世直し
あなたならどうしますか?
気が付くと見覚えのない場所に居た。見覚えと言うより景色が無いのである。白に近い灰色の空間にポツリと独りで立っていた。
家の中に居ても何かしらの家具がある。それ以前に壁がある。寝ていれば天井が…ここにはそれもない。足元を見ても灰色一色で至って居心地が悪い。
浩二は次第に不安になり、苛立ってきた。自分の思い通りにならない状態に神経を逆なでされる。
「はいはい、こんばんわぁ。旦さん」
軽薄この上無いと言った調子の声が聞こえて来た。振り返るとそこにはいつの間にか二人の人影が。
声を掛けて来たのは、黒いスーツに身を包んだ、眼鏡をかけた男性と
「!?」
十年前に故人となった筈の浩二の妻の姿があった。現実にはあり得ない事に驚きつつも妻の所に行こうとすると
「は~い。旦さんはこれ以上近寄ったらあきまへん」
男に文句を言おうと顔をむける、ピッタリとなでつけてある七三の髪、口元は軽薄そうに笑っているが黒縁の眼鏡から除く細い眼は笑っておらず、気おくれする程冷たい。
気押されるように口をつぐみながら浩二は必死に考えた。
そして
『これは、夢である』と結論づけた。
「そうですぅ。旦さんが思ってはる通りこれは夢です」
まるで浩二の心を読んだかのようなタイミングで男が口を挟む。
「ですがな、旦さんこれただの夢ちゃいますよって。夢は夢でもこれからお話する事は現実に起こる事ですわ」
「これが俺の夢ならお前はいらん。市子だけで良い」
「まあ、私の話を聞いてもらわんと困りますんやけど、去れいうんやったら去ります。が話聞いた方がええと思いますよ」
「お前の話など要らん。市子がおれば良い」
「そうは行きまへんのや」
男が言うには、男を追い返せば市子も一緒に去って行く事になるらしい。
「すばり言わしてもらいますと。旦さんあんさん直に死にます」
浩二は市子に先立たれていらい、口癖のように「死にたい。市子の所に行きたい」と言っていたがそれは決して本心ではなかった。ただただ寂しく行き場のない気持ちをその言葉で回りに訴えていただけだった。
もうすぐ死ぬと言われても「はいそうですか」とは言えない。
男は、「あの世」のものだと言った。
「まぁ、分かりやすい言葉で言ったら死神ってやつですわ」
あの世に向かう魂が迷子にならないように迎えにくるのが本来の仕事らしい。
「で、あんさんがこのままやったら向かう場所、まぁ地獄と思ってもろたらええんですが、そこが最近いっぱいいっぱいの状態になってしまいましてな」
面と向かって、「地獄行き」を言い放つ男。
「で、まあほんまの極悪非道な奴はしゃあないとしても、本人の心がけ次第ではその手前に行けそうな人をそっちに行けるようにしようって事になりましてな」
それで、浩二の所に来たのだと言う。
「私らは、『世直し』って呼んでます。残り少ない期間でも自分のした事を反省して生き方を改めて貰うと言う事ですわ」
「その世直しって奴をすれば、市子と同じ所に行けるのか?」
「それは、時間がかかりますやろなぁ」
男が言うには、市子本人は本当は極楽に行ける筈だった。が浩二のした事をある程度背負って行ったので地獄までは行かないまでも、結構地獄よりの所に行ったらしい。
「奥さんは、気張りましたでぇ。本当に死んでからも功徳を積んで今の所にきましたんや。ほんまならもっと早くに成仏出来た筈なんですが…」
「成仏してないってどういう事だ。さては坊主が手を抜いたんだな」
「ちゃいますわ。旦さんですわ。奥さんの死後旦さんが家族まぁ、子供さん達の事ですわ。を苦しめたんが元で奥さんの成仏が遅れてるって事ですわ」
市子が成仏出来ないのは自分のせいだと言われても浩二には納得が行かない。
「旦さんが迷惑かけるお人だって分かっておって、直せずに先に死んでしまったから、旦さんがしでかす事の責任の一端は自分にもある言い張りまして、ほんまは結構良い所に行って直に成仏出来る予定だったんを旦さんの罪を肩代わりしてくれたって事ですわ」
どう転んでも、市子が成仏出来ないのは浩二のせいらしい。
「まぁ、娘さんが丁寧に供養してるから、悪い様にはなりませんけどなぁ。旦さん…」
あんたはちがいまっせ
そう言った表情の冷たさと言ったら思わず震えがくる程。
「旦さん今のまま死んだら。誰も旦さんの供養なんざしてくれはりません」
浩二は今まで死んだら市子と一緒に居られると思っていた。
「あの世にも、階級ってもんがあります。そりゃあ、ピンからキリまでありまっせ。でもそれは生きている時に自分がしてきた事の結果ですわ。いくら金を儲けても人泣かし続けたお方は良い所にはいけまへん」
身を粉にして働いて貯めた小金に執着している浩二を嘲笑うかのような言葉。
「あの世に行ってものいうのは、金じゃありまへん。人や社会、環境にどんな事をしてきたのかがものいいますのんや」
「俺は、妻子を養うために必死に働いてきた。誰にも迷惑などかけとらん」
「旦さんはほんまに働き者でしたなぁ。」
そう、浩二は一生懸命働いて来た。休み返上で、朝早くから仕事をしてきた。
「旦さん。仕事以外はなんにもしてこんかったから」
仕事をして金を稼いでそれの何が悪いと言うのだ
「真面目に仕事をして稼ぐ事は悪い事じゃありまへん。けど、人に手伝ってもろて稼いでいるのに、自分だけで稼いでいると思うのは間違ってるって事ですわ」
「家族を泣かしちゃあきまへんな」
家族を泣かした覚えなどない。
「子どもはあんさんの所有物じゃおまへん」
何を言っているのか分からない。
「旦さんは、息子さんの嫁さんと娘さんを泣かし続けてますんや」
……さっぱり思いつかない。
「おくさ~~~ん。駄目ですわ。この人には世直しは出来まへん。自分が自分の気分で回りにあたり散らしている事も何にも自覚ありまへん」
「この人は、自分の事しか考えられない人なんです」
初めて市子が口を開いた。
「市子…」
自分の事しか考えられない人。市子から告げられた言葉は何よりも心に届いた。
「しゃあないなぁ。旦さん、奥さんに感謝せなあきまへんよ。奥さんが助け舟だしてくれたさかい言うんですが」
男が言うには、浩二は自分の気分で息子の嫁と娘に嫌味を行ったり嫌がらせをしたりしているらしい。
「旦さん、葬式代、葬式代言うてますけど、誰が葬式だすんでっか?」
「お子さん達ですわな。そのお子さん泣かしてどうするんですか?」
浩二は現在独り暮らしをしている。息子夫婦と同居したがうまくいかず、娘夫婦と同居したが上手くいかず。そんな状態は当然知っていると言わんばかりに畳みかける。
「自分では何もしないで全部人に頼む。相手の事情も何も関係なく、してもらえんと怒鳴り散らし、『別居するか?』が脅し文句。別居したらしたで近所にある事無い事言いふらす」
「「通帳取り上げられて追い出された」ですか?娘さん、旦さんが度々チェックしに来ては足らん言われて困ってますやん。印鑑は旦さんがもってはるのに」
「しかも、娘さん通帳差しだしてんのに、通帳取り上げられて追い出されたですか?」
「一緒に住んでいた頃は、孫の運動会に誘われても出掛けなかったのに、別居したら見に行くんですか?」
「世間ではそういうのは、嫌がらせって言うんですけど」
「自分が構ってもらえんで寂しいからって何でもしてええんですか?」
「まだまだありまっせ。いいまひょうか?」
浩二からは言葉が出ない。深く考えた結果では無い。ただ面白くなくて、その気持ちを分からせたくて。自分と同じ嫌な気持ちになれば…。いやそうじゃない。
「旦さん、あんさんのは『逆恨み』ちゅうんですわ。旦さんが奥さん亡くして寂しいからって、お子さんにもそれを望むのは傲慢ですわ。お子さん達は旦さんじゃない。母親が亡くなったからその先の人生一生不幸でいなければならないなんて事はないんですわ」
何を言っても言い訳にしかならないのは分かっている。けれどではどうしたら良いのかが分からない。どこかで何かが違ってしまった。
「旦さん、何でもかんでも人のせいにしちゃあきまへん」
「旦さんが今から必死に世直ししても、傷つけられた人たちは簡単には認めないかも知れまへん」
「……」
「旦さん、今のまま死んだら、喜ばれるだけですわ。葬式だって挙げてもらえるかどうか」
「……」
「死んだ時に、「とんだくそ爺だったけど、最後はちょっと人が良くなったんじゃないか」って言われるのと言われないのとは大違いですわ」
「さぁ。そろそろ眼を覚ます時間です。言わんでも良いですけど、決めて下さい」
「世直し しますか? しませんか?」




