9 平穏の終わり
「お休み中失礼致します。お嬢様、セドリック様がお呼びです」
療養の名目で、自室のバルコニーに設置したハンモックチェアーでゆらゆら揺れながらのんびり日向ぼっこしているところに、申し訳なさそ~な表情をしたフィッツが顔を出す。
フィッツはクズの事を当主とは呼ばない。
当主の責務を微塵も果たさないので、ある意味当たり前とも言える。当人が気付いているかは知らないが。
フィッツは代々クローンサイト侯爵家の家令を務めるジェラルディン家の子息で、彼自身も子爵位を持つ貴族である。
銀髪に銀の瞳を持つ怜悧な美貌を持つ彼は先代当主が成人した頃からこの家に仕えている。
見習いとして幼少の頃からクローンサイト家に仕えているので、先代当主よりかなり年下だが、見た目年齢不詳なので訊いてみたら「秘密です」って妖艶な流し目付きでウインクされてしまった。wow!美形イケオジめ!なかなか手強い人なのです。
目力が有るというか、とにかく切れ長の瞳が印象的なので、あの瞳にジッと見詰められると、何かと弱いです。
そんな頃からこの家に居るということは、当然クズがオムツを着けてウゴウゴしている姿も知っている訳で、多感な時期に(いつだ?)自身も学園生として二足の草鞋(?)であまりクズに手を掛けられなかったのも一因でクズがここまでのゴミクズになってしまったのではないかと、顔にも言葉にも出さないですが、こっそり気にしているのを知っている。
時々人気のない廊下の隅で立ち止まり、ひっそりと、深く深く深ぁ~い溜息をこぼしたりしている。可愛い。
当然わたくしのオムツ姿も知られているが、悔しくなんてない。
そんなフィッツは代行を一任されている領政にわたくしの意見を幾つも取り入れてくれたし、数年前から少しづつ執務を教えてくれている。
先々を見越していたのだろう。
お母様が亡くなった日、クズが帰る後姿を見送ったわたくしに「全面的にお味方します」と囁くように約束してくれた。
フィッツは、よくその約束を守ってくれていると思う。
なので、彼には幾つかお願いしている事がある。
「まだ安静が必要ですからとお断りしたのですが、どうしてもと仰って」
どうやら安静時間終了のお時間のようだ。
「いいのよ。意識が戻った事が知れれば、時間の問題ですもの。何か仰ってた?」
「それが・・・」
「なあに?」
「ご婚約の件でと」
嫌な予感がした。
「フィッツ」
「はい」
「急ぎ、あの件をお願い」
「・・・承りました」
わたくしのお願いに、フィッツは心持ち苦しそうに了承する。
「ごめんなさいね、貴男や使用人の皆にはよくして貰って感謝しているわ。でも・・・」
「ええ、時期を逃してはいけません。私も今がその時かと」
残念だという思いを共有する。
「至急貴族院へロバートを行かせます。私は廊下へ出ておりますので、用事がお済みに成りましたらお声がけください。セドリック様の元へご案内致します」
「えぇ、お願いするわ」
元々、お母様が亡くなる頃から少しづつ準備は進めて来たので、ここに至って為すべき事は少ない。
わたくしは自室の私物を自らの無限収納に放り込む。
この家にも、貴族の身分にも未練は無い。
態々婚約の件と話を持ち掛けるからには、どんな手段を使ったのか、ユウジーン様との縁も無くなったのだろう。
見舞いに来てくれるどころか、手紙一つ送られて来ないことから、薄々予感はある。
あとは、超えてはならない一線を超えたクズの手から如何に逃れるかだが、既に手を打っている。クズの要件が何であれ、ここにはもう戻らない。
わたくしは、最後に十一年間過ごしてきた部屋の中をゆっくりと眺める。
残して行く物もあるが、お気に入りの家具や必要な物を魔法収納した後の部屋は様変わりして、最早わたくしの部屋の面影は無い。
今迄ありがとう。そしてさようなら、貴族のわたくし。
一礼して部屋を出ると、フィッツが待機してくれている。
さあ、戦いだ。
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