美少女はおじさま狙い
キャサリン・ハワードが生まれた頃に人気のあったキャサリン( カタリナ)と名の付く聖人は少なくとも2人おります。皮肉なことにどちらも賢い女性でありました。
1人は3世紀のエジプトに生きた才女、アレクサンドリアの聖カタリナと言う人でした。記念日は11月25日で、学生と未婚の女性の守護者です。
彼女は原始キリスト教時代の聖女です。現代では、カトリックでも正教会でも列聖( 教会から聖人だと正式に認定されること)されている人気者ですね。車裂きの刑に処されそうになった時、車輪が砕けてしまい、斬首に切り替えられたと言われております。最近はあまり有名ではなくなりました。
もう1人はシエナの聖カタリナ。記念日は4月29日です。1461年に列聖され、現在では教会博士の1人であります。教会博士とは、神の叡智を解き明かした人であると教会から認定された人の称号です。
シエナの聖カタリナは、イタリア文学と教会に多大な影響を与えたとされております。この人は、火事や災害からの安全を守る守護者でもあるそうな。
ヘンリー8世の妻6人のうち、実に3人がキャサリン( カタリナ)です。とても好まれた名前だったのですね。
このような才媛の名を受けたキャサリンでありましたが、残念ながら無学で無教養な女として歴史に記されることとなってしまいました。名前を貰った聖女とはかけ離れた人生です。素敵な男性が大好きで、お勉強するよりも殿方に好かれる方法を学びたい。そんな女の子でありました。
キャサリンのお母さんは6人ほど子供を抱えた未亡人で、再婚後にまた7人生まれました。そのうちのひとりがキャサリンでした。キャサリンのお父さんはなんと20人兄弟の1人です。お父さんも男寡の再婚で、子供はやっぱり沢山います。
ノーフォーク公ハワード家の息子ですが、余りにも子供が多くて、キャサリンの家はとても貧乏でした。その頃のヨーロッパ貴族には、よくあることだったそうです。
「貧しくとも貴族だ。助けを求めるのは恥である」
「ええ、ご立派ですわ!」
「でもどうだろう?キャサリンを大奥様に預けては?」
「賛成よ」
「チェスワースハウスに空きがあるそうだよ」
「まあ、サセックス?遠いわねぇ」
「いいじゃないか。田舎で伸び伸び育つのも」
「それもそうね」
「同じ年頃の女の子たちもいるし、安心だ」
「ええ。お願いしましょう」
「そうしよう」
先代ノーフォーク公の後妻、キャサリンにとっては血のつながらない父方の祖母は、ノーフォーク公の孫娘たちを預かっていました。ノーフォーク公の持ち家のうち2ヶ所で、自由な寮生活をさせていました。セントラルロンドンのランベスと西サセックスの田舎町チェスワースがその場所です。
親戚や私塾のような場所に預けられ、親元を離れて教育を受ける貴族の子供たちは多くいたそうです。親戚の持ち家ですし、特に迷うこともなく、両親はキャサリンを田舎の屋敷に預けたのでした。
娘たちは読み書きお行儀などの基礎を習った後は、好きに過ごしておりました。先代ノーフォーク公未亡人は、女子教育に熱心ではなかったのです。よい嫁ぎ先でもあればそれでよく、縁談を見込んで娘たちの美しさには心を砕きました。
少女たちは、女中部屋のような部屋に何人かずつでワイワイ暮らしておりました。未亡人の小間使いまでが一緒の部屋に暮らしておりました。
未亡人はランベスにおりますし、簡単な読み書きお行儀を覚えたら、淑女のための教育は不要という方針です。公爵家の管理する屋敷でありながら、チェスワースハウスは無防備でした。目の届かない女子寮など、不埒な若者が見逃す筈もありません。
「ねぇ、その子だぁれ?」
「私の恋人よ。ダメよ、とっちゃ」
「あら、やあね。そんなことしないわ」
「君、名前なんて言うんだい?」
「キャサリン」
「キャサリンか。よろしく」
「ええ、よろしく!」
キャサリンは明るい笑顔で答えます。髪はつやつや、お肌もピカピカ。男の子たちは見惚れてしまいます。
「お菓子食べるかい?」
「ありがとう!美味しそう」
「たくさんおあがり」
「あら、私に持ってきたお土産じゃないの?」
「何だよ。意地悪するなよ。嫌な感じだな」
「何ですって?あなた私の恋人でしょう」
「お菓子ぐらい分けたらいいだろ」
「もう食べちゃったわよー!」
「アハハ!キャサリン、こっち来いよ」
歳より大人びたキャサリンは、なかなかの美少女です。身体つきだって目を惹きます。少女たちの連れてくる村の青年たちや屋敷の先生たちは、ついつい追いかけてしまいます。キャサリンは自分の魅力を知っています。ちやほやされて当然の努力をしている自負もありました。
自信に満ちた美少女は、少年たちはもちろん、うんと歳上のお兄様たちにも可愛がられておりました。贅沢なものをおねだりしたり、高価なものを贈られたり。
「まあっ、素敵なブローチね」
「気に入ったかい?」
「ええ。ねえ、おじさま。このブローチはどんなドレスが合うと思う?」
「どんなドレスでも君なら似合うさ」
「もうっ、真面目に答えてちょうだい?」
「どれ、ブローチつけてあげよう」
「キャサリン、ご自分でなさいよ」
「あら、私が言ったんじゃないわ。おじさまがなさりたいんですって」
デレデレした田舎紳士をいいように使って、少女キャサリンはご満悦です。
「合いそうなドレス、選んでくださる?」
「いいよ。今度な」
「でも、こんな田舎じゃ」
「そういうなよ」
「ねぇ、ロンドン行きましょう」
「遠いよ?」
「そんなの。おじさまのお馬車に乗せてよ」
「考えておくよ」
「きっとよ?」
「はは。それよりほら、新しいお菓子だ」
「わあっ!可愛いっ」
キャサリンが生まれたのがいつだったのか。正確な記録はございません。1521年前後なのではないか、と言われておりますよ。その頃ヘンリー8世は何をしていたでしょうか。
ルター派に対抗してカトリック擁護の論文を発表したり、神聖ローマ帝国皇帝カール5世やフランス国王フランソワ1世たちと仲良くしたりしておりました。フランスとは結局戦争を始めちゃいますけども。
フランソワ1世はヘンリー8世より少し年下です。カール5世はもっと年下ではありますが、3人は同世代でした。歴史家によりますと、この頃のヘンリーは王様仲間だけではなく、同世代の青年たちと身分を問わず気安くしていたと言うことです。
「ヘンリー!うまい酒があるぞ」
ひとりの青年が肩に腕を回して酒壺を差し出して参ります。ヘンリーは豪快に笑って受け取り、壺から直に呑んでみせました。
「ヘンリーこっちこいよ!」
と呼ぶものもあれば、
「おい、肉食え」
と差し出してくる者もいます。
「ヘンリー!手合わせしようぜ」
「おう。怪我しても知らねぇぞ」
「陛下っ!いけません」
庶民に混じって言葉つきも態度も荒く、肩を組んだり、背中を叩かれたり。まるで王様らしくないヘンリーさんは、周囲の人々から叱責されたとか。その一方で、1521年には「信仰の擁護者」という称号をもらうなど、社会的にも認められておりました。
ヘンリー8世、昔の少女漫画なら、「おもしれー女」とか言い出しそうなタイプですね。少年向けなら頼りになるけど信用出来ない独身のおじさんとかでいそう。
キャサリン・ハワードはモテたい女の子だったので、遊び慣れて甘やかしてくれる年上の男が大好きでした。豪放磊落なヘンリー8世は、キャサリンにとってかなり魅力的に映ったのでしょう。キャサリンと出会った時には、見た目が悪くなってましたけどね。性格はキャサリンにとってたいそう魅力的でした。
似たようなタイプの殿様が、ちょうどその頃日本で生まれています。武田信虎嫡男・太郎、すなわち甲斐の虎こと信玄公です。この人が家督を継いだ1541年、キャサリン・ハワードは逮捕されたのでした。同じ頃に生まれた以外直接には全く関係のない2人ですが、なんだか明暗分かれてしまって可哀想になります。
1521年といえば、アステカ帝国がスペイン人のコルテスに滅ぼされたり、ポルトガル人のマゼランがセブ島侵略に失敗して殺されたりした年でもありますね。
ヘンリー8世の王妃は、まだ最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンでしたから、スペイン王家とは親戚関係です。とはいえ、1519年には愛人に息子が生まれておりますので、そろそろ雲行きが怪しくなって参りました。
ヘンリーさんが息子とほぼ同い年のキャサリン・ハワードと出会うのは、それから18、9年先のことになります。その間ヘンリーもキャサリンも、恋愛強者で自信満々に暮らしておりました。
その頃の娘たちは、12、3でお嫁に行くこともざらでした。うんと若いうちに年上の人と結婚して子供をたくさん産むのです。たくさん死ぬのでたくさん産まなければならない時代でした。旦那様が亡くなると、妻を亡くした紳士を探して互いに子連れで再婚します。
先代ノーフォーク公の未亡人は、孫娘たちを少しでもいい家に嫁がせようと考えておりました。ある時、大奥様はひとりの音楽教師を雇うことに致しました。当時人気だったヴァージナルという箱型の鍵盤楽器とリュートを教える先生です。
「どうだい?いい音がするだろう?」
「でも、難しそうだわ」
「ほら、持ってごらん」
「こうかしら」
「ちょっと違うね」
「やっぱり難しい。やめとくわ」
「手伝ってあげるから、やってごらんよ」
キャサリンの倍は歳のいったこの男は、ヘンリー・マノックスと言いました。マノックスは、美しく怖いもの知らずの少女を一眼見るなり気に入ってしまいました。手慣れた男です。たちまちキャサリンを手に入れてしまいました。1536年の事だと言われております。
大奥様がチェスワースハウスに立ち寄った時、どうにも好ましくない雰囲気に眉を顰めます。はっきりとした証拠はありません。でもなんだか距離が近すぎました。
「キャサリン、お前、ランベスに移りなさい」
「本当っ?お婆さま。ロンドンで暮らせるのねっ」
キャサリン・ハワードは、読み書きが出来ないことはなかったが拙かったといいます。ヴァージナルも習ったはずなのですが、下手くそでした。嫌ならやめてしまう子供っぽい性格ですから。それでも、その時代の女性にしては、曲がりなりにも手紙まで書けるというのは、実際には驚くべきことなのでありました。
言いたいことを我慢せず、贅沢好きで欲しいものは手に入れる。そんな娘らしい驕りも、いささか垢抜けない立ち居振る舞いも、大家族の中では見逃されておりました。
キャサリンは美しく、そろそろお嫁に行けるでしょう。少しくらい言葉遣いが田舎じみていても、嫌がるキャサリンを無理になおす気はありません。早く良い所に縁づくほうが大事です。今、不良教師なんかに邪魔されてはたまりません。
「そうですよ。ロンドンです」
「素敵なものがたくさんでしょう?」
「ええ。たくさんですとも」
「立派な殿方も?」
「よい婿がねを探してあげますよ」
「嬉しい!」
ランベスには、伯父トマス・ハワードの関係者フランシス・デラハムという秘書が同居していました。またもや年上のイケオジが美少女に声をかける展開に。たちまち互いを「夫」「妻」と呼ぶ関係になってしまったのです。だが今度は祖母も同居ですから、あっという間に捕まります。大奥様は、デラハムを海外送りにしてしまう。
直後、ノーフォーク公トマス・ハワードは、王妃の侍女として王宮にキャサリンを送るのでした。どうしてもと言って連れてあがった侍女に密告されるとは、この時のキャサリンは知る由もない。
ノーフォーク公の姪のひとりアン・ブーリンは斬首されたが、一度は妃に登りつめました。その姉メアリーはお手つきになったが妃ではない。今度の妃は見目が悪くてヘンリーさん早速離婚の画策をしている。今度こそ。今度こそは、王子を産んでハワード家から王を!というわけで送り込まれたキャサリン。
だが、悲しいかな。彼女はちょっと調子に乗りすぎた。
「陛下っ!ご覧下さい。キャサリン様のお部屋からこれが」
「なになに、えっ!カルペッパー宛だと?また新手か!」
お読みくださりありがとうございます
続きます