親友により婚約者を奪われた公爵令嬢が新たなる幸せを手に入れるまで
ピチョーン…。
冷たい…
ああ…寒いわ…
真っ暗…
ここはどこかしら…
エメシアは寒さに身を震わせて、身を起こした。
暗い…何も見えない。
手探りであたりを触れば、そこはごつごつした岩の手触りで。
ここはどこ?誰か助けて…
すると、急に足元が明るくなって地に金の円が浮かび上がり金色の文字が輝いて。
何が起きたのか解らない。
ただ、エメシアはそのまま気を失った。
気が付いた時、自分の部屋のベッドで、両親が涙を流して、
「エメシア。よく無事で。」
「心配していたのよ。」
「ここは?わたくしの部屋?」
父のマイルランド公爵が、頷いて、
「お前は5年間、行方不明になっていたんだ。」
「5年間?」
よく生きていたものである。そして、いつの間に、自室へ戻って来たのだろう。
母のマイルランド公爵夫人は、
「庭に倒れていたのよ。あああ、毎日、神様に祈っていたの。エメシアが無事で戻ってきますようにって。よかった。よかったわ。」
何故、自分があの暗い所にいたのか…何故、生きているのか…
どうして?何で?
ただ、思い出した事があった。
親友のアリア・レーリック公爵令嬢。
彼女とお茶をしたのが覚えている最後の記憶だ。
紅茶を飲んだ途端、気が遠くなった。
世界が歪んで真っ暗になったのだ。
何の話をしていたのかしら…
彼女と…
頭が痛いわ。
そうだわ。クルディック様。婚約者のクルディック様は?
エメシアにはクルディック・アレグリフ公爵令息という婚約者がいた。
金髪碧眼の凄い美男で、エメシアはクルディックの婚約者になってとても幸せだったのだ。
彼は15歳ながら、学園でも人気があって、とてもモテた。
だが、誠実にエメシアを愛して、優しくしてくれた。
「わたくしが見つかった事をクルディック様に知らせてっ。」
父は首を振って、
「クルディックはアリア・レーリックと結婚した。もう、お前の婚約者ではないのだ。」
「そ、そんな…クルディック様はわたくしの事を愛しているって…結婚を楽しみにしているって。どうして?どうしてなの…」
母は涙を流しながら、
「かわいそうなエメシア。彼は公爵令息。生きているか死んでいるかわからない貴方を待っている訳にはいかなかったのよ。解って。」
涙が流れる。
アリアと会ったのが最後の記憶なら、彼女が自分が行方不明だった5年間に関係しているに違いない。
アリアに会わなければ、会って問い詰めなければ。
しかし、エメシアはベッドから起き上がる事すら出来なかった。
美しかった顔も、身体も痩せ細り、立つ事もかなわない身体になっていたのだ。
ベッドで寝たきりになってエメシアは毎日、自室の天井を眺めて泣いていた。
とある天気の良い日、窓の外から声がした。
「何を泣いているんだ?」
エメシアはその人物に心当たりがあった。
「こ、皇太子殿下?何故?」
このファレス帝国の皇太子、レンドル皇太子である。
レンドル皇太子は銀の髪にエメラルドの瞳の美男で、クルディックと並び、ファレス帝国二大美男として称えられていた。
マイルランド公爵家に侵入しての、レンドル皇太子の行動にも驚いたし、この部屋は二階で、窓の外のテラスから声をかけてきたレンドル皇太子の危ない行動にもっと驚いた。
「ここは二階ですわ。危ないですから。」
「こんなに痩せ細って。お前に何があった?」
レンドル皇太子はテラスの扉から、エメシアの部屋に入って来た。
ベッドの脇の椅子に腰かけて、エメシアの傍に来てその手を握り締めてくれた。
「無事でよかった。この5年間、心配していたんだぞ。」
「わたくし、貴方様と数回しかお話したことがありませんわ。それも皇立学園で…」
「そなたの美しさ、聡明さは忘れた事がなかった。クルディックが羨ましくて仕方なかった。だから、そなたが行方不明になったと聞いた時にそれはもう探させて、それでも見つからなくて…ああ、安心してくれ。私は婚約者もいない。」
「おかしいでしょう。一国の皇太子殿下が…まさかわたくしをあの暗闇に閉じ込めたのは皇太子殿下?」
「私ならエメシアを暗闇に閉じ込めて、こんな痩せ細る程に苦しめたりはしない。あああ、生きていてくれてよかった。私が婚約者がいないのは、忙しかったからだ。それに君の事が忘れられなくて…だが、父も母も煩くてね。そろそろ決めねばならないと思っていた所だ。私も20歳になる。」
エメシアの手を握り締めながら、
「どうか、私の妻になって欲しい。」
「わたくしは寝たきりの身体ですわ。皇太子妃になんてなれません。」
「身体を治そう。もし、治らなくても私の妻は君だけだ。ずっと君に憧れていたんだ。」
「解りましたわ。わたくし、身体を治す事にまずは専念します。身体が治ったら改めて考えさせて頂きますわ。」
「だったら、一緒に頑張ろう。」
毎日のように、レンドル皇太子は訪問して、エメシアに美味しい物を土産に持ってきて食べさせたり、歩けるようになると、リハビリに付き合ったり、それはもう献身的に傍にいて支えた。
エメシアは申し訳なくて、
「お忙しいのではなくて?」
その手を引きながら庭を歩くレンドル皇太子は微笑んで、
「君との時間が最優先事項だ。愛しいエメシア。」
そして、レンドル皇太子は、
「君の親友、アリア・レーリック。現在はアレグリフ公爵夫人だが、彼女の仕業だったようだな。皇家の影に調べさせた。証拠が掴めなかったからなんともいえないが、最後に君がアリアと会った後に倒れたのなら君を眠らせて人気のない洞窟へ捨てたのではないのか?その後、アリアはクルディックに急接近し、彼を慰めて結婚に至っている。君が5年間生きてたのは、強力な守護がついていたから、命を落とさずに守って貰えたんだな。」
憎しみが灯る。
アリアのせいで、5年間、洞窟の中で眠っていたのだ。
愛するクルディックと結婚出来なかった。
「わたくし、悔しいですわ。罰する事は出来ませんの?」
「5年も前の事だからな。」
クルディックと婚約者として過ごした日々、
彼と街をデートした時、将来の事を色々と話をした。
まだ15歳。大人ではなくて、少女の恋だったけれども、クルディックも同い年で、とても嬉しそうに手を繋いで、未来の事を夢見ていた。
「君が妻になったら、私は頑張れそうな気がするよ。」
「そうなんですの?わたくしが妻になったら頑張れそうって、今は頑張っていないって事?」
「だって、勉強は難しくて、でも、しっかりとしないと。未来の公爵になるのだから。」
「そうですわね。クルディック様なら立派な公爵様になれますわ。」
クルディックは嬉しそうに微笑んでくれた。
「未来は薔薇色だな。好きだよ。エメシア。政略でも君と結婚出来る事が嬉しい。」
「わたくしも大好きですわ。クルディック様。」
幸せだった日々…
レンドル皇太子はエメシアを慰めるように、
「アリアを見返す為にも、君は身体を治して皇太子妃になるんだ。そうすれば、きっと見返す事が出来る。俺も協力しよう。」
ああ、優しい人…強くて…わたくし、皇太子妃になれるとは思えないけれども、アリアを見返したい。何よりもレンドル皇太子殿下の傍にもっといたい。だから、リハビリを頑張ろうとエメシアは思うのであった。
体力も回復し、輝く金の髪に美しいその姿…健康を取り戻したエメシア。
正式にレンドル皇太子から婚約の申し込みがあり、それを有難く受けた。
「わたくしで宜しければ、レンドル皇太子殿下。」
両親も大賛成で、
「娘が皇太子妃にっ。」
「ああ、なんて事っ…」
二人とも大喜びで。
エメシアは婚約発表の夜会へ、レンドル皇太子と共に出席する事にした。
豪華な銀のドレスを着て、ティアラを被るエメシア。
レンドル皇太子と共に、夜会の会場へ入る。
つい、目で探してしまう。
クルディックとアリアを。
彼らも高位貴族。必ずこの夜会には来ているはずだ。
クルディックは自分を見てどういう反応をするだろう。
アリアは?罪の意識を少しは持っているのだろうか?
探していたらクルディックとアリアが視線の先にいた。
クルディックの腕に手を絡めて、勝ち誇ったかのようにこちらを見て来るアリア。
クルディックはじっとエメシアの顔を見つめていた。
クルディック様。貴方はどうわたくしの事を思っているの?
スっと視線をそらすクルディック。
その時に解った。それはそうだ。自分はもう過去の人間なのだ。
あのクルディックの横にいたのは自分だった。
アリアの事が許せない。
レンドル皇太子が肩にそっと手を置いて、
「気持ちは解るが、君は皇太子妃になるんだ。」
「わたくしは、この悔しい気持ちを抱えたまま、皇太子妃になる事は出来ません。わたくしはあの女に5年間奪われました。愛する人も…ですから。」
「だったら、婚約発表の後にしてくれないか。皇族権限。それが使える。その時は、お前の手で決着をつけるがいい。」
手にナイフを渡された。皇家の紋章が入っている。
これは帝国には、不敬をした人間を皇族が殺しても、罪に問われないというような法律があった。
婚約が成立した時点でそれはエメシアにも適応される。
この帝国の法律では婚約者は既に皇族扱いになるのだ。
レンドル皇太子はエメシアの手を握り締めながら、宣言する。
「エメシア・マイルランド公爵令嬢と、この度、婚約をする事となった。皆、祝ってくれ。」
「おおおっ。あの行方不明だったエメシア嬢と。」
「なんとお美しい。」
「今までどこにいたのだ?」
エメシアはナイフを隠し持って、アリアに近づく。
あの女のせいで、自分は死ぬところだった。加護が無ければ死んでいた所だったのだ。
アリアを殺さねば…わたくしは先に進めない。
アリアの前に立つと、アリアがにこやかに微笑んで、
「このたびはおめでとうございます。エメシア様。」
「アリア。貴方、わたくしに紅茶を飲ませたわね。あの日、わたくしに…わたくしはあの紅茶を飲んでから記憶がないの…何を飲ませたの?わたくしを殺す気だったの?」
「何を言っているか解りませんわ。わたくし、貴方とお茶をした覚えはなくてよ。親友としてこうして無事に再会出来た事を心から喜びますわ。」
「しらばっくれる気なのね。」
クルディックがにこやかに、
「エメシア様。おめでとうございます。君と結婚するはずだったのに、待てなくてすまない。私は生きているか死んでいるか解らない婚約者を待つ訳にはいかなかった。」
懐かしいクルディック様…
少し大人びて…わたくしはクルディック様と本当は結婚していた…
クルディックはアリアの肩を引き寄せて、
「エメシア様は我々の祝いを喜んでいないようだ。早々に夜会から退出しよう。」
「そうね。それじゃ失礼致しますわ。エメシア様。」
二人は仲よさそうに、会場を後にした。
アリアを殺せなかった。
殺す前にクルディックがアリアを引き寄せて…
自分が手に隠し持っていたナイフに気が付いた?妻を守るために早々に退出した?
さようなら…クルディック様。
わたくしは貴方の事を愛していたわ…
レンドル皇太子がエメシアの手にあるナイフをそっと自分の手に戻して、
「これからは俺の事を見てくれ。俺だけの事を考えてくれ。愛している。エメシア。」
耳元で囁いて来た。
エメシアは頷いて。
「貴方が傍にいて下さった。だから、わたくしはこうして立ち直る事が出来たのです。これからはわたくしは貴方の為に生きますわ。」
夜会があった次の日の朝、驚くべき事件が起きた。
クルディックがアリアを惨殺したというのだ。
アリアは血まみれになってアレグリフ公爵家の居間で倒れていた。
騎士団へ自ら通報し、クルディックは捕縛されて牢獄へ入れられた。
その事件を聞いた時に、あまりの出来事にエメシアは倒れた。
「どうか、クルディック様を助けて下さいませ。どうか…」
レンドル皇太子に懇願した。
レンドル皇太子と共に、エメシアは牢獄へ入れられたクルディックに会いにいった。
鉄格子越しに会うクルディックはやつれて、エメシアとレンドル皇太子を見て、驚いたような顔をした。
エメシアは鉄格子越しにクルディックに向かって、
「何故、アリアを貴方が殺したの?」
「言わせる気か?君がアリアを殺そうとしていた。君がアリアとお茶をした後に記憶を失くしたと言った。全てアリアの仕業だとはっきり気が付いたんだ。怪しいと思っていた。アリアは君がいなくなった後、落ち込む私に付きまとったから。それでも、私は公爵家の為に行方不明の君を待つ事は出来なかった。父の命でアリアと結婚するしかなかったんだ。君を失った原因がアリアだったというのなら、君が手を血に染める程憎んでいるのがアリアだというのなら、私が殺すしかないだろう。私は今でも君の事を…いや、私にはその事を言う資格はないな。どうか、幸せになっておくれ。失った5年間をレンドル皇太子殿下と共に取り戻して誰よりも幸せに…それが私の願いだ。」
愛していたクルディック様。
共に未来を夢見たクルディック様。
レンドル皇太子が牢の鍵を開けて、ずっしりと金貨が入った袋を渡して、
「隣国へ逃げるがいい。」
「皇太子殿下…」
「アリアは殺されるべくして殺された。エメシアの無念をお前が晴らしてくれた。このままではお前は妻殺しの罪で処刑されるだろう。だから、逃げろ。エメシア。お前も共に行っていいんだぞ。」
「レンドル様。」
「これだけの金があれば、普通に暮らしていける。だから、クルディックと共に…」
クルディック様と一緒に?
自分の為にアリアを殺してくれたクルディック…
自分の為に力になってくれたレンドル皇太子殿下…
わたくしは…
レンドル皇太子殿下の手を取って、
「わたくしはレンドル様の傍を離れたら、一生、後悔致しますわ。」
クルディックの方を見つめて、決意したようにはっきりと宣言する。
「クルディック様。わたくしの心はレンドル様にあります。有難う。アリアを殺してくれて。どうかお逃げになって。貴方が処刑されたら、わたくしは悲しくて…」
「逃げはしない。私はいさぎよく罰を受けるよ。」
レンドル皇太子は思いっきりクルディックの鳩尾を殴りつけて気絶させた。
麻袋を持った皇家の影に、袋の中にクルディックを詰めさせる。
「隣国へ捨ててこい。二度と、入国を許すな。しばらく見張っておけ。」
「かしこまりました。」
クルディックは皇家の影によって隣国へ運ばれて行った。
クルディックがどうなったか…しばらく皇家の影が見張っていたが、隣国のどこかへ姿を消したようだ。
エメシアはクルディックがどこかで生きていると、幸せに暮らしていると信じることにした。
それから、レンドル皇太子とエメシアは結婚した。
大勢の帝国民に祝福されて、エメシアは幸せだった。
「レンドル様。愛しておりますわ。」
「俺もだ。愛している。」
全てはすがすがしく、初夏の風が二人を祝福するかのように、爽やかに吹いていた。
その後、皇太子妃となったエメシアは、レンドル皇太子との仲が良く、沢山の子に恵まれて皇妃となった後もファレス帝国の為に尽くし、幸せな生涯を過ごしたと言われている。
クルディックの事については、どうなったのか、歴史書に触れられていない。