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裸ってほど裸じゃないのよ

 直前までデロデロに甘やかしてくれていたヘンリーさんに、突然見捨てられたキャサリンちゃん。王様は顔も見ずに、いつのまにかキャサリンの住むハンプトンコートから出て行ってしまいました。


 しかも、キャサリンも宮殿を追い出され、郊外の修道院跡地に押し込められてしまいます。一説には11月5日当日ですが、トマス・クランマー大主教に告白状を書いたのが11月6日か7日とも言われています。クランマーは告白を聞くために、ハンプトン・コートにキャサリンを訪ねました。


「酷いわ!あたくし騙してなんか!」

「妃殿下、質問の答えを書いて下さい」

「陛下にお伝えしてね?」

「ええ。ですから真実を書くのですよ」

「きっとお伝えして?きっとよ?」

「ええ。さあ、ここに」

「分かったわよ」



 キャサリンは、告白の手紙を3通書いております。1通目は今日まで残りませんでした。キャサリンの2番目にしたためた告白の手紙には、デラハムとのことが語られております。


「あたくしたち結婚するだろうって思われてたの。でもやきもち焼いて邪魔する人もいるもんだから、婚約もしてないけどデラハムが私に夫って呼ばせたの。私のことは妻ってよんだわ。それからたくさんキスしてきた。うんとした。夫婦なんだから当然だろって、デラハムは申しましたのよ」


 かなりイチャイチャしていたようですね。しかしここで、婚姻の屁理屈事実をこじつけて生き残る目を、自ら潰してしまいました。クランマーはヘンリーの意図を読み違え、キャサリンには賢さが足りませんでした。



「何度か2人で横になって、夜食をいただいたのよ」


 2人はキャサリンのベッドで寝転んでワインや果物、お菓子などを食べていたようです。証言にも告白書にも、繰り返し出て参ります。更には、


「時には裸で、でも完全に裸って訳じゃありませんのよ」


 などと、よせばいいのに書き連ねてあります。チューダー朝好きの歴史家は、デラハムとの間が清いものであった可能性を主張してますね。大人の関係だったという証拠は、ひとつも残されていないというのです。


 現代日本人が拝読いたしますと、怪しすぎますよね。このキャサリンが書いたという2番目の告白書は。逮捕前の手紙は捏造疑惑がありますし、告白書は書かされたと言うことです。そうなると、持て囃されて浮かれていただけとも考えられるのだそうです。



 キャサリンはお勉強が嫌いで、手紙の書き方もあまりよく学ばなかったと見えます。文章だというのに、


「デラハムはホース脱いでたり、ダブレットも脱いで、いえでも、ダブレットは着てましたわ。そうそうホースも。ダブレットを脱いでたのですけど、裸ってわけじゃありませんのよ。ホースは脱いでいてもダブレットは着ておりましてよ」


 といった調子で、結局よくわからない。だがしかし。ホース脱いじゃったの?ええー?ダブレット脱いでるだけでも、相当くつろいでますが。この時点で、昭和中頃までのランニングシャツにステテコのオジサンスタイルですよ。



 ダブレットは着ているけどホースは脱いじゃってる姿は、目も当てられません。ヘンリー8世時代の男性用ダブレットって、通常は臀部丸出しですよ。腰骨あたりまでしか無い。それでホースは履いてないって。つまり下半身はコッドピースだけでしょ?江戸時代の大工さんみたいな格好です。


 いや、確かに裸ではないですが。裸ではないけど、人前に出るような姿ではありませんよね。当時の庶民だってそんな格好でうろついたりは致しません。



 同時代の女性に当てはめると、どんな状況だったでしょうか。女性は人前に出る時、ドレスを脱ぐことはまずないですね。この頃のドレスは、カフタンドレスと呼ばれる広く垂れ下がる袖口を持つ、オーバードレスが印象的です。


 アジア起源と言われるカフタンドレスの下にはチュニックやシュミーズを着ていたようです。一方で、コルセットの原型と見做されるボディスとスカートにドレスが二分割されるデザインも多く絵画に残っております。


 ヘンリー8世の時代には、服装に関して法律で決められておりました。身分によって着られる素材や色が細かく定められていたのです。ですから、身分が上がるということは、お洒落な人々にとっては政治的な力以外のマウント要素でもありました。贅沢とおしゃれが大好きなキャサリンにとって、王妃でいることはとても嬉しかったことでしょう。



 下着はどうしていたのでしょうか。古代ローマの時代には、麻布とおぼしき平織の細長い布で胸部と臀部を覆っていたようです。壁画などに残っているようです。


 胸部には巻き付け、臀部は褌かおむつのような形にします。胸部の肌着はストロフィウムとかマミラーレなどと呼ばれました。下穿きはスブリガークルムという名前です。再現画像は、ネット上でも閲覧できます。


 ところが中世になりますと、証拠となる図版がありません。小さな日用品は残存もなかなか難しい。長いこと女性の肌着については憶測の域を出なかったそうでございます。


 2012年のこと。オーストリアのとある城で、歴史的な発見がありました。中世の城から発見された金庫を開けてみたら、中には肌着が入っていたのです。現代女性のランジェリー上下と殆ど変わらない形です。歴史恋愛映画での衣装再現下着とは、ずいぶん形が違ったみたいですね。


 この城の金庫は15世紀のものでしたので、それ以前のことはまだ謎のままです。そして、お城の金庫にありましたので、ほんとうに僅かな特権階級だけしか使えなかったとの予想もされております。



 イングランドでの確証はございません。ですが、もしかしたら、4番目の妻アン・オブ・クレーブスは身につけていたかもしれませんね。肌着が発見されたのはオーストリアですが、アン王妃は、オランダとドイツの国境あたりにあったプロテスタント国クレーフェ公国の公女でした。


 ドイツも南と北ではかなり文化が違います。ただ同じドイツ語圏ですし、手に入れていた可能性はあります。なにしろ、6人の中で唯一円満離婚の上悠々自適な余生を送った賢く強運な女性ですからね。最先端ファッションも身につけていたかもしれませんよ。


 ヘンリーが彼女を通じてこの最先端肌着を知っていたなら、崇拝するキャサリンに与えてもおかしくありません。そんなプレゼントは記録に残らないでしょうから、想像だけですけどね。



 ランベスハウス時代のキャサリンは、最新式を手に入れていたかは分かりません。ローマ人式の胸部バンドに腰布か短いブレーを肌着として着ていたかも。16世紀ごろはそんな肌着を身につけていたと言われております。


 キャサリン・ハワードの告白状には、自分がどんな格好だったのかは書いてありません。ひたすら相手がどうしていたかの話のみ。



「夜中や明け方にドアを開けさせられました。あたくし一度だって自分から開けたことなんてないわ。いつもデラハムに言われたから開けたのよ」


 デラハムの言い分では、キャサリンに呼ばれて断れなかったとのことですけどね。互いに相手のせいにしております。


「そんなことしてたら、お祖母様に怒られちゃうって言う人がいたの。お祖母様が急に来たらどうするの?って」


 大っぴらに夫婦として振る舞ってはいたものの、実際には婚約もしておりません。先代ノーフォーク公未亡人に見つかったら怒られてしまいます。


「急に来たら、バルコニーに隠れたらいいって言ってたの。あたくしは何も申し上げてませんことよ。デラハムが仰ったの。何回かはほんとに隠れたわ」


 非難されるような行動だと言う知識はあったようですね。大人の目を盗んでやましいことをするのが、さぞ得意だったのでしょう。告白を書いている時ですら、うまくやっていたという自慢がチラリと見えますね。


「お城に上がる時、別れたくなくて泣いたなんて言われてますけど、そんなの信じちゃいけないわ。デラハムが海外から帰った時、カルペッパーと結婚するのかって聞かれたの。そんなの、勝手な空想ですよって言ってやったわ。そのあと仲良くなんてしてないです」



 2番目の告白書ではもっぱらデラハムとの関係にかんする弁解をしております。まるで反省の色が見えません。これではヘンリーさんの怒りに油を注いでしまいそう。3番目の手紙はガラリと変わって、慈悲を請う文面です。


「妃殿下、もう少しこう、お赦しをいただけるような感じで書けませんか」


 トマス・クランマー大主教は、流石に呆れてアドバイスをします。


「どうやって書くのよ?」

「何よりもまず、へりくだることだ」

「分かったわよ」



「あなたさまにお聞きいただけるような者ではないと存じておりますが、貴方様の広いお心を信じております。わたくしは、貴方様の妻と名乗る価値も無い者でございます。お優しい貴方様は、この婢女の言葉をきっとお聞きくださるでしょう」


 私じゃないからだいぶ離れました。


「罪の重さは充分自覚しております。口がうまくて情熱的なマノックスに何も知らない若い娘が騙された愚かさは、慈しみ深い陛下ならお赦しくださることでしょう」


 言っていることは同じでも、だいぶ反省の色を見せております。ものは言いようですね。


「そして善良な陛下ならお分かりいただけましょうが、デラハムは、邪な心で言葉巧みにいいくるめたのです。ダブレットとホースという格好でベッドに上がりました。ついには夫婦のように裸で横になったのです」


 今回もランベスハウスのデラハムとの件は認めます。


「どうかお慈悲を。陛下の法の正義に反することは心得ております。ですからどうぞ、善良でお優しい陛下のお心でもって、卑しいこの身を顧みてくださいませ。謹んで罰をお受けいたします」



 告白の手紙には、婚姻後の恋人関係については一言も述べておりません。これを認めてしまえば死刑は免れないと思ったのです。キャサリンは必死で姦通罪を避けようとします。


「妃殿下、私からも口添えしよう」

「大主教さま、陛下に会わせて」

「話してみよう」

「じかにお話すれば、きっと分かってくださるもの」

「真心をこめて書くのだぞ」

「デラハムは昔のことよ」


 ですが、これは悪手でした。デラハムとの婚姻関係があるならば、ヘンリーとの婚姻が無効になります。ヘンリーさん、そのへんは無駄なプライドを持ち合わせておりません。自分は騙されて結婚した、自分のほうが浮気相手だった、という形で全く構わないのです。



「クランマー大主教よ、キャサリンはどうか」

「陛下を恋しがっておられます」

「断じて会わぬ。してデラハムとの婚姻は認めたのか」

「いえ、あくまでも呼び名だと」

「えい、愚かな」

「妃殿下は不安定でいらして」

「そこはクランマーが上手くやれ」

「はい、宥めて少しは通りの良い告白書をご用意いただきました」


 クランマーにも上手く伝わらなかったのです。クランマーは、デラハムとの婚姻を認めれば王を騙したことになると判断していたのですね。正直な告白が助命に繋がると考えてしまいました。



 キャサリンの3番目の告白書は、懇願で締めくくられています。


「陛下、どうぞお情けを。今後生涯をかけて、陛下に忠実に、真心を捧げます」


 しかしその願いは叶うことなく、デラハムとの婚姻を認めさせる最後のチャンスも虚しく終わったのでした。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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― 新着の感想 ―
[一言] 江戸時代の大工さんスタイルという表現がとてもよく分かりました。 キャサリンちゃん、今ならラインを使いこなしそうな感じがします。絵文字とか現代若者言葉とか満載の文面を送ってそうです。でも、やっ…
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