恋した男は首ばかりの姿
「首吊りの木」として知られるタイバーンは、ロンドン郊外にある絞首台でした。楡の木という意味のタイバーンは、元々その場所にあった村の名前でした。そこにさまざまな罪人を吊るして晒しておく「タイバーンの木( Tyburn Tree)」が建てられたのです。
この処刑場は、「国王の絞首台」と呼ばれるものでした。王の権威を示す目的が最初からあったとのことです。1196年に建立されてから1783年までの約6世紀に渡り、実に5万人もの罪人がここで処刑されたと言われております。
吊るした罪人は、概ね野晒しにしておかれました。吊るされた後に首を切られる者もありました。切られた首は、槍に突き刺されてロンドン橋に晒されました。人々は王の権威や教会の権力を思い知り、恐れました。同時に、この残虐な刑罰は、ロンドン市民の数少ない娯楽でもあったのです。
「おい、聞いたか?首吊りがあるってよ」
「聞いた聞いた。見に行こうぜ」
「行こう行こう」
豊かではない生活で楽しみはあまりない市民たち。色々と不満も多かったことでしょう。自分とは関係のない、そしてどうやら悪口を言っても大丈夫な、明白な大罪人。それがむごたらしく殺される様子は、正義を理由にした被虐趣味を満足させたことでしょう。
宗教的には、英国国教会に変わったところで、一般の人にはたいした変化はありません。当時の英国国教会は、ほぼカトリックなので。家族に修道者がいれば気が気ではなかったでしょうけれど。それも必ず虐殺される訳ではありませんでした。修道院解散命令でも、あまり抵抗しなければ国外退避でことなきを得た人々もいますし。
凶暴な強盗や殺人犯は、一般庶民にとって関係のない存在です。まして叛逆者など、市民の身近な人ではないので、あまり現実感はなかったのでしょうね。人々は嬉々として見物に行きました。処刑そのものに熱狂したと言います。自分とは全く関係ない人へのざまぁで、日頃の鬱憤を晴らしていたのかもしれません。
「吊るされんの、どんな奴だ」
「王妃様の恋人だってよ」
「えっ、じゃあまた、王妃様も首を斬られるのか」
「たぶんな」
「王様はまた裏切られたのか」
「気の毒なことだなあ」
アン・ブーリンの斬首も、公開処刑でした。1536年のことです。スキャンダラスな斬首刑は、ロンドン市民の記憶に新しかったことでしょう。
「でもよ、王妃様若いだろ?気の毒だな」
「何言ってんだよ。毒婦だろ」
「王様と30歳くらい離れてるらしいぞ」
「そんなにか」
「そんなに離れてちゃあ」
「そりゃ若い男のほうがいいかもなあ」
「お、見えて来た」
「なんだ、2人もいるぞ」
キャサリン・ハワードが認めた最初の恋人、ヘンリー・マノックスは処刑されておりません。キャサリン逮捕当時には、恋人関係にはなかったようです。田舎の音楽教師など、とっくに見向きもされなくなっていました。
「デラハムの野郎は、ランベスハウスでキャサリン様と夫婦だなんて言いふらしやがってました」
「やはりそうか。貴様も恋人だったと言うが?」
「誓ってやましい関係じゃなかったですよ」
「2人きりでいたそうだか?」
「誤解されたので、その後は2人きりになってません」
「その後2人きりにはなっていないと?」
「ええ。それよりデラハムの野郎、陛下が亡くなったら妃殿下と結婚するって抜かしてますぜ」
キャサリンは、過去の関係については匂わせをしていました。ですがマノックスは全力で否定して逃げ切ったようです。マノックスは一介の音楽教師でした。宮廷に入り込む野心もなかったようです。
キャサリンが都会で新しい恋人を作ったことは恨んでいました。ですが、政治的なあれこれには巻き込まれずに暮らしていたのです。恋人を奪ったデラハムのことは失脚させたい。でもデラハムと違って、過去の関係でキャサリンを脅してのし上がろうとは思いませんでした。
マノックスは気楽な色男でした。キャサリンもマノックスと結婚していたならば、浮気で陽気な芸術家の世界で楽しい人生を送れたのかもしれません。痴情のもつれで人情沙汰は起きた可能性がありますけども。
「王妃様、酷ぇ女だな」
「しかも男が2人とも若くねぇ」
「おじさまキラーってやつか?」
「男の身分も高ぇよなぁ」
「さぞかし贅沢さしてくれたんだろうよ」
「王妃様が貢いでたらしいぜ」
「いやいや、とんでもねぇな」
「ガキの頃にも男がいたってよ」
「へぇー」
「倍も離れた遊び人だったんだと」
「大の男が3人も手玉に取られたのか」
記録に残っているだけでも、キャサリンちゃんは4人のおじさまたちと浮き名を流しております。それも、推定12、3歳から18、9歳までの短い期間にです。キャサリンの生年の予測は1921年前後から1925年前後と幅があります。いちばん歳上に見積もっても、享年20歳程度。
「王様も相当だけどなあ」
「キャサリン王妃様で5人目だろ」
「金も力もある色男だからな」
「若い頃はそりゃもういい男だったようだ」
キャサリンちゃんは、『田舎司祭の日記』に現れるような、身分ある男を破滅させるタイプの少女ですね。中世文芸では、悪魔の化身として登場する蠱惑的な少女がいます。創作というより、現実にキャサリンのような少女は時々現れたのでしょう。
遊び慣れた貴族が惹かれるのは、見せかけの純真さ。無邪気で優しい少女なら、そんな大人は怖いでしょう。大人のほうとしては、何か非難を受けているような被害妄想で近寄らないでしょうから。
現代でも小悪魔と呼ばれる種類の少女たち。歳より大人びて、親子程も歳の離れた男性と恋人関係になって溺愛される。うまくやれば勝ち組セレブ。家族にまで恩恵がある。でも少しでも隙を見せれば、捕まえたはずの男諸共に破滅です。
キャサリンを指して歴史家は、「若く、忌まわしく、美しい」と評しております。彼女はまさに、多情で野心家な毒の花たちのひとりです。賢さが足りず、処刑されてしまいましたけどね。
「おっと、もう王妃様じゃねぇってよ」
「へえー、尻軽のせいでか」
「男がほっとかねぇんだと」
「どんないい女なんだろうな」
「お近づきになりてぇもんだ」
「ハハハハハ」
1541年12月10日、フランシス・デラハムとトマス・カルペッパーは、タイバーンの木に吊るされました。記録に残る2人の肩書きは「キャサリン・ハワードの恋人」です。既に王妃の肩書きが剥奪されていたので、王妃キャサリンではなく、ただのキャサリンとして記録されております。
罪状も仲良く「叛逆罪」。キャサリン・ハワードを告発する手紙がヘンリー8世に届けられてより1ヶ月強の後でした。
1541年12月10日に2人が晒し首になってから、クリスマスが来て年も明け、1542年になりました。キャサリンちゃんの恋人たちが吊るされてからちょうど2ヶ月、2月10日のことです。もう王妃ではない、ノーフォーク公トマス・ハワードの姪キャサリン・ハワードは、ロンドン塔へと移送されます。
「立派なお船だねぇ」
「恋女房だったからな」
「ばか、ありゃサフォーク公チャールズ・ブランドンさまのお船だって聞いたぞ」
「おや、じゃキャサリン元王妃は?」
「その前にいるちっちゃな艀だよ」
キャサリンを護送する集団が、船でロンドン市内へと入って参りました。この時キャサリンは小さな艀に乗って、黒いベルベットのドレスを着ておりました。
イングランドに当時2名いた公爵のうちのひとり、サフォーク公チャールズ・ブランドンがしんがりを務めております。彼は宮廷での要職を歴任した、ヘンリー8世の重臣です。
チャールズ・ブランドンは、ヘンリー8世の妹であるメアリー・チューダーの夫です。彼女はフランス王ルイ12世の王妃でした。ルイ12世が崩御したのでイングランドに戻り、チャールズ・ブランドンと恋をして結ばれたのでした。
「サフォーク公爵様かぁ」
「恋愛結婚なんだってな」
「ご内儀はメアリー王女様だろ」
「先のフランス王未亡人なんだってな」
「おしどり夫婦だって聞いたよ」
「キャサリン元王妃とは、てぇした違いだねぇ」
フランス王位を継いだフランソワ1世が、政治的な意向でメアリーに求婚しようと画策していたようです。これを避けることには成功しました。フランソワ1世もヘンリー8世も恋愛結婚推奨派でした。しかし政治的な理由から、メアリー王女がサフォーク公と再婚することには反対でした。
ヘンリー8世は彼女とサフォーク公の婚姻は認めていません。2人は密かに結婚しました。僅か10名程度の列席者しかいなかったとのこと。
これに激怒したヘンリーさんは、サフォーク公を逮捕して処刑しようとしました。実際逮捕はしたのです。でも、当時イングランドの宗教的最高権力者であったトマス・ウルジーの口添えにより、ヘンリーさんは考え直しました。チャールズとは仲良しだったし、メアリーも可愛い妹だったしね。
「政治に振り回される人生なんて、まっぴらですわ」
「メアリーさま、我らは神の御前に恥じることなど何一つございません」
「そうですとも」
「ヘンリー陛下もきっとご理解下さいます」
「ええ、きっと。だって、陛下とチャールズさまは、とても仲良しですものね」
「安心してわたしに嫁いでおいでください」
「まあ、勿論、喜んで参りますことよ」
このサフォーク公チャールズ・ブランドンさんですが、60代で大往生しております。不慮の死ではないのです。ヘンリー8世の関係のうちでは唯一、人生を謳歌して天寿を全うした人だと言われております。
さて、尾羽打ち枯らしてロンドン塔に移されたキャサリンちゃん。いつどんな処罰が下されるのやら、全く分かりません。
「ひいぃっ!」
ロンドン橋の下を潜る時、鳥に突かれ放題の頭がふたつ見えました。驚いて凝視するキャサリンちゃん。よく観れば、かつて愛を囁いてくれたイケオジだった人たちの頭です。冬とはいえ、ひと月もの間野鳥に突かれ雨風に晒されていたのです。それはもうひどい有様でした。腐った匂いも辺りに漂っております。
小さな艀に乗って、キャサリンちゃん一行はテムズ川から「反逆者の門」と呼ばれる門に到着します。ここから先は、ぞろぞろ引き連れていたお供と離れてひとりきり。監獄の担当者に引き渡されました。
「一体どうなってしまうのかしら」
仄暗い水路で鉄格子を抜けました。キャサリンちゃんはぶるぶると身を震わせております。頭上ではワタリガラスが不吉な声で鳴き交わしております。もしやと思って見回しても、愛しい人も親しい人も一切いない。あんなに可愛がってくれたヘンリーさんも見当たりません。
「みんな処刑されたんだわ」
ようやく現実が我が身を襲います。少しは反省したのでしょうか。少なくとも、逃れられそうにないとは思いました。そつなく遊び慣れたデラハムや、ヘンリー8世のお気に入りだったカルペッパーですら虚しく川風に吹かれております。
ロンドン塔に監獄を作ったのは、ヘンリー8世です。それまでは普通に王族が住んでおりました。宮殿を別の場所に移して、こちらは倉庫と監獄になりました。監獄として機能していたのは1101年から1941年、800年を超える年月です。
反逆者の門を通った高貴な重罪人は、全部で75名いたとのこと。そのうち、かなりの人数がチューダー朝絡みです。血塗られた王朝ですね。
もっとも、その頃はヨーロッパ全体が血で血を洗う骨肉の争いを繰り広げておりましたからね。宗教戦争もありましたし。ヘンリーさんだけが極端に残虐だったわけではないですよ。記録に残っちゃうような不器用さは、むしろ人間臭くも感じます。若い頃には一般兵士とも仲良しだったのも頷けますね。
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続きます