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道楽草  作者: 十三岡繁
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縄文と弥生

 縄文時代は採集と狩猟で生活をしていた。大陸の方から稲作が伝わって弥生時代となった…そんな風に習って来た人が多いのではないだろうか?


 しかし最近の研究では、縄文時代には既に全国を巡る流通網があり、稲作も始まっていた事が分かっている。縄文時代後期と言われる福岡の板付遺跡では、生活様式は縄文文化のそれであるのに、大規模な稲の耕作地が見つかって騒ぎになったとの事だ。稲作がどれほど生活の中心に置かれていたのかは分からないが、弥生文化と縄文文化は平行に存在していて、時間と共に弥生文化が席巻して行ったということではないかと思う。


 ではそれはなぜなのか?稲作を中心とする社会は富を蓄える事ができるので、社会的な階級が生まれて、争いも起こる。争いが起こればその為の武器や、それを作る技術が発展していく。自然と共に暮らして、動物を狩るぐらいの武器しか持たない縄文文化派の人達に勝ち目は無かったろう。


 現在の日本人の遺伝子には、従来の縄文由来の物は10%台前半ぐらいしか残っていないそうだ。そうなってしまったのだから仕方がないのだが、何か少し残念な気もする。


 先ほどの遺伝子の話で、アイヌの人々は縄文人の遺伝子を50%受け継いでいるとされ、日本人の中では一番縄文の文化も継承してきたように見える。アイヌの人々の農業スタイルが面白い。規模が小さいのだ。基本的には自家消費の為に農耕をする。作物は過剰に出来上がらないので争いの種にならない。


 縄文人は人間同士で争うようなことは好まなかったのではないだろうか?だからことさら農耕に力を入れて、争いの種を蒔くような事はしなかったのではないか?それは意識しての事ではないとは思うが、信仰や思想と大きくかかわっているような気もする。


 特にクリスチャンではないが、旧約聖書のアダムとイブが知恵の実を食べて、エデンの園を追われるというのは、何か縄文から弥生への時代のシフトと同じ話の様に感じてしまう。

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