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道楽草  作者: 十三岡繁
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高祖山

 世の中はゴールデンウィークに突入したようです。私はと言えば暦通りに仕事をする予定ですが、最初の土曜日は天気が良いとの事で糸島市の高祖山に登ってきました。山としては標高もそんなに高くないんですが、色々と凄かったです。


 まず山全体が怡土城という古代城の跡になってます。この城の建設を指揮したのは吉備真備という事で、1200年以上前の代物です。城跡は発見できなっかたんですが、所々に望楼と呼ばれる見張り台の跡がありました。もちろん本体と呼べるものは無いんですが、多分柱の基礎になったであろう礎石が並んでいるんです。


 案内板がたまにあるだけで、立ち入り禁止でもなければ自由に触れます。養生もされずに雨ざらしです。1200年前の史跡が自然の中に埋もれているんです。私は関東出身ですが、当時の関東なんて樹木が生い茂る秘境ですよね。礎石は建築をやっていない人にはただの石にしか見えないかもしれませんが、ちゃんと計画通り等ピッチで表面が平らな石が並んでいるのには感動です。多分水平も何らかの方法を使って出しているんだと思います。


 関東地方の山に登っても、史跡と呼ばれるものはせいぜい鎌倉時代の物からとかだと思いますが、北部九州だと普通に奈良や平安の物があったりします。怡土の国なんて事になると飛鳥時代も超えて邪馬台国の時代にまで遡ってしまいます。


 私の山チームはメンバー全員が建築士なので、この手の物をみかけると大興奮です。当時の職人さんなんかが、この礎石をどこかで見つけて来て、うまく並べられた時は達成感で大喜びだったんだろうなと妄想してしまいます。そのあたりは1200年前だろうが現代だろうが一緒です。


 福岡に移住してきて良かったなと思ってますが、これらの史跡に触れられた事もかなりの収穫だと感じています。先述の礎石も、当時確認の為に吉備真備が触っていたかもしれません。まさか自分の人生で吉備真備とほんのちょっとでも接点ができるとかたまらないですね。吉備真備の頃には近畿地方が日本の中心ですが、北部九州はある意味京都や奈良よりも歴史が古い部分もあります。板付遺跡なんかがいい例です。やっぱり邪馬台国は最初九州にあったんじゃないですかと思ってしまいます。後に近畿地方の方へ動いたんじゃないかなと、今は勝手にそんな風に想像しています。


 最期にかっこよく〆ましょう。山はタイムマシーンです^^。

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