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幽霊画廊へ会いに来て

 キャサリン・ハワードは遂に首斬り台の前にやって来ました。大勢のロンドン市民が見守る中、罪状が公表されます。台の側には首斬り役人が斧を提げてじっと立っております。係員の大声に、微かに肩を震わせるキャサリンちゃん。


「キャサリン・ハワード・チューダー、ヘンリー・チューダーの妻、この者は、低俗な売春婦のように、さまざまな人々と共に、忌まわしく、卑しく、肉欲的で、官能的で、不道徳な人生を送った角で告発された」


 ざわざわと民衆が囁き交わし、アン・ブーリンの幽霊が意地悪そうに見ております。ヘンリー8世は、王妃の肩書きを剥奪したものの、公式に婚姻無効手続きはしなかったということです。アン・ブーリンの時には、処刑前に婚姻無効にしておりました。相手は罪人ですので、無効に出来るのです。



「キャサリン、あんたまだチューダーなの?」


 幽霊アン・ブーリンが呆れます。


「陛下ったら骨抜きじゃない」


 キャサリンはふっと口角を上げました。何も言わずに、チラリと勝ち誇った眼差しを幽霊に向けました。


「顔見ちゃったら、許しちゃうから来なかったのね」


 貴族の集まる観覧席や記録官を見回しながら、幽霊はつまらなそうに呟きます。ロンドン塔の幽霊たちがふわふわと集まって参りました。大昔に幽閉されていた王様や、拷問を受けた政治犯たちが新入りを歓迎しにやってきました。



 アン・ブーリンの幽霊は、ヒョイと頭を外して両手でささげ持ちました。ヒッと息を呑むキャサリン。


「あんたもすぐに、こうなるのよ」


 にやりと笑う幽霊アン。


「善人も悪人も、首を打たれてしまえばおんなじよね」


 アンは幽霊仲間に無念な話を聞いたり、本物の凶悪犯の幽霊に追いかけられたりしながら、数年間気ままな幽霊暮らしをしております。


「あんたは、死んでもイケメンに触り放題かしらね」

「ふふっ、そうね。コッチから触れることはできるんでしょう?」


 あくまでも受け身だったと言い張っていたキャサリンちゃん。死後は積極的なアピールを隠しもしないつもりでしょうか。アンの嫌味にほんのりと頬を染めるキャサリンちゃん。観念して、もう死後の楽しみに思いを馳せております。



「あんたも懲りないわね」

「素敵なドレスを着ていい男の側にいられたら、あたくし、それで満足よ」

「ひとりじゃ足りないんでしょ」


 フンと鼻を鳴らし、眉を顰めるアンの首。


「あたくしは濡れ衣だったのに、キャサリンはいい気なものですこと」

「いいじゃないの。今楽しいんだから。あなた、あちこちで人を脅かしてるのでしょう?」

「そうね。記録まで取ってくださる方々もおられるのよ」

「あら、ずいぶん人気者なのね」

「100年でも500年でも、一番有名な幽霊でいてやりましてよ!」


 アンは誇らかに申します。それからポンと頭を胴体にのせて、何事もなかったかのように処刑台のまわりを歩き出しました。



 係員が厳粛に刑の執行を進行致します。背筋をピンと伸ばして、声を張り上げました。見物人の中にはジャーナリストもいて、メモなど取っております。


「本日、1542年2月13日7時、斬首刑を執行する」


 キャサリンは静かに(こうべ)を垂れました。冷たい川風がほつれた(びん)の毛を弄んでおりました。つい数日前までは生き生きと輝いていた暗色の瞳には、恐怖と諦めが宿っております。



 ロンドン塔が監獄になる前に行方不明になった幼い王子様たちが、怖そうに見学しております。黒い服を着た、美しい巻き毛の兄弟です。


 後世発見された2人の子供の骨は、この兄弟のものとされました。ウェストミンスター寺院に王族として埋葬されております。骨は、王子たちが行方不明になった年代のものであるそうです。



 後の世に絵画の題材にもなったこの兄弟は、亡くなった時には12歳と9歳でした。エドワード5世とその弟ヨーク公リチャードです。エドワードは、後見人である叔父のリチャードに言いがかりをつけられ、庶子にされてしまいました。


「エドワード、お前本当は王妃様のお子ではないぞ」

「出鱈目を申すでないぞ、叔父上」

「生意気な。ほれ、書類もある。お前は庶子だ」

「父上と朕を愚弄するか」

「庶子では玉座は継げぬよのう」


 悪どく笑うリチャード。


「おじうえ、何をおっしゃるのです?」

「ヨーク公、泣くな」

「母上の子供じゃないなんて」

「世迷言だ。安心せよ」

「おじうえ、なぜそんな意地悪を仰るのです」

「叔父上、撤回と謝罪を」


 気丈に振る舞いながらも、不安を隠せない12歳の少年王。叔父リチャードの奸計で王位を剥奪されました。


「兄上、もう外へは出られないのでしょうか?」

「逃げよう」

「逃げてどこへ?」

「塔さえ出られたならば、きっと力になってくれる者もおるはずだ」

「兄上」

「夜になれば人目も少なくなろうぞ」

「兄上、夜は(こお)うございます」

「朕がついておる。手も繋いでやろう」


 幼い甥を玉座から引き摺り下ろして、ロンドン塔に幽閉した悪人。この人こそが今日に至るまで悪名を轟かせる、かのリチャード3世であります。この人もバンバン敵対者を殺しておりますよ。



 前年1541年5月27日に斬首された、「最後のプランタジネット」マーガレット・ポールが首を抱えて泣き叫びます。彼女はロンドン塔の幽霊王子様たちの従姉妹です。エドワード4世の弟の娘でした。メアリー王女のお世話もしていたということですよ。


 彼女は旧姓プランタジネット。プランタジネット朝の流れを汲む男系最後のひとりでありました。同時代の多くの女性と同じように、政治に翻弄されました。複雑な人生を経て、結婚後しばらくは平穏に暮らしております。


 ご本人もソールズベリー女伯爵の肩書きを持つこの人は、突然叛逆罪で処刑されてしまいます。1541年5月27日のことでした。実はこの人がなぜ叛逆罪とされたのか、よく分かっておりません。はっきりした記録がないのです。


「理不尽だわ、痛いわ、酷いわ」


 この人は、処刑の時も悲惨でした。斧の切れ味が悪かったのです。完全に首が切り離されるまで、何回も斧は振り下ろされました。今でも彼女の幽霊は、叫び声を上げているということです。


「また首を斬るのね。あの移り気な暴君は」


 享年68歳。悲運の貴人でありました。



「罪人は最後の言葉を」


 係員の命令で、キャサリン・ハワードは口を開きます。


「神よお赦し下さいませ。寛大なるヘンリー8世陛下の愛を裏切り、万死に値するこのわたくしに、主よ、どうか憐れみを」


 小さな声で簡潔に発した最後の言葉は、記録に残っておりません。ゴシップ好きなロンドンっ子は、勝手な解釈で噂を致します。


「聞いたかい?」

「キャサリン元王妃のことか?」

「そう。最後の言葉の話は知ってる?」

「ああ、聞いた、聞いた。恋人と引き裂かれたそうじゃないか」

「可哀想になあ」


 今際の際にキャサリンが、


「いま、王妃として命を終えますけれど、カルペッパーさまの妻として死にとうございました」


 と言ったと、まことしやかに囁かれました。この噂は涙を誘い、伝説として後の世にまで残ったのです。



「袖に刺繍があったそうだ」

「なんて?」

「真実の愛を捧げます、だとさ」

「泣けるねぇ」

「誰にって書いてあったんだい」

「それは書いてないんだよ」

「秘密の恋だったんだねぇ」


 キャサリン・ハワード末期の言葉は、諸説ございます。一番人気の「カルペッパーの妻として死にたい」は、早くから疑問視されておりました。スペインで刊行された著者不明の『ヘンリー8世年代記』、通称『スペイン語による年代記( the Spanish Chronicle)』が元ネタです。


 この本は、ヘンリー8世とその世継ぎエドワード6世に関するものでした。1889年にイングランドで、ジャーナリストのマーチン・ヒュームによる編訳が出版されております。


『年代記』は、悪名高く、1991年に歴史家アリソン・ウィアーが発表した『ヘンリー8世と6人の妻たち』で、極めて疑わしいと評されております。2011年には、ジョン・スカフィールドによる『トマス・クロムウェルの隆盛と失墜』の中で、『年代記』にある日付なども間違いが多いと批判されております。



 こんな後世の噂より、歴史的に信頼できる記録はないのでしょうか?見物人をみまわしてみましょうか。


 いましたよ。記録している人が。商人オットウェル・ジョンソン氏が兄への手紙に書き残しております。日付は1542年2月15日。キャサリンちゃんの処刑から僅かに2日後です。

 当時はこの手紙をネタ元とした「キャサリン・ハワード最後の言葉」が出回っておりました。


 そのことは、1542年2月25日に神聖ローマ帝国イングランド大使ウスタシュ・シャピュイが記録を残しております。噂の元を調査したんですかね。この人の記録はアン・ブーリンの処刑についても後の世に残しておりますね。


 こちらの手紙によりますと、神への愛と信頼を述べた後、国王を裏切り死刑は妥当であると述べたとのこと。



「なーによ、気取っちゃって」

「お従姉さま、もう黙って」

「はいはい、いよいよね」

「昨日練習したから大丈夫よ」

「あんた、本当に良いカッコしいよねえ」


 予行演習もバッチリでしたので、キャサリンちゃんは見栄え良く頭を処刑台に預けます。首斬り役人が恐ろしい斧を振り上げました。ザクッと一撃の元に首を落とします。


「キイーッイーッあたくしの時には研いでも無かったのに」


 マーガレット・ポールが憤慨します。


「綺麗に斬れたわね」


 アン・ブーリンが妖しい笑みを浮かべます。



「ジェーン・ブーリン、マダム・ロッチフォード」


 幽霊たちが見物人に混じって騒ぐ中、キャサリンの遺体は速やかに片付けられました。続いてジェーン・ブーリンが呼び出されます。とうとう悪運が尽きました。


 彼女は、殊勝な姿を見せたキャサリンと違いました。足を踏み鳴らして大演説をしたというのです。この人は、キャサリン・ハワードと男たちを取り持った罪で投獄されると、気が触れてしまったとされております。


 泣き叫び正気ではないマダム・ロッチフォードでした。その時の法律では精神病の人は裁けません。ヘンリー8世は急いで狂人を裁ける法律を制定、施行しました。ロッチフォード子爵夫人の発狂が生き残りをかけた芝居だったのか、それとも本当に絶望でおかしくなったのか、それは分かりません。


 とにかく、ジェーン・ブーリンも首を落とされました。




 ヘンリー8世の王妃が暮らしたハンプトンコート。現在でも回廊にヘンリーさんの巨大な肖像画が飾られております。この回廊は、「幽霊画廊」として有名ですね。ハンプトンコートにも沢山の幽霊が出るんですって。


 回廊を泣き叫びながら頭を抱えて走る青いドレスのアン・ブーリン。


「またお従姉さまね!陛下は?陛下はどこ!」


 キャサリンも、幽霊画廊を泣き叫び走り抜けます。突き当たりのドアを激しく叩き、自ら背を向けた夫の名を呼び続けております。


「あら、ジェーンさまだわ。今日は10月12日なのね」


 年に一度だけ、部屋々々を悲しげに歩き回るジェーン・シーモアが、白い服を着て蝋燭を手に通りかかります。息子エドワード6世の誕生日にだけ、ハンプトンコートに現れるとか。彼女は唯一ヘンリーと共に葬られた王妃です。


 婚姻無効、処刑、産褥、婚姻無効、処刑、死後再婚。ですから、王妃として正式に葬られたのは、3番目のジェーンさんだけだったのです。


「ずるいのね。陛下と一緒に埋葬されてるなんて!」


 キャサリン幽霊ちゃんはぷーっと膨れます。



 後の世には、エドワード6世の乳母シビル・ペンだといわれる灰色の婦人が現れたり、ヘンリー7世とみられる幽霊が防火扉を開けて出てきたり、壁の向こうで紡ぎ車を回す音が聞こえたり、ハンプトンコートは幽霊咄の宝庫です。


「キャサリン、残念ね!いつまでたっても陛下には会えなくってよ!」

「アンお従姉さま、意地悪やめて。この前来たツアー客が、ウィンザー城でお見かけしたって噂してたわ」

「ええ。すごい音がするんですってよ」

「まあ、陛下もやっぱり彷徨っていらっしゃるのね」


 きらりと瞳を光らせるキャサリンちゃん。


「あら、どうだか?」

「何よ!」

「幽霊を見たなんて、本当かどうかわからないじゃないの」

「痛がってうめいてるのを見た人だっているんだから!」

「あなたはずっと、陛下を探して泣いてたらいいのよ」

「酷いわ!陛下っ天国なんかに行かないでくださぁーい!陛下ぁぁーっ!どこーっ!」


 キャサリンちゃんの幽霊は、今でもヘンリー8世を探してハンプトンコートの幽霊画廊を叫びながら走っていると言うことです。


お読みくださりありがとうございます

これにて完結です

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― 新着の感想 ―
[一言] 結構ドロドロしてて凄惨な話のはずなのに、暗さがまったくない、どころか、ちょっとコミカルにすら感じる仕上がりになりましたね。 私、お化け怖い人間なんですけど、処刑されちゃった彼ら彼女らにちょっ…
[良い点] 6人の王妃様それぞれのこと、あまりよく知らなかったのでとっても勉強になりました! 親戚だったとか侍女だったとかも知らなくて。 ハンプトンコート、フラワーショーがあるので、2年に一度くらいは…
[一言] 処刑と幽霊。恐ろしく血なまぐさいお話なのですが、一歩引いた語り部の口調がユーモアたっぷりで。後半から加わったアン・ブーリンとの掛け合いもどこか軽妙で、パリピでヤンキーなキャサリンちゃんの精一…
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