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道楽草  作者: 十三岡繁
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挿絵(By みてみん)


 今、福岡にある八木山渓流公園というところのキャンプ場でこれを書いている。

このキャンプ場は駐車場から山を三十分程登らないとたどり着けないので、今日のような絶好のキャンプ日和でもガラガラだ。


 今日などは自分とキャンプ仲間の友人、二人だけで完全に貸切状態だ。

昼頃サイトに到着して、テントも張って焚き火台などの必要装備を整え、ゆっくり食事をしてお茶を飲んで、友人の方は風通しのいいテントの中で昼寝に入ってしまった。


 自分は結構座り心地のいい組み立て式の椅子に座って、渓流の音を聞きながらこれを書いている。


 もう冬も終わりなので、よくわからない小さな虫がたくさん飛んでいる。丁度いい具合に日光も差し込んできて、寒くも無ければ暑くもない。風も穏やかに吹いていて、実に気持ちがいい。


 遠くに見える山の針葉樹の手前には、渓流沿いに様々な樹木が生えている。きれいな黄緑色の新緑をまとった木もあれば、未だに冬を思い出させる裸の樹木もある。渓流があるので、地面には雑草の他に湿度の高そうなところには苔が生えている。


 苔と一口に言っても、種類は様々なのだろう。色が違えば、パッと見の形も違う。

その周りには小さな羽虫が飛び交う。羽虫だけではない、地面に視線を落とせば、小さな虫達が一生懸命に活動している。


 それらは多分ある一定のバランスを取ってここに存在してるんだろうなと思う。

誰かが意図的にこのバランスを取っているとするならば、それは凄いことだ。神様と呼んでもいいだろう。


 きっと人間の体も同じように、多種多様な細胞が、或いはそこに生息する細菌類やウィルスが、長い年月のうちに神がかり的なバランスを取って今に至っているに違いない。


 これを意図的にどうこうとしようとするには、人類はまだ幼なすぎじゃないかなと個人的には思う。そう言えば神様と言えば、せせらぎという言葉は本当にこのせせらぎを表現するにはぴったりな言葉だなと感じる。木漏れ日は木漏れ日だ。日本語は本当に美しい。


 神の存在を擬人化するのてはなく、自然そのものを神として敬った結果このような美しい言葉を僕たちは授かったんじゃないかと人のいない山の中で思った。


 渓流はただひたすらに、何かをささやくように流れ続けている。

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