草  作者: 十三岡繁
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唯物論

 他の方が書いたエッセイを読んでいて、久々に唯物論を思い出した。


 唯物論と言うのは乱暴に書けば物質至上主義で、この世で起こることは全て物質の運動に支配されているという事だ。例えば人は何かを考える時に脳を使うが、脳は細胞で出来ていて細胞は分子で出来ている。そうして分子は原子で出来ている。なのでその運動をシミュレーションすれば、人間の考える事は完全に計算できることになる。


 規模を宇宙まで拡大しても、全ては物質の運動として起こっている事なので予定調和だ。エネルギーは物質とは違うがそこまで範囲を広げても意味はそう変わらないだろう。量子力学を知るまでは確かに自分もそんな考え方に捕らわれていた。


 しかしそこで大きな疑問があった。で、あれば現在宇宙に存在するの全ての物質の状態を完全にスキャンする事ができれば、後は計算さえすれば全ての未来は予測できてしまうという事になる。いや、それは予測と言うよりは確定事項という事になる。未来だけではない。過去も全て計算で遡ることが可能だ。本当に宇宙はそんなつまらない存在なのだろうか?


 そんな感じで最初につまずいたのは、高校時代に習った原子の中でも電子の位置だ。観測するまでその位置は確定しないという。位置は決まっているが観測するまでそれがどこなのかが分からないだけだろうと思ったがそうではなかった。本当にその位置は確率でしか表現できないのだ。観測するまで事実が確定できない……これがどうにも理解できなかった。


 量子力学をかじった人ならば、そんな事は当たり前だと思うかもしれない。しかしかのアインシュタインですら『神は賽を振らない』と言って納得していなかった。自分の様な馬鹿たれには理解しようがない。しかし事実としてはそうらしい。実験しても結果はそうなる。


 これはとんでもない話である。確率でしか物事が決まらないのであれば、さきに書いた様な事は不可能という事になる。それは恐ろしいような気もする一方で、何か安心するような気もしてしまう。世の中で起こることは決まってなんかいなかった。裏を返せば何が起こるか分からないという事だ。人生は大いなる暇つぶしかも知れないが、宇宙がそうなってくれていたほうが俄然楽しめる気がしてくる。

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